たしなみ2-48
メイシーは、その後ウキウキしながらやって来たスタンリー署長に現像写真を渡すと、気落ちしたまま、しばらく実験室の椅子に座っていた。
(ハイド先生のご決断だもの。先生には先生のやりたいことがあって当たり前。ずっと先生で居てほしいなんて、言っちゃいけないわよね…)
メイシーは、また落ち込みそうになる気持ちを立て直そうと、ブンブンと頭を振った。
翌日から、メイシーはポラロイドカメラを製作したり、銭湯の様子を見に行ったり、その合間に授業を受けたり、魔術学園の図書館に寄ったりした。
図書館では、石化に関する資料を中心に本を借りて読んだ。
そんな中、メイシーは殿下に呼ばれて執務室にやって来ていた。
「あの人から母上の話を聞いたそうだな。其方が最近石化について調べていると耳に挟んだので気になった」
「……ご存知だったのですか?すみません、あまり期待させても悪いと思って、答えが見つかるまでは黙っていようと思っていたのですが……。まだ、何も。でも諦めずに探します」
「其方が気に病む必要はない。色々と経緯があったことは可哀想だとは思うが、最後にその選択をしたのは母上だからな。私はそう思っている」
殿下は、石になったお母様のことを淡々と語った。
「それよりも私は、あの人が其方に負担をかけたことに腹が立つ」
「…そうですか?」
「其方は、自分が辛い思いをしてもすぐに隠そうとする。まだ眠れない夜を過ごしているのは、あの侍女から聞いて知っている。…あんな現場を見たんだ。当たり前だ」
「……」
殿下は、いつの間にかノアにメイシーの様子を定期的に確認してくれていたようだ。
メイシーは、殿下が自分を気遣ってくれていることに、あまり心配をかけるのは悪いなと思う気持ちになった。
それでも最近、殿下がメイシーのことを考えてくれることが純粋に嬉しいと思っている自分が居て、それを自覚するのはむず痒いような、恥ずかしいような、なんとも言えない気持ちだった。
メイシーは、少し赤らんだ顔を俯けて、気合を入れるために、やるべきことを考えた。
(石化に関する本は、きっと、もう陛下も殿下も一通り読んでいるわよね。私は土の魔術に関する本を、石化に関わらず広く読んでみることにしよう)
そして、顔を上げて殿下に答えた。
「陛下は、殿下や王妃殿下のことを思って貴族派を捕まえようとしたのだと思います。私はその話が聞けただけで、十分です」
メイシーは、殿下に納得してもらおうとそう言ってみたが、殿下は眉を寄せた。
「また其方は、すぐそうやって自分で抱え込もうとする。其方がそうでも、私は嫌だ。
……やはりあの人は一発殴られるべきだ」
殿下は何かを思い出したようにムカムカと腹を立て始めた。
「まぁ」
メイシーは少し考えて、殿下にこう言った。
「殴るのは楽しいのですか?」
「さあ」
「そんなに楽しいのなら私に代わってください。私が陛下を殴ります」
「えっ」
メイシーの予想外の答えに、殿下が目を丸くした。
メイシーはにっこりと笑った。
「思い切り陛下の顔を叩いてやれば、スッキリするでしょうか」
「なにを…。やめておけ。其方の手を傷める。私が…」
「殿下だって傷めます」
「いや、しかし」
「私のことで殿下が怒ったのでしたら、私は陛下を殴る権利がありますよね?」
「……」
「陛下を殴るのは私の役目です。……そうですね。手で殴るのは痛そうなので、何かぶつけますか。
今年は南でトマトが豊作だったそうです。トマトを王宮いっぱいに取り寄せて、皆で陛下にぶつけるのはどうですか?陛下がトマトだらけになって、滑って転ぶんです」
「……ふ」
「投げたトマトが狙いを外れて色々なところで飛び交って、そのうちに皆顔なんて真っ赤でドロドロになって、もう誰が誰か分からなくなるんです。そうしたら、私、ドメル先生にも投げます。バレないように」
「ぶは!」
殿下は我慢できなくなって笑い出し、右手で口元を押さえた。
「……一体何の話をしてるんだ」
「何って?第1回王宮トマト祭りの話です」
「くっくっ、其方の発想が可笑しすぎて、色々とどうでも良くなる」
メイシーは、殿下が楽しそうに笑うのを見て、楽しくなってきた。
メイシーがにこにこして殿下を見つめると、殿下は顔を上げて立ち上がり、優しい表情でメイシーに近づき、抱きしめた。
「なんて愛おしいんだ、其方は」
「殿下……」
メイシーは、殿下に抱きしめられて、安心して胸に顔を傾けた。
「其方にかかれば、全てが些細なことのように思える。其方と一緒なら、何だって乗り越えられそうだ」
「……そうですか?私ったら、いつも自分が楽しむことしか考えておりませんよ?」
「其方が考える楽しいことは、皆を幸せにする。私も含めて」
メイシーは、殿下が優しく目を細めてメイシーを見つめる表情を見て、安堵した。
「私ができることなど、ほんのたしなみ程度のことですが、面白がっていただけるなら、私も嬉しいです」
「どこをどう取ったらたしなみという理解になるのか分からんが…。あのビデオという魔術具が、とても役に立ったと陛下も褒めていたぞ?
其方はいつも十分過ぎるほど成果を出している。今も平民街や郊外にまで出て、あちこち動き回って何かをしていると、騎士たちやドメルやレナルドから、いつも聞かされている」
「色々と楽しく活動しておりますが、今のところ成果と言えるほどのことは…。あ、ポラロイドカメラを作りましたので、お持ちしたんでした」
メイシーは、持ってきた籠の中からカメラを取り出して、殿下の方に近づき、腕を伸ばして自撮りの体勢になった。
「私がチーズと言ったら、にっこり微笑んでください!」
「なぜチーズなんだ?」
「あちらの習慣なんですよ。いきます!はい、チーズ!」
ジー……ゴゴゴゴ……
「おお!」
「うまく撮れましたね!」
殿下は出てきた写真を見て、目を輝かせた。
「メイシーと私だ!なんて鮮明で美しいんだ。それになんだ、この特別感は…」
この小さな紙を、殿下は食い入るように見つめている。
(特別感…。そういえば、あちらの世界でも、『チェキ会』というものがあったわね…。私は推し活とは無縁の味気のない人生だったけど、テレビで推し活が人気だと見たことがあるわ。それで、推しのアイドルとポラロイドを撮る会のことを『チェキ会』と言うのよね。この場合はもちろん殿下がアイドルで、私がファンの人の位置づけなんだろうけど…)
「これがあればいつでもメイシーを愛でられるのか」
殿下は嬉しそうに写真を見つめ、とても大事そうに胸ポケットにしまい込んだ。
(……殿下は、私のことを推してくださっているという理解で良いのかしら?)
メイシーは、この見目麗しい男性が自分のことを好いてくれているという事実に、改めて驚きと恥ずかしさと、まだどこか信じられない不思議な気持ちになった。
「メイシー?」
ぼーっと見つめ過ぎたからか、殿下は少し微笑んでメイシーの顔を覗きこんだ。
メイシーは、顔を赤くして視線を逸らし、思いついたままに話をした。
「……あちらの世界でも、家族の写真をお財布に入れていたり、昔はペンダントにしてロケットの中に入れたりして持ち歩く方は居ましたね。プリクラとか、あとは普通にスマホの待ち受けとかも」
「メイシー、なぜ目を逸らす?」
「わ、分かりません……」
殿下はくすくすと笑い始めて、メイシーに顔を近づけた。
「其方が照れて恥じらうのは、いつ何がきっかけなのか予測できない」
「……!」
メイシーは、指摘されてさらに顔を赤くした。
「口づけしても?」
「………」
いつもは何のためらいもなくメイシーの唇を奪うのに、なぜか今日はメイシーにそれを確認する殿下に、メイシーは恥ずかしさが高まり、ブンブンと頭を横に振った。
「そうか…。其方は強引な方が好きなのか」
「ち、ちが、違います!」
「では素直に私に請うてみれば?口づけして、と」
「な、なぜ、私が…その……したいという前提なのですか!」
「そういう顔をしていると思ったから」
「ど、どんな顔ですか!」
メイシーが顔を真っ赤にして殿下をキッと睨むと、殿下は余裕たっぷりの表情でメイシーを見つめ返し、右手でメイシーの手を取り、左手でメイシーの顎を掬うようにして自分の方に向けさせた。
そして、髪がかかるところまで顔を近づけると、触れるだけのキスをした。
ジー……ゴゴゴゴ……
「!?!?」
メイシーがその音にびっくりして目を丸くすると、いつの間にか手から奪われたポラロイドカメラが殿下の右手に収まり、紙を吐き出していた。
「なっ、そ、だ、だめ!」
メイシーはあたふたしながら殿下の右手に手を伸ばしたが、ヒョイッと腕を高く伸ばされ、全く届かないところにカメラが移された。
殿下はカメラから出た写真を取り、メイシーが見えるけれど届かない位置にズイッと持ち上げて見せびらかした。
「やめ、だめですってば、殿下!!」
「よく撮れているな。其方が私に口づけを求める顔がよく分かる」
「い、いやーー!それは捨ててください!!」
「安心しろ。私だけが愛でるためにしか使わない」
「それが嫌なのですってば!!」
メイシーが真っ赤になって猛抗議すると、殿下は空気を読んで、カメラと写真をメイシーに返却した。
「其方が嫌がるなら、やめておこう」
「あ、当たり前です!こんな…写真…」
ばっちりキスをする二人の写真は、ちょっとどころか大分目のやり場に困る。
「……も、燃やせないではないですか!」
「ふは!」
メイシーがそう言って怒ると、殿下は笑い出して、メイシーの手を引いて執務室の奥のソファの部屋に行った。
そして壁に手を添えて、お裁縫箱くらいの白い箱を出現させた。
「何ですか?これは」
「この白い部屋は空間魔法で作ってある。それを土と風の魔術の魔石で固定している。今、この壁に収納できる箱を作った。ここにその写真を入れて、其方が鍵をかけて壁にしまっておけばいい。それなら私は其方なしに勝手に見られないし、其方もここへ来なければ見られない。どうだ?いい案ではないか?」
「なるほど…」
メイシーは、そう言われ、ここなら確かに誰かの目に触れることはなさそうだと、少し安堵した。
そして、殿下に言われるままに写真を箱に入れて、メイシーの土の魔術で封印した。
「もう。いたずらも程々にしてくださいませね?」
「善処する」
メイシーは殿下の言葉に少しムッとしたものの、殿下がメイシーを抱き寄せて「悪かった。私を嫌わないでほしい」と言って眉を下げるので、しばらくすると毒気を抜かれてしまった。
「私、トマト祭りが開かれたら、殿下にもトマトを投げつけますわ」
「ふ…。お手柔らかに頼む」
「加減はできません。トマト祭りはかなり激しくなりそうです……。でも、こう、もっと皆が参加できるような普通のお祭りもしたいですね」
メイシーは、殿下の腕の中で、復興の後に貴族も平民も、皆が楽しめる催しがあれば良いなと、ふと考えた。
「そうですわ、殿下!王宮ではトマト祭りを、平民街では復興祭りを行いませんか?私、カメラマンになって、皆様の楽しい様子をたくさん写真にいたします」
「祭りか。今代の皇帝の時代では祝勝会はやったが、そういえば王都で祭りなど、長いことやれていないな。せっかく街が美しくなることだし、提案してみよう」
「本当ですか!嬉しいです!」
そうして後日、メイシー提案の二本立て祭りはすんなり受け入れられ、王都中に開催日が知らされたのだった。
(トマト祭りについては、陛下にはどう知らされたのかしら…?)
思念の指輪で質問すると、殿下は「陛下は自分が参加するとは毛頭考えていないようだ」と、ちょっといたずらっぽく笑いながら答えてくれた。
その後、メイシーがお祭りで使うために、侯爵家の実験室でポラロイドカメラをひたすら作っていると、ハイド先生から手紙が来た。
「数日後に王都を出ることにした。
今出国すれば、西の国の遺跡調査に同行できそうなんだ」
(え!?)
メイシーは、手紙の最初の部分で、驚いて一瞬思考が止まった。
「皆がこれから祭りの準備で慌ただしくしている中なので、水をささないように静かに出ていこうと思う。
大げさに別れの挨拶をするのは性に合わないのでな。
棟官達や研修生には、もう一通り伝え終えた。
君には渡したいものがあるので、出発の前に時間を作ってくれないか。
こちらの都合で悪いが、できれば出国の直前だと助かる。
何度も言うが、大げさにしたくないので、君一人で来てもらいたい。
ハイド」
メイシーは、手紙を読み、肩を落とした。
(早すぎるわ、先生!どうしてそんなに手際よく一人で行ってしまおうとするの…)
メイシーは、ハイド先生があまりにも突然去って行くことに落胆し、同時に少し、なぜもっと早く言ってくれなかったのか、もっと話がしたかったのにと、先生を責めたくなる気持ちになった。
(先生がその気なら、こちらだって考えがあるわ…!)
メイシーは、ギラリと目を光らせ、少し怒ったような顔で、作戦を練り始めた。




