七十九話 イハシミズ放生会
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皇京八流剣術を会得している狒々たちと一対多で戦う鬼畜のような修行が始まってから早くも3か月が経過して、季節は夏の真っ盛りの葉月の15日になっていた。
今日はイハシミズ八幡宮で勅祭である石清水放生会が執り行われる日だ。
どうやらイハシミズ八幡宮は父上と関係深い場所らしく、父上は新年には毎年一人でお参りをしているそうだ。
まだ周囲が見渡す限り闇と静寂に包まれている午前2時頃だが俺は兄姉妹やサキ母様と一緒にオトコ山の山上にある本殿の儀式に参列している。
普段はサキ母様は近衛として内裏で主上の護衛に付いているのだが、今日は新人に経験を積ませるという事で古豪たちと新人たちの組み合わせで警護しているらしく、せっかくなので子供たちとお祭りの方に参列することにしたそうだ。
それにしたってこの時間から参列させる事は無いだろう。
キント兄なんか眠気に勝てないようで、さっきからうつらうつらと立ったまま舟を漕いでしまっている。
体幹が良いのか決して転ぶ事が無い様はまるで電車で吊革に掴まったまま眠っているサラリーマンのようだ。
「この石清水放生会は生きとし生けるもの全ての平安と幸福を願う祭儀なの。今はあの3基の御鳳輦に3座の神霊を奉遷する儀式をしているんですよ」
御鳳輦とは屋根に鳳凰の飾りがついた天子の車だ。神皇が移動に使う牛車や輿も同じ形をしているがこの勅祭で使われている物は人が担ぎ上げる神輿になっている。
1時間ほどで儀式が終わると不思議なことにさっきまで何も感じなかった3基の神輿に神々しい気配を感じた。
これは神霊が神輿に乗ったということだろうか。
「さあ、行きましょう。これから山を下りますよ」
俺たちを含めて御鳳輦の前後と周囲には合わせて五百人もの人が居る。
この勅祭の間は神人と呼ばれる神役を任された者たちだ。
この五百人が神幸行列として神輿を連れて歩いていく。
一番先頭には御前神人と呼ばれる折烏帽子に袴姿の二名が錫杖を鳴らしながら歩いている。
その後ろに提灯を持った火長陣衆や火燈陣衆、弓や旗を持った御弓神人、御旗神人などが続いている。
サダ姉は御弓神人として、キント兄は大御鉾を持った御鉾神人として参列している。
俺とエタケは童子と童女の役として世話方のサキ母様に手を引かれて歩いていた。
錫杖の音が響く中で闇夜を行く提灯や松明の行列は端から見れば不気味に感じられるかもしれないが、参列している俺は不思議なほど落ち着いていて、寧ろこの行列に参列できていることに心地良さを感じていた。
神秘的というか言葉に出来ない美しさや趣がある。
幽玄とはこういった感覚なのかもしれない。
「エタケは闇の中を歩くのは怖くないか?」
「はい。兄様と一緒だからへっちゃらです!」
暗がりの中で右側で手を繋いでいるエタケに問いかけると、なんとも可愛い返答が返って来た。
「あら。私は?」
「かか様が居るので魔獣が出ても怖くないです!」
「それは私が魔獣よりも怖いということかしら?」
「そ、そんなつもりで言ったのではないですよ!?」
「ふふっ。冗談ですよ」
俺の左側で手を繋いでいるサキ母様が会話に参加して来た。
エタケを挟んで左右に俺と母様が並ぶのが万が一でも何か起きたときに咄嗟の動きを取りやすいと思うのだが、今回はどうしても二人が俺と手を繋ぐのだと言い張ったのでこの並びになっている。
やや気恥ずかしさもあるが、3年の眠りで家族に寂しい思いをさせてしまった罪悪感もあったので今回は大人しく二人の言う通りにした。
とりあえず利き手である右手をエタケと繋いでいるので何かあった時には直ぐに引き寄せることが出来るはずだ。
まだ空は暗いが、行列は山麓にある絹屋殿に辿り着いた。
絹屋殿では篝火が焚かれており、提灯や松明とはまた違った明るさがある。
まるでキャンプファイヤーのように見えたことで前世の学祭を思い出し、あまり良い思い出はないな。などと苦い思い出に苦笑していると、御鳳輦の手前に焚かれた篝火の周囲で神楽座と呼ばれる楽人たちと八乙女という八人の巫女が里神楽を奉奏し始めた。
パチパチと燃え盛る篝火の周囲で楽人たちの奏でる雅楽と神楽鈴の音が響き渡り、闇夜の中で炎に照らされた巫女たちの舞はとても幻想的で魅入ってしまう。
神楽鈴の柄に付いているそれぞれ色の異なる八本の布は、火、風、土、水、雷、陽、陰、無の基幹八属性を表す八色布というらしい。
鈴と八色布、檜扇や頭飾りに篝火の灯りが反射する様はまるで炎をその身に宿しているようにも見え、その姿には神々しさを感じたほどだ。
里神楽が終わると御鳳輦から伝わる神気が一層強く感じられるようになった。
おそらく神楽は音楽と踊りで編まれた儀式魔法の一種なのではないだろうか?
前世のゲームで言うところの神気を高めるバフのようなものだと想像が出来た。
里神楽の奉奏が終わると御鳳輦は神皇の勅使たちから奉迎を受けて絹屋殿から頓宮へ入御し、献饌・供花・奉幣・牽馬などの奉幣の儀が厳修された。
やはりこれらも神気を高める儀式魔法のようで、全てを終えてホウジョウ川に鳥と魚を放つ頃には御鳳輦から溢れる神気が光となって可視化されるほどになっていた。
その光は放たれた生き物たちに影響しているようで、神気を受けた鳥や魚は溢れんばかりの命素を宿し、時間を掛けて自然の中にそれを振り撒くのだという。
俺も御鳳輦から溢れる神気を間近で浴びていたが、残念ながら命素量が増えるなどということは無かった。
鳥や魚に対して俺にもその命素を分けてくれないかと羨ましく思ったのは内緒だ。
俺には何の影響も無かったことに凹んでいるとサキ母様が頭を撫でてくれた。
見上げた際に見えた表情は少し悲し気だ。
もしかしたら母様は俺の命素量が増えるかもしれないとこの勅祭に参列させてくれたのかもしれない。
「母様、俺はこのお祭りに参加できて良かったです。お誘い頂きありがとうございます」
「そうですか......。何かツナに得るものがあったなら私も嬉しいですよ」
俺が礼を告げると慈愛の篭った暖かな微笑みを返してくれた。
もう年齢なども含め転生前のことを知られているというのにサキ母様に強い母性を感じてしまった俺は頭に乗せられた手をギュッと握った。
夕刻になり御鳳輦が再び山上の本殿へと行列と共に還幸するまでの間、俺はずっと母様に手を繋いでもらっていた。




