たしなみ9
その夜、ちょうどこれから夕食という時間に、お父様が帰宅された。
「お父様!」
「メイシー!あぁ……私の可愛い天使……!」
メイシーは、階段から小走りに降りて、玄関で執事にコートを渡し終えたお父様のもとに駆け寄った。
お父様は両手を広げて、メイシーをしっかりと抱きとめ、小さな子供にやるように、抱きとめた娘の体をぐるりと一回転させて遠心力で浮かせた。
メイシーは自然と笑い声を上げた。
「アハハハッ!もう、お父様ったら、私13歳ですのよ?」
「私にとっては、まだまだ幼い可愛い娘だ」
そう言ってニッと笑うお父様には、隠そうとしても隠しきれない目の下のクマがあった。
「……お父様、お顔にお疲れが見えます。光の魔術を行使しても?」
「あぁ、ありがとうメイシー。頼むよ」
「お父様に、癒やしを」
メイシーがそう言うと、お父様の周りに温かなキラキラした光が舞い、光が落ち着くと、お父様は先程よりも顔色が良くなった。
「メイシーの魔術は、いつだって優しいな」
お父様は、柔らかく微笑み、眩しいものを見るように目を細めてメイシーを見つめた。
「お父様に、少しでも元気になってもらいたいと、願いを込めました」
二人は微笑み合い、久しぶりに会えた喜びのまま、お父様と連れ立って食堂へと入って行った。
「おかえりなさい、あなた。メイシーと二人で居たいかと思って、お迎えには行かなかったの」
「ただいま、セリーナ。分かっているよ」
お父様は、食堂に先に到着していたお母様のもとへ行き、チュッと頬にキスをした。
(何度見ても、ちょっと恥ずかしい…)
前世の日本人の感覚が抜けないので、両親のラブラブっぷりは、見ていて何だか照れてしまうのだ。
(私にもいつか、そういう旦那様ができるのかなぁ……)
メイシーには、あまり想像ができなかった。
「さぁ、お食事にしましょう」
お母様に促され、お父様が大きな食卓の奥の席に着いた。お父様から見て右側にお母様、左側にメイシーの席が用意されている。
(寮は何の不足もなく、お友達との食事や会話も楽しいけれど……やっぱり家族で過ごす時間はいいものね)
「それでメイシー。早速だが、何か話があるんだろう?」
「はい。……まずは、入学式での私の軽率な行動で、お父様とお母様にご心配をおかけしたことをお詫びさせてください」
メイシーがそう頭を下げると、お父様は首を小さく横に振った。
「……メイシーが謝ることはない。まだ13の少女を、強引に連れ回した殿下にこそ謝罪を要求したいが」
お父様はそう言って、憮然とした表情で手にしたグラスの水を一気に凍らせた。
……お父様が最も得意とする魔術は、水の魔術だ。そしてお父様は、魔力が高い。
『メイシーの高い魔力は、お父様譲りね』と、お母様にはよく言われている。
なんだか薄ら寒くなった食堂内に、メイシーは両手で肩をさすった。
「レナルド」
「おっと、悪いね」
お母様の声に、お父様がハッとして表情を緩めた。
すると、部屋の温度はもとに戻った。
「でも安心しなさい。殿下は当分メイシーに近づかないだろうから、気にせず学園で過ごすといい」
「そうなのですか?学園にはご公務の合間を縫って通われると、先生づてにお聞きしましたが…」
「合間はこれから3年間は生まれないだろう。メイシーと違って、殿下はすでに王族として公務をこなしておられるから、そもそも学生になれるとは、誰も考えていないんだ。継続して研究に取り組む時間も確保できないしね」
「そうでしたか」
(3年……私は卒業してしまうわね。では、もう学園でお会いすることはないのね)
メイシーは、ジョイス皇太子殿下のことを思い出し、もう会うこともないのなら、昼食のお誘いをお断りしたのは、少し申し訳ないことをした気がした。
「殿下のことはさておき、学園生活を楽しんでいると聞いているよ」
お父様は、運ばれてきた前菜を食べながら、メイシーに話しかけた。
「はい!実験室の設備は十分ですし、なにより、先生や学生の皆様のご意見は、とても勉強になります!」
お父様もお母様も、笑顔でメイシーの言葉を聞いた。
「入学式の翌日に、ちょっとした失敗があった他は、私としては大満足しております!」
「……入学式の翌日に、なにかあったのかな?」
お父様が心配そうな顔でメイシーを見た。メイシーはちょっと躊躇いがちに、説明をするために口を開いた。
「えっと……ドメル先生から第1研究棟のオリエンテーションを受けている最中に、とても気になる動く大きな石像を見てしまい、我慢できず、つい魔術で石像を止めてしまったのです。ドメル先生が床を砂漠にして、石像を受け止めてくださったので、何とか破損は回避できたのですが……。先生に呼び出され、私のオリジナル詠唱に関して尋ねられまして」
「あの簡略化の方法だね?」
「そうです。それでその、ドメル先生にはとても価値がある情報だったようで、契約の魔術を結び、先生から他人へ口外しない代わりに、詠唱のやり方をお教えしました」
「なるほど。口外しない、か……。ドメル教授は詠唱の秘匿を重視しているようだね。いかにも王室寄りの考えだなぁ。私からすると、秘匿はナンセンスだ。学園でメイシーが魔術師たちと交流し、積極的に開示すべきだと思うがね」
「私も、同じように考えました。でもドメル先生は、私が誘拐されないかと心配くださったのです」
「そうだねぇ……。情報が開示されても、おそらく大半の魔術師にはメイシーの詠唱方法は実現できないだろうから、私の考えでは、メイシーが特別視されて、却って誘拐だの犯罪だのに巻き込まれる可能性を下げると思ったがね。まあ、未知のものに出会った人間は、少なからず消極的な選択をするものさ」
「なるほど……。では、一旦はドメル先生のご指示に従いますが、私の詠唱が知られても、あまり問題ないのですね?……安心いたしました」
「うん、教えを請われたら、話してあげてもいいと思うよ」
メイシーは、お父様の考えを聞き、何だかホッと肩の荷が下りた気がした。
秘密にし続けるには、これからの学園生活で支障が大きいと思ったのだ。
(あ、そうなれば、私は自由に他の方々の実験に参加したり、授業にも出られたりするわよね?)
メイシーの表情は一気にパアッと明るくなった。
「お父様!私、これからはもっと自由に学園で学べそうです!」
「そうだとも。私達は、メイシーがやりたいようにやってくれることが一番の喜びだよ」
お父様とお母様が、顔を合わせて笑い合い、2人揃ってメイシーを優しい表情で見つめた。
「ありがとうございます!それで、早速また新しい魔術具を考えてみたのですが、お父様とお母様にもお見せしてよろしいですか?今回は、ドメル先生、ヨゼフ様、ラグナーラ様もご意見をくださったのです!」
「楽しみだな、メイシー。…ところでヨゼフって、メナージュ侯爵家の?」
「はい、そうです……」
メイシーがちらりとお母様の方を見た。
お母様は、ふうっとため息を一つつき、こう言った。
「レナルド、私も先程聞いたのだけれど、メイシーはヨゼフ・メナージュにすでに結婚を申し込まれたそうよ」
「………………なに?」
お父様がまた、絶対零度の冷気をまとい始める。
「えっと、あの……」
「………………やらん」
「お父様……?」
「メイシーは絶対に嫁にやらん!!!」
お父様はそう言って、食堂内をみるみる冷凍庫のように凍らせていく。
「落ち着いてレナルド。まだ時間はあるわ、私達家族にとって一番良い方法を考えましょう?」
立ち上がったお母様がお父様の手を取り、優しく背中をさすりながら声をかけた。
メイシーは、ここまで怒っているお父様を見たことがなかったので、ただただ驚き、おろおろと2人を見つめた。
「貴方にとって私が居るように、メイシーにも、たった一人の誰かを見つける権利はあるはずよ」
「………ぐぅっ!」
「メイシーは賢い子よ。学園に入学させるのを、何年も先送りにしてきたけれど、私達もそろそろ子離れしなければ、と言って、身を切る思いで手を離したのは、メイシーに幸せな選択をしてほしかったからでしょう?」
「………そのとおりだ」
「では、私達は待ちましょう?……気に入らない人間を少しばかり甚振ったり、排除したりすることは、メイシーに知られなければ、大した問題ではないもの」
お母様はそう言って、お父様をぎゅっと抱きしめた。
お父様は少し落ち着いたようで、お母様の顔の方を向いて、二人でしばらく見つめ合っていた。
「……はぁ。メイシーの幸せこそ私達の幸せだ。取り乱して悪かった。メイシー、セリーナ」
最後のお母様の言葉に、若干の不穏さを感じはしたものの、メイシーは、お父様とお母様の溢れる愛情を感じ、胸が温かくなった。
「私……結婚なんて想像できません。お父様のお仕事を手伝うし、ずっとこの家に居てもいいでしょう?」
「うぅ……メイシー!!」
お父様は、たまらず立ち上がり、近づいてメイシーを抱きしめた。
「やっぱり嫁にやりたくないし本当は学園に入れるのも、心配だ……!」
「お父様……」
メイシーは、少し考え、お父様に話しかけた。
「あのね、お父様。今はドメル先生と契約の魔術を結んでいるから、他の方の実験や他の棟の授業に、ドメル先生の許可なく行くことはできません。私は第1研究棟の、与えられた実験室にこもりきりなのです。お友達と先生が3人で訪ねては来てくれますが、今までとあまり変わらないですよね?」
「それは……そうだな」
「本当は、いろいろな講義や実験に興味はありますが、学園内の実験室も良いものだ、と思っているのです!まず、貴重な素材が使えます!それに、3人から面白い意見がもらえます!ですので、当分はこのままでいようと思います。新しい授業に参加するときは、少しずつにして、お父様によく相談しますわ。
そのかわり、面白い素材があれば、是非私に融通していただくよう、学園長先生にお願いしてくださいませ!」
「メイシー……」
お父様は、メイシーの意見に少し安堵したようで、お母様も、和らいだ表情をしていた。
こうして、メイシーの実験室にはたくさんの貴重な素材が集まることになり、メイシーは嬉しい悲鳴をあげたのだった。




