七十五話 動乱の兆し
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エタケが去った後、時間を持て余している俺は引き続き自習をすることにした。
最近は毒で倒れたこともあって医学について興味が湧いており、医学系の本をよく読んでいる。
中でもスヨリ・タンバという貴族で医者だった人物が書いた『医心望』という全30巻の本の写本が現在の愛読書だ。
俺には前世の家庭医学レベルの知識と衛生観念しかないが、その水準と比較してしまうと中にはトンデモな内容のものもあったりはするが読み物としては非常に面白い。
また医学書という分類なのに美容や仙道に占相、果ては房中術なんかも載っている。
その中で俺が特に興味を惹かれたのが鍼灸に関する巻だ。
特に針治療については著者が鍼博士の役職でもあったことから詳細に書かれており、俺の扱う電気治療の魔法と組み合わせると面白いことが出来そうだと思った。
爺ちゃんかルアキラ殿に頼んで鍼灸師か針師を紹介してもらって詳しく教わりたいものだ。
スヨリ・タンバ殿が存命であれば本人に聞ければ一番良いのだが、今から30年ほど前の著書であるため望みは薄いだろう。
後は明日会う予定のミナ・クジョウ殿に魔獣の解剖書や医学書なんかを持っていないか聞いておきたいな。
書物が無くても詳しい人が居るのであれば書き起こして共有可能な知識にしてしまいたいところだ。
魔獣と戦う人々の生存率を上げる効果がありそうだし、俺個人としても人体の急所を狙う急所攻撃は得意とするところだが、魔獣が蔓延るこの世界では様々な生物の急所も覚えておくに越した事はないだろうからな。
『医心望』を読み耽っていると気付いたころには夕餉の時間になっていた。
久々の我が家での食事を堪能した後は、帰宅した爺ちゃんの下へと話を聞きに向かった。
「バンドーで謀反が計画されているっていうのは本当だったの?」
「いや、陳情しに来た男は何の証拠も持っておらんかったのじゃよ。今は謀反人とされる人物の元の主でもある太政大臣のダヒラ・ジワラ殿が事の真偽を確認すべく御教書をバンドーへと送らせたところじゃ」
御教書とは三位以上の位階の者の意思を奉じて家司に書かせた私信のようなものだ。
本人が直接書いていないうえに差出人も家司になっている。
面倒に思えるが送り手と受け手に身分差がある場合などはこういった形式をとるのが通例のようだ。
「それで今回謀反人とされているのはどんな人なの?」
「ムサシ守オキヨ・アプロ、アダチ郡司ケシバ・ムサシ、そしてバンドーの虎と呼ばれる豪族マサード・イラの三人じゃ」
「!?」
アプロ家のオキヨ様は爺ちゃんの奥さんだった今は亡きプラム婆さんの妹じゃないか。
それにイラ家のマサード殿は俺と同じく内功・放出の両型の魔法特性を持っている人物で北方のオウウ地方に蔓延るイ族との争いに参戦しては戦果を挙げているかなりの武勇を誇る人物だ。
たしか神皇家の血も引いているとかで家格も高かったとか聞いた覚えがある。
いつぞやのバンドー皇子連合の一人だったはず。
同じ両型なのに命素量も高い人物らしいということでかなり情報を集めた覚えがある。
バンドーはイ族と領土が近いこともあって頻繁に衝突が起きていたこともあり、戦功だけなら父上にも負けていないほどの英雄だ。
そんな人物が謀反など画策するだろうか?
「まあ、今はまだなんとも言えん状況じゃな。それにしてもオキヨか......。あやつならもしやと思えてしまうのが......」
「爺ちゃんはオキヨ様について詳しいの?」
「うむ。プラムの妹なのはツナも知っておるじゃろうが、アプロ家の者であるという血筋を鼻にかける高慢な性格で、自分のやりたいように出来ない事があれば篭絡した男どもを使ってどんな下劣な手段でも取りおるんじゃよ。ワシとプラムの婚儀でも好き放題言っておったわい」
うわぁ。爺ちゃんがめっちゃムカついた表情をしてる。
婚儀の際のオキヨ様のワガママがよっぽどだったんだな......。
「歳をとっても未だに見た目だけは麗しいからのう。ドーマン辺りに下法の術を教わったのやもしれん」
前世で言う悪女で美魔女ってやつか。
爺ちゃんにドーマンから下法の術を教わったかもしれないと言わせるほど美を保っているのは凄いな......。
そんな女性とは関わりたくないが......。
俺の身の回りには今のところ良い人ばかりなのでかなり恵まれているのだろう。
その後もバンドー方面の噂や今後の予想なども話し合ってその日は寝るのが少し遅くなった。
翌日、屋敷にミナ・クジョウ殿が訪ねて来てくれた。
対外的には爺ちゃんへの相談事となっているが、実際には俺の見舞いに来てくれたのだ。
俺とミナ殿は爺ちゃんの部屋に居るが、爺ちゃん本人は前日の件でルアキラ殿の所で少し相談をしているらしいので今は二人きりだ。
「お久しぶりです! ミナ殿に白角馬を融通していただいたおかげで無事に生還を果たす事が出来ました! 本当にありがとうございました!」
「ツナ殿。私の方こそ七歩蛇からお助け頂き、また息子の仇を討って頂き誠にありがとうございます。お身体の具合も良くなられたようでなによりです」
抗体培養の為の被検体になってくれた白角馬は最初こそ辛そうにしていたようだが、半年経過後は寧ろ以前よりも遥かに元気になったらしく、後任の厩番になった次男のバル・クジョウ殿は苦労しているという。
ちなみに今でも七歩蛇の死骸はツチミカド邸の研究所で徹底的に調べられているようで、毒の成分や皮の耐性などが研究され続けているようだ。
ただ未だにどこから連れてこられたか、どうやって操っていたのかは分からず仕舞いだという。
あの時に死んだ裏切り者の衛士が陰と風属性の放出型の魔獣使いだったので恐らく意識を奪って音で操っていたのではないかという推測は出来ているらしいが......。
眠っていた間の事や今後についての話し合いを終え、俺は気になっていた質問をすることにした。
「様々な魔獣の急所についての書物ですか......。確かに脳天や心の臓は常識として知っていても、他の急所を知っている者は少ないかもしれませんね。例えば四足の魔獣の多くは鼻が利きますので鼻に攻撃を当てると殆どのものは一瞬怯んで隙が出来ます」
「おお。まさにそういった情報が欲しかったのです! 鼻が利くのであれば唐辛子水を浴びせるのも効果がありそうですね!」
俺は3年の内にルアキラ殿たちが栽培を成功させた唐辛子で作った唐辛子水・改を取り出してミナ殿に一舐めしてもらった。
ちなみに名前が改なのは水だけでなく蒸留酒を混ぜており、より辛さを抽出できるようにしてあるのだ。
「辛ひっ! ツアどにょ! こえは舌が焼けまひゅよ!」
「!? ごめんなさい! そこまで辛い物が苦手とは思わなくて! 水ではなくこちらの椿油を口内で舌で掻き混ぜてから飲み込んでください」
指先の一舐めで普段冷静なミナ殿が驚天動地の大騒ぎになってしまった。
唐辛子の辛み成分は脂溶性だから水を飲んでもあまり意味が無い。
俺が細い鉄筒に入れて持ち歩いていた椿油を飲むことでなんとか落ち着いてくれたようだ。
「ふぅ。大変お見苦しい姿をお見せしてしまいました。出来れば先ほどの事は忘れてください」
「こちらこそすいませんでした。先ほどのことは一切合切全て忘却いたしました」
口の中の辛さも落ち着いて冷静さを取り戻したミナ殿が赤面しつつも普段のように取り繕っている。
顔を赤くした着物姿の淑女が汗を拭う姿はなんというか艶っぽさがあった。
ここまで辛さに弱い人も居るんだなぁ。
まだまだ予定は未定だがカレーなんかを再現が出来るようになったらミナ殿には超甘口で提供しないといけないな。
「たしかにあれほどの刺激であれば人よりも敏感な魔獣などであれば有効やもしれません」
そう言って先ほどの自身の姿を思い出したのかミナ殿の顔色が再び赤くなった。
妙齢の女性なのだが普段との落差にちょっと可愛いと思ってしまった。
「ツナ殿?」
「っ! 綺麗さっぱり忘却しております!」
思っていたことが顔に出ていたのか、ミナ殿にジロリと睨まれたので反射的に誤魔化した。
「ふっ。まあいいでしょう。その水は撒いておくことで魔獣除けにも使えそうですか?」
「どうでしょうね。作物の葉に塗布して虫害を減らす効果はありますが水だと薄まるので魔獣に効果があるかは分かりません。水よりも臭いのキツイ木酢液と混合したものは獣にとって十分な忌避剤にはなりそうですが、魔獣は未知数ですし木酢液はあまり量が取れないですから費用対効果が良くないかと」
魔獣除けかぁ。ルアキラ殿が所有している皇京外の畑だとツチミカド家の陰陽道の弟子達が幻術や結界で獣が寄り付かないようにしているらしいから、科学的な手法は考えてなかったなぁ。
「なるほど。流石はトール家の神童。博識なのですね。魔獣除けに使えるならば我が家の所有する荘園や牧場でも使いたかったのですが......」
「し、神童などとは恐れ多い! というか目立ちたくないのでその呼称は止めて欲しいです! 誰がそのように言っているのですか?」
「あら。そうだったのですか? 先ほど貴方の姉上であるサダ殿とお会いした際に、うちの神童を助けてくれて本当にありがとうございました。とお礼を言われたのですが......」
サダ姉!? なんで神童なんて言い出したんだ。
まさか余所でも言い触らしたりしてないよな......?
俺はミナ殿に断わりを入れて一旦席を外すとサダ姉の部屋へと向かった。




