たしなみ1
「奥様、私は常々不思議なのです。どうしてメイシーお嬢様は、いつも突然、突拍子もない話をなさったかと思えば……驚くような早さで、願いを実現してしまわれるのでしょうか?」
「そうね……あの子はまるで別の世界でも見てきたみたいに、色んなことを知り尽くして話すから、私達大人は呆然としてしまうわ。
あの子が5歳のときに突然、『あれもこれも汚い!どうしてトイレはおまるなの?』と騒いで怒り出したときは、心底びっくりしたもの。
今も、普通の女の子が好きそうなことには、全く興味がないけれど……あの子はいつも楽しそうにしてるわ」
ふふふ、と可笑しそうに笑う貴婦人と、少し困ったような笑顔をする侍女。
木漏れ日の落ちる穏やかな春の日。
候爵家自慢の庭園のガゼボで、自分のそんな話がなされているとはつゆ知らず、メイシーは実験用として使っている質素な離れの小部屋で魔獣の素材の実験をしていた。
「ヘルハウンドの毛皮には毒耐性があるから…」
長年鉱山で働く坑夫には、慢性毒の症状が出る者がいると聞く。
メイシーは、毒耐性のある毛皮を使って口を覆うマスクや体を守る防護服を作れないかと考えているところだ。
大きめの瓶に木綿の布の切れ端とヘルハウンドの毛皮と、温めると毒が出る石を入れて蓋を締め、瓶の底から蝋燭の火を当てた。
「布は色が変わってきたけど、ヘルハウンドの毛皮は変わらない」
つまり、毒の空気が満たされた空間では、ヘルハウンドの毛皮は防毒効果を発揮するということ。
「坑夫さんに売れそうね?」
淑女らしからぬ表情でニヤリと笑う少女は、この春から王都の魔術学園に通う予定の、れっきとした侯爵令嬢だ。
13歳にして、この国の基準としては異例の早さで学問を修め、「もっと魔術や魔術具について知りたい」と侯爵……お父様に頼み込み、通常なら18歳から入学できるはずの魔術学園に潜り込む予定だ。
「学園に行けば、もっとたくさん実験できるよね!」
(実験費用は学園が出してくれるかしら?)
メイシーはニコリと、まるで恋する乙女のように微笑むと実験の続きに取り掛かろうとした。
「メイシーお嬢様」
そこに、控えめなノック音と彼女を呼ぶ声がした。
「ノア、なぁに〜?」
「これからダンスとフルートの先生がいらっしゃいます」
「げ……私のお楽しみ時間が終わってしまうのね……」
がっくりと肩を落とし、扉を開けて廊下へ出た。
危険な実験もするため、ノアには扉は勝手に開けないように伝えているからだ。
「あら、今日は一度のお声がけで出てきてくださりましたのね?」
ノアは茶色の瞳を大きく開いて驚いた表情でこちらを見ていた。
くりっとしたヘーゼルナッツ色の瞳とツヤツヤの髪がとてもきれいな、私専用の自慢の侍女だ。
「ノア、坑夫さんたちに売れそうな素材をどうやって売るか一緒に考えてよ」
メイシーはノアの小言じみた言葉をまるっと無視して、ウキウキした様子で廊下を歩き始めた。
「お商売や魔術や魔術具にそこまで熱心な帝国女性はお嬢様くらいなものだと思います……」
ノアは呆れた様子でメイシーを見つめ、スキップでもしそうな彼女のあとを足音を立てずに付いていく。
「いやぁね、こんなのはたしなみの一つよ!」
メイシー・マクレーガンは侯爵令嬢でありながら魔術研究者、実業家の顔を持つ13歳の少女だ。
でも誰にも言ったことはないが、実は………
幼いときから前世の記憶がある。
メイシーの前世…日本人の女性は、薬剤研究者として製薬会社に勤めていた。
不運にもその28年の人生に幕を下ろしたが、次に目覚めると5歳の少女になっていたのだ。
前世の記憶を取り戻したあとの彼女は行動が早かった。
「不衛生!」
「ここも!あれも!」
「これも不衛生!」
メイシーの目(現代日本の成人女性)からすると、この世界の衛生観念は許容し難く、特に最初はトイレがおまるであることや上下水道が通っていないことに、まるで鬼か般若のような顔をして怒っていた。
この世界には魔術があり、水道は蛇口から水の魔術で出していることや、下水やゴミは魔術で一箇所に集められることを知って少し溜飲が下りたものの、それも貴族街に限られることなど、種々の「常識」を教えてもらって、メイシーの表情は暗くなった。
「魔術だけじゃ皆に行き渡らないなら、どうして国をあげて上下水道の整備をしないのよーーーー!」
これは5歳の少女の言葉である。
まずは何が何やら分からぬうちに、侍女や侍女長、執事がメイシーに呼び出された。
部屋には妙な威圧感を醸し出してソファに座る5歳のメイシーお嬢様がいた。
「ちょっと聞かせて?」
「は、はい、お嬢様」
「貴族街と平民街で生活インフラはどう違うの」
「生活いんふら…と申しますのは?」
「うーんと、そうね。では質問の仕方を変えるわ。貴族街と平民街の道路の様子とか電気、水、ガスなんかの使い方の違いを教えてくれる?」
「は、はい…貴族街では水は、生活魔石を使って決まった場所から出して使います。たとえば当屋敷の厨房や洗面所、浴室、庭園の数カ所には生活魔石が設置され、我々使用人どもはそちらから水を出しております。
しかし平民の家では一般的には魔石は高価で使えないため、水は近くの井戸や川を利用しています。電気やガス、は分かりません……。
道路は貴族街はすべて石が敷かれていますが、平民街では郊外へつながる幹線道路のみで、それ以外は敷かれていません」
「なるほど。では平民は用を足した後や生活排水をどう処理しているのかしら?」
「よ、用を足したあとでございますか?お嬢様にこのようなお話は…」
「いーいから!教えてって言ってるでしょ」
ギン!とまるで悪鬼のように執事を睨みつけると、執事や侍女たちは「ひぃっ…!」と声を上げて震え上がった。
今のメイシーを止められるものなどどこにもいないのだ。
「し、失礼いたしました。平民たちには家に用を足す場所はなく、区画ごとに公衆トイレがございます」
「それは汲み取り式?」
「いかにも。月に一度魔術師が清掃に向かうことになってはおりますが……低位の魔術師にも、この仕事は忌避されがちで……」
「不衛生なままで放置されてる、と?」
「左様でございます」
メイシーは執事たちを仕事に戻るように伝え、その場でしばらく考え込んでいた。
(やっぱり下水道を通して清潔な水洗式トイレを普及させなきゃね)
メイシーは、その夜帰宅したマクレーガン侯爵夫婦を玄関で待ち構えた。
「お父様、おかえりなさいませ」
「あぁ!可愛いメイシー、ただいま。夕食はもう済ませたかな?」
「いえお父様、まだです。それよりも私、貴族街で一箇所に集められた下水が魔術でどう綺麗になるのか知りたくて待っていたのです」
「ん…んん?」
青い瞳をランランと輝かせ、メイシーは候爵に詰め寄った。
「汚いものを綺麗にする魔術は難しいのですか?」
「そうだな…まず魔術の適性がないと難しい。水の魔術や風の魔術、火の魔術や光の魔術などを組み合わせてものを美しく保つから、全ての適性がある者がやるか、違う適性がある者が集まって魔術を行使する必要があるね。
……って、なんでこんな話になったんだい?」
「メイシー、お父様はお疲れよ?ひとまずお支度を済ませて食事にしましょう」
そう言うお母様は疲れた様子を全く見せずに美しい所作で私の前に膝を折り、目線を合わせてくれた。
「お母様、おかえりなさいませ」
「ええ、戻りました、メイシー。貴女、朝会った時と雰囲気が違うわ。少し会わない間に、ずいぶんと面白いことを思いついたのね?」
「はい、お母様。私…やるべきことを色々と考えておりました」
ギン!とメイシーの目が据わり、何故か周囲に不穏な空気が流れる。
「あらあら、怖いお顔。淑女はいつも口元に微笑みを絶やさないものよ」
「うーん……そうですか……。では私、穏やかな淑女は諦めても良いですか?研究者か実業家になって、自分が生きやすい世の中にしたいんです」
以上、メイシー・マクレーガン侯爵令嬢、5歳。
春のある日の出来事だ。
「お嬢様、くず魔石の各家庭への供給計画と、下水管工事の計画のスケジュールが整いました」
7歳になったメイシーは、寝室の隣に設けてもらった執務室の大きな執務机に向かっていた。
「ありがと、ここまで来るのに本当に苦労したわぁ……グリュイエール宰相とか、マヴァン魔術長官の嫌がらせに耐えて」
メイシーは、はぁぁ〜、と盛大なため息を付くと、あるときはお付きの侍女であり、用心棒でもあり、またあるときは優秀な右腕でもあるノアから受け取った計画実行書にサッと目を通した。
「……嫌がらせに耐えることなく、不要と判断したお嬢様がバッサリと彼らのクビを飛ばした、の間違いでは?」
「こーら☆そんな物騒なこと言わないの!物理的に飛ばしたみたいに思われるでしょ?」
「……」
ふふふ、と困ったように笑うと、メイシーは次々と計画書の穴や疑問をノアに投げかける。
「まず平民および貧民に仕事を回すことがこの計画の一番の目的なの。これは公共事業と言って、資金は協賛貴族の私費や国、我が侯爵領の税金から出すのね。だから資金計画は狂いが出ないよう、なるべく綿密に立てたいの。
この資料では、どれくらいの人数にどれくらいの期間仕事を融通できるのかの試算が少し甘い気がするわね。
……工事の工程数や必要人数の具体化、資材の運搬にかかる人数・距離・日数、ざっと今でもこれだけ思いつくから、丁寧に要素を一つずつ書き出してくれる?書き出したあとはお父様にも確認を取ってね」
「かしこまりました」
「くず魔石に水の魔力を込められる人がまだ足りないわね……。魔石の回収の方は、冒険者ギルドに伝えて、どんな小さな魔石にでも値を付けると決めたから、わりと集まっているんだけど」
「貴族ではなく平民から募るのはいかがでしょうか?平民にも微弱な魔力を持つ者はある程度存在します。
教会で魔力の測定を行い、水の魔力に適正のある者が出た場合は、仕事を少し色よい賃金で斡旋するなどすれば、すぐに集められるかと」
「あぁ、それはいいわね!採用!ありがとうノア!」
「恐れ入ります」
「今の話をどんどん進めましょう。私はお父様にお話をしてくるわ」
「かしこまりました、お嬢様」
ノアがスッと頭を下げ、部屋を出ていく。
発案はメイシーだが、7歳の少女が話しても誰も相手にしてくれないので、父であるマクレーガン侯爵がこの公共事業の発案者でもあり、推進者なのだ。
(はぁ……死んだら天国でダラダラしたいと思ってたけど、いつの間にか面倒事に巻き込まれてるわ……。国中どこにでも安全に旅行ができたり、美味しいものを食べられたり、清潔な暮らしができたり……。そういうのが私にとってのささやかな幸せなのに……!)
メイシーは、その「ささやかな幸せ」のために、まず下水道を整備し、浄水用の国民全体へのくず魔石供給、ついでに道路整備や快適な乗り物の発明などなど、あらゆる物事をどんどん推し進めていった。
メイシー12歳、春。
「はぁ~!ついに王都とその周辺は下水管の敷設と下水処理場の設置ができたわね!」
「素晴らしいです、お嬢様」
「やだ、珍しいわね?貴女が私を褒めるなんて」
メイシーが少し驚いてその青い瞳を見開くと、ノアはとても感慨深げに、貴族街の塔の最上階から見える街の様子を眺めてこういった。
「もし……もし、10年前に下水道ができていれば、母も助かったかも、と思いまして」
「……ノア」
メイシーも、ノアも、それ以上何も言わなかったけれど、二人は出会ったときのことを思い出していた。
〜〜〜〜
メイシー5歳、冬。
貴族はほとんど寄り付かない平民街へ初めて視察に出たメイシーは、お付きの従者達の制止も聞かずに街を走り出した。
(冬だというのに街全体から異臭がするし、表通りでも粗末な建物がちらほらしてる。これなら裏通りはどんな状態だか…!)
メイシーは人通りの少ない路地裏に入り、倒れている人を見つけた。
「あなた!倒れたの?だいじょ…」
メイシーはハッとして、触れた腕の細さに驚愕した。
(この子、飢えてこんなに…)
「…貴女、ご家族は?」
「死、んだ…」
蚊の鳴くような小さな声が聞こえ、メイシーはこの子が生きていることに少し安堵した。
「…ごはん、食べに来ない?」
いても立ってもいられず、追ってきた従者に頼み、その少女を馬車に乗せ、屋敷に連れ帰って温かい食事をふるまった。
屋敷の使用人たちは困惑したものの、メイシーが真剣に頼み込んでくるのを無下にはせず、受け入れる準備をしてくれた。
「なぜ、こんな少女が、冬の路地裏で、寒さと飢えに、震、えて……」
メイシーは目から涙をボロボロこぼしながら、わんわんと泣き始めた。
悲しみと無力感と、よくわからない感情で胸が一杯になり、メイシーは少女の棒のような体を抱きしめて泣きじゃくった。
少女は空腹を満たし、温かい風呂にも入れてもらい、侍女の寝巻きを一つ借りて着せてもらった。
「しばらくうちでゆっくりしたら?身体が起こせるようになったら、これからのことを考えましょ」
「…ありが、とう」
この少女は療養の後、健康を取り戻し、メイシー付きの侍女兼護衛となった。
〜〜〜〜
「メイシーお嬢様、平民街をここまで清潔で美しくしてくださり、本当にありがとうございます」
ノアはピシッと伸ばした背筋のまま、綺麗にお辞儀をした。
「いいのよ、これはほんの、ただのたしなみなのだから」
メイシーは楽しそうに笑うと、ノアの腕を取り、平民街に向かって歩き始めるのだった。




