八十二話 少納言セイ・アレス
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長月のある日、俺はルアキラ殿に伴われて皇京のアレス邸へと呼び出されていた。
呼び出しの主はアレス家の当主カリマタ・アレス殿の本妻。
『魂蔵草子』の著者でもある少納言のセイ・アレス様だ。
彼女の写本をキイチ師匠の土産に使った事があるくらいしか接点は無く、呼び出しに応じて欲しいと言われた時は全く身に覚えが無かったので驚いた。
ルアキラ殿からは「申し訳ありません。極めて優秀な審美眼をお持ちのお方でして、以前に考案者だと連れて行った職人を替え玉だと見抜かれ本物を連れて来いと命じられてしまいました......。人となりは保証できるのですが、ツナ殿に何を言い出すかは私にも想像がつきません」と聞いている。
爺ちゃんからは「あの娘であれば厄介事の類では無かろう。単に考案した者に会ってみたいと思っただけじゃろうから余計な心配はせぬことじゃ」と笑って送り出されたので過剰な警戒はしていないが内心ではビクビクだ。
アレス邸はうちの屋敷と同じような造りで、広さもそんなに変わらないように感じた。
武の御三家で差が出ないように同じ仕様になってるのかも知れないな。
などと感想を抱きながら、寝殿の母屋へと通される。
部屋の中は仄かに煙と柑橘系の匂いが漂っていた。
御簾越しに相手が居ることを確認するとルアキラ殿の斜め後ろに座る。
「セイ様。先日は大変失礼いたしました。こちらがお呼びなされていた例の物の考案者ツナ・トール殿です」
「ツナです。セイ・アレス様。以後お見知りおきを」
ルアキラ殿の挨拶に合わせて、俺は座ったまま両手で一歩分前に出てルアキラ殿に並ぶと、深々と頭を下げて挨拶をした。
「ふむ。妾がセイ・アレスじゃ。随分と若いの? 其方がアレの考案者とは真か?」
「はっ。真にございます。蚊取り線香は私が考案致しました」
そう。俺は今回蚊取り線香を考案した者として呼び出されたのだ。
材料自体は5歳の頃には揃っていたが、殺虫するための適切な配分や燃焼時間の調節などで1年以上の研究を経て生み出されたものの、俺がその恩恵に預かる前に3年間も眠ってしまったのだ。
目を覚ますと他のルアキラ殿達と作った道具と同様、一般的な貴族の屋敷には殆ど普及していると聞いて少し感動した。
「では幼い其方がどのようにしてこれほどの神器に思い至ったのかを聞かせてたも? 妾はこれが世に出るまではあの憎き虫に毎年毎年煮え湯を飲まされておったのよ。執筆中は数名の侍女を侍らせて常に監視させたこともあったわ。そっちのほうが気が散って書けなかったのは今となっては笑い話よ。ほほほ」
セイ様は蚊に狙われやすい体質だったようで蚊取り線香に救われたのだという。
この世界のこの国の蚊は瘧疾、つまりマラリアの感染源となっていて大変厄介な存在なのだ。
俺が小さい頃に蚊取り線香に拘り、クラマの山中やトールの屋敷内でも常に人間電気殺虫器になって蚊を殺していたのはそれを幼少期に聞かされての事だ。
長年苦しめられていたのだからどのように対抗策を見つけ出したのか、どうやってその発想に至ったのかは気になるのだろう。
俺としては前世の知識と夏休みの自由研究などという幼稚な経験なのだが、いくら武の御三家で共闘している関係の家柄でもその話をするわけにはいかない。
その為、ここに来る前にルアキラ殿としっかりと隠蔽物語を練ってある。
「はい。実は私は3歳の頃からクラマに預けられておりまして、あちらでは虫除けに針葉樹の葉を燃やして煙を焚くことがございました。そこで植物の葉にはそういった効能があるのだと知り、勉学を教えて頂いているルアキラ殿に殺虫作用のある植物をご存じないかとお伺いしたのが始まりです」
「なるほどの。確かに皇京のような市中ではともかく自然豊かな山中ならば使える木も沢山あろうとは想像がつくわ」
セイ様はふむ。と頷いてしっかりと聞いてくれているようだ。
「はい。それからが大変でした。たくさんの植物を燃やしてはその煙で蚊が死ぬかを確認してと途方もない数を繰り返してくださったそうです。そしてコウボウ殿が彼方の国より持ち帰ったある植物にその成分があると突き留めてくださったのです!」
「それは大変な苦労よの。ルアキラ殿、後で妾から感謝の品を渡す故に協力した者たちを今からでも労ってくだされな?」
「有り難く頂戴いたします。セイ様のご厚情に皆感謝することでしょう」
俺の作り話で感謝の品を貰うのはちょっと心苦しいが、実際に年単位の時間をかけて研究して完成させてくれた人達は居るし、丸っきりの嘘ではないからな。
貰える物は貰っておいて損はない。
「そして突き止めたその異国の植物はまるで菊の花のような見た目だったことから、虫を除く菊でジョチュウギクと名付けられました。そこから長い時間煙を出させるにはどんな物を混ぜればいいかなどで更に時間が掛かり、最終的に粉状にしたものを混ぜ合わせ、粘土の様に伸ばして乾燥させるという手法を編み出し、私の幼稚な発想から実に2年を経て完成に至ったと聞き及んでおります」
「一朝一夕に出来る物では無いと勘付いてはおったが......2年とは。幼子の自由な発想。研究者の思考錯誤。よくぞ形にしたものよ......。とても創作意欲が刺激されたわ! ルアキラ殿、そしてツナ! まこと大義よ! 妾の力が借りたくばいつでも訪ねるが良い」
「「ありがたく存じます」」
お褒めの言葉を頂き、俺とルアキラ殿が2人揃って頭を下げる。
「うむ。とても面白い作り話だったわ! 嘘と真の配分が絶妙よ! 嘘の部分も真実味を帯びているのが素晴らしい! 其方らは創作の才能もあるのじゃな!」
「「は?」」
セイ様から突き付けられた思わぬ言葉に俺とルアキラ殿は2人して呆気にとられていた。
「妾は物書きよ。語られた話の中から真贋くらい見極められる。それで幼いツナが考案したことは真だと分かった故、何か言えぬ事情があると察したわ。詮索はせぬし面白い話を仕立てた礼に先ほどまでの言葉は妾も嘘ではない。いつでも力を貸すと約束するぞ。ほほほ!」
御簾の向こうに居るセイ様が上機嫌に笑いながら口元に扇をあてている様子が分かった。
聞いている段階で既に作り話と見破られていたのか......。
よくよく考えれば合点はいった。
セイ様は上位の貴族として常に皇京中の様々な人々から取り繕った話を聞くことがあり、なおかつ自身は現実と虚構を織り交ぜた物語を創作しているのだ。
こちらもルアキラ殿から知恵を借りてはいたものの、話作りの経験値が違い過ぎたということだろう。適わないなぁ......。
隣のルアキラ殿も苦笑いしている。
言えぬ事情がある為に仕方ないとはいえ、二度も騙したというのにこのとんでもない看破力を持つお方が敵に回らず済んで良かったと思っているのだろう。
その後は俺が気が気ではない事を察したセイ様に息子のムラマル殿の事や修行に来ていた際のエタケの話など取り留めもない世間話を聞かせてもらってから屋敷を後にした。
「とんでもない方でしたね。最後に敢えて見破ったことを明かされたのも、隠し事をするのにはまだまだ脇が甘いとご教示くださったのだという気がします」
「ええ。流石、太宰府に居るご当主から皇京のアレス家の事を全て任されているお方ですね。武の御三家であるアレス家の配下を力ではなく智で治めているのは彼女あってのことでしょう。情報の隠蔽には私ももっと気を引き締めねば」
内政における女傑の凄まじさを思い知らされ、俺たちは帰りの牛車で二人して苦く笑っていた。
そういえば実は既に知らずのうちに俺も蚊取り線香の恩恵を受けていたようで、寝ていた3年間、夏場は俺の為に使ってくれていたと帰りにルアキラ殿から教えてもらった。
日頃から様々なことに協力頂いている研究者の皆には感謝しかない。
俺は牛車の後ろに続く荷車を見て、今日の礼として貰った太宰府のあるクコクから送られてきたという珍しい素材や食材を見て喜ぶ研究者たちの顔が目に浮かんだ。




