八十五話 六袋の書
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目を開けると見慣れた天井だった。
起きようとすると身体中に痛みが走り起き上がることができない。
「目を覚まされましたか。2日ほど眠っておられましたぞ」
「ツナ坊ちゃん。えらい無理したんやって? 止めへんかったキイチはんはウチが怒っといたからな。今はしっかり身体を休めることだけ考えて寝とき」
枕元の左側には師匠が、右側には俺の手を握っているサイカが居た。
どうやらあの後すぐに意識を失ってしまっていたようだ。
「骨折や刀傷などの怪我は某の方でよく効く薬を使って既に治させていただきましたが、疲労や肉体を酷使した痛みなどは抜けて居らぬでしょうからな。今はしっかりと休んでくだされ」
骨折......。そういえば最後は懐に潜り込んだ時に刀を左肩で受けたな。
あれで骨が折れてたのか。
ぼんやりとあの修行を思い出して左肩を少しだけ回すと痛みはあるが骨が折れているような感覚はなかった。
今までも何度か使われたことがあるが薬で骨折が治るってとんでもない薬効だよな......。
俺は命素量が少ないからか魔法での治癒がかなり効きにくいようで、治療に使われるのは主にクラマ山で採れる動植物や鉱石で作られた特別製の薬らしい。
物凄い薬効なのだが、飲み薬は気絶しそうになるくらい苦いし、塗り薬は涙が出るほど沁みる。
良薬、口に苦しどころか、劇物の如しだ。
一度師匠にもう少し負の面をなんとか出来ないかと相談したところ、薬を使いたくなければ怪我をしないように立ち回る事だと言われ、師匠が改善する気はないことを悟った。
「キイチはん? まだ言う事あるやろ?」
「うっ......。ツナ殿。途中で止めに入らなかったこと誠に申し訳ない。本来ならばクラマ殿に傷を付けた所で合格とするべきだったのですがな。このままツナ殿がどこまでいけるのかと見てみたくなってしまいました」
サイカにジト目で詰められて師匠が少し苦笑いを浮かべながら俺に謝罪した。
どうりで普段なら止めに入るような傷を負っても続いていたわけだ。
「まさか幻術に多少の力を割いていたとはいえ、あのクラマ殿を倒せるとは思いませなんだ」
「それって下手したら俺が死んでたってことですか」
「い、いや、流石にそうなる前には止めに入りはしたでしょうぞ。ただ腕の一本は飛んでおったやも......。む、無論そうなっても早いうちならば秘伝の薬で何とか繋げられるので安心してくだされ」
「えっ」
「そんなん誰が安心できるかー!!」
師匠の言葉に俺が絶句しているとサイカから鋭いツッコミが入った。
しかし骨折や外傷は今まで何度も治してもらったことはあるが、薬で千切れた腕を繋げられるのは凄まじいな。
それはもはや本当に薬なのか? と疑問に思わないでもないが、陽属性の治癒魔法が珍重されているせいもあってか、未だまともな外科手術の無いこの世界では治癒魔法の効きにくい俺にとっては唯一無二の回復手段である。
そんなことを考えているとグゥウウウウウ~と大きく腹が鳴った。
「だいぶ血を失っておりましたからな。肉を用意しましょう」
「それやったらウチが食べやすいように肉粥にするわ! ツナ坊ちゃんがよう言うてた栄養ばらんすを取れるように野菜も細かく刻んで入れたやつ!」
おー。美味そうだ。
と、完成した料理を想像したらまた俺の腹が鳴り三人で笑い合った。
それから少ししてサイカが作った肉粥を食べさせてもらった。
電気治療を掛けているが動かす度に身体中が痛むためだ。
ニオノ海での毒の治療で行った神経を麻痺させる痛覚遮断はあくまで緊急時の処置のようなもので、常用していると無痛無感症のような副作用が出る可能性があるため普段は使わぬようにしている。
一度自分で食べようとして痛みで匙を落としてしまったのでサイカに強引に押し切られた形だ。
俺としてはかなり恥ずかしいのだが、身体が飢えていたこともあり甘んじて受け入れることにした。
もう前世と合わせると40近い歳だというのにフーフーしたものをアーンと食べさせられる経験など羞恥プレイのようなものだが美味しかったし多少は嬉し......いや、何でもない。
まあとにかくサイカの作った肉粥は美味しかった。
蜆の煮汁をベースに干した大根や乾燥させた野草などを細かく砕いて、微塵切りにした猪肉と一緒に白米と煮込んだものだ。
お粥は水分が多いためにどうしても薄味になりがちだが、蜆の煮汁の塩気が効いていて猪肉の旨味が良く引き立っていた。
「美味しかったよ。サイカも料理の腕がさらに上がったね」
「えっへへ。そうかぁ。そう言うてもらえたら蜆と猪の料理を自分なりに色々試した甲斐があるわぁ! おおきにな!」
料理の腕を褒められたことに満面の笑みを浮かべて喜ぶサイカを見て俺も嬉しくなった。
「さて! じゃあ次は身体拭こか~!」
「はっ!? いやいや、それは動けるようになったら自分でやるからいいよ!」
「遠慮せんでええって。昨日も拭いてるし。それ言うたらツナ坊ちゃんが眠ってた3年間はしょっちゅうウチかサキ様が服を脱がせて全身を拭いてたんやで?」
「!!?」
マジか!? 知りたくなかったなぁ......。
療養中には仕方ないことではあるが、まだ未熟な身体とはいえ知らぬ間に妙齢の女性達に全身を拭かれていたのは気恥ずかし過ぎる。
あと数年もすれば元服の身なのだ。
今は鞍型便器があるが、排泄の後に老女が務める厠女に尻を見られていた頃とは訳が違う。
きっとサイカも母上と同様に親心からの行為だろうけれど、俺の前世の事も聞いているだろうにせめて心の内に秘めておいてくれよと思わざるを得なかった。
その後、なんとか固辞して身体中に走る痛みを痩せ我慢しつつ、濡れた布を使って自分で拭き終えるとそのまま布団の上に仰向けに倒れた。
せっかく拭いたというのにゼーハーと息があがってまた汗を掻いてしまいそうだ。
一部始終を見ていたサイカからは「やっぱり男は恰好をつけたがるもんなんやなぁ」と笑われた。
「さて、休んでいる間は退屈でしょうからツナ殿にこれをお貸ししましょう。クラマにさえ置いていてくれればご自由に読んでくださって構いませぬ」
「巻物、ですか?」
師匠が寝ている俺の枕元に3本の古びた巻物を置いた。
「某が秘蔵している『六袋』という兵法書で全三巻に文・武、龍・虎、豹・犬と分類された戦略戦術だけでなく戦を起こす為の国作りから兵の鍛え方なども網羅してある巻物ですぞ。人を殺める覚悟を持つことが出来た今のツナ殿ならば読んでも問題ないと判断しました」
「ありがとうございます。ですが秘蔵の書を俺なんかが読んでも良いのでしょうか?」
「ええ。戦の無い平和な世界の倫理観をお持ちのツナ殿であれば、書の知識を愚かな使い方はせぬでしょう。ただし、この書の事は他言無用で頼みますぞ」
「はい!」
『六袋』を読んでみると師匠の言った通り戦闘に関するあらゆることが書かれていた。
今後、対魔獣だけでなく個人同士、軍勢同士で戦うことがあればこの知識は非常に有用だ。
たしかにこれを強欲な者が手にすればこの世界を今以上の戦乱と混沌に陥れることも可能だろう。
俺は書の内容よりもそんな危険性もある書を師匠が貸してくれたという信用が嬉しかった。
この日と翌日は身体を休めるために寝転びながら『六袋』を読んで過ごし、土曜日にはいつも通りに皇京にあるトール家の屋敷へと帰った。




