二十八話 年の瀬と母の愛
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「掛けまくも畏き天空大神 五輪保住御山の大神等 天地神明等 諸々の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を聞こし食せと恐み恐みを白す......」
大晦日。お遣いの帰りにニジョウ大路を通ると、スザク門の人集りの前で祝詞をあげている初老の男がいた。
彼が神祇大副ドーマン・アーシアだそうだ。
初老のような外見だが実年齢はもうかなりのものなのだとか。
一体どうやってあの姿を維持しているのだろうか。
うーん。遠目からだけど噂通りあまり人の好さそうな人物には見えない。
周囲の護衛には武器を持ったガラの悪いのが何人か睨んでいるせいで前列の民衆が委縮しているし。
警備の観点から言えば必要以上に近づけさせないのは正しいのだろうけれど、それなら腰に酒瓶をぶら下げる必要はないだろうに。
為人を知りもしないのに決めつけるのは良くないとは思うが、爺ちゃんたちの言うように怪しい噂の絶えない人物に思えてしまう。
ちなみに俺のお遣いは年末も蒸留器を作らされている鋳物職人と玻璃職人に祝い酒を届けることだった。
爺ちゃんは用事で忙しいので従者にやらせればいいと言っていたが、職人たちには無茶な頼みをしているのだから礼儀は通したいと説得して俺が持っていくことにした。
屋敷からは少し距離があったが牛車は年末で道が混んでいるだろうということで徒歩だ。
俺の目立つ白髪頭は墨で染めている。
大晦日ということもあり皇京の巡回警邏がいつも以上に厳重で、認識を阻害するような物を身に着けている方がかえって怪しまれるからだ。
小さな瓶いっぱいの祝い酒を持っていくと職人たちは恐縮しつつも喜んでくれていた。
親方なんかは期待していると言ったら感涙し始めたのでこっちが驚いたわ。
祝詞を最後まで聞く気はなかったので早々に立ち去ろうと背を向けたとき、2つほど殺気に似た刺すような視線を感じたが、それに反応したほうが面倒そうなので無視して歩き出した。
仮に殺気だったとしてもこんな白昼堂々に天下の往来で子供一人を襲うやつは居ないだろう。
俺はしばらく歩くと念のため不自然にならないように近くの小路に入り尾行の気配を探る。
大丈夫。後を付けられては居ないようだ。
視線の一つはおそらく方向からしてドーマンだろう。
自分が祝詞を上げている時に立ち去るとは不敬だとでも思ったのかもしれない。
立ち去る子供一人にも気付けるとは目聡いことだ。
問題はもう一つの視線が誰なのか分からないことだ。
日頃からなるべく他者と関わらない様にしているため心当たりもない。
おそらく群衆の中から感じたように思ったが、あの中に知り合いが居たとも考えづらい。
そもそも知り合いに向けるような視線では無かったし。
分からぬことを考えても仕方ないので、屋敷に戻ると爺ちゃんに事の報告だけして記憶の彼方へ忘却した。
夕餉の時間になると今日は珍しく全員集まって寝殿の母屋で食べることになった。
「皆揃ったな。では頂くとしよう」
ヨリツ父上の声に合わせて食事を始める。
今日の料理は最近、朝廷で流行っているという調味料理だ。
調味料理とはその名の通り、既に味が調えられている料理のことだ。
つまり以前俺がルアキラ殿達と企んだものがまんまと成功したということである。
「うめぇ!」
「美味しい!」
「二人とも。美味しいのは分かりますけれど、食事中に大声をあげるのははしたないですよ」
キント兄とサダ姉が料理の味に声をあげ、サキ母様に嗜められる。
それを横目で見て、同じように声をあげそうになっていた父上と爺ちゃんは感嘆するに留めた。
隣に座るエタケも小声で「おいしい」と言っていた。
前世の料理の味が記憶に染み付いている俺にはまだ少々薄味に感じるが、それでもこれまでの四種器に比べれば圧倒的な満足感である。
皆が調味料理に舌鼓を打ち大満足で夕餉を終え、それぞれの対屋へ戻っていく。
近衛将監のサキ母様は明日から睦月の7日まで帝の様々な行事に同行するため大忙しになるそうで明日の朝餉の後すぐに発ってしまうらしい。
なので先に誕生日プレゼントを渡すことにした。
「サキ母様、少し早いですがこちら新年の贈り物でございます。お受け取り頂きたく存じます」
「あら? なにかしら? これは軟膏と玻璃の瓶に入っているのは何かの汁?」
俺がサキ母様に贈ったのはアロエの葉肉から作った軟膏とアロエエキスを希釈した乳液だ。
近衛職とはいえ外で立ち番をすれば寒さで皸を起こしたり、何かあれば怪我をすることもあるだろう。
そういった時に役に立つといいなと思いこれを渡すことにした。
アロエエキスの方は植物保管庫で見たときから作ろうと考えていたことなので、エキスの抽出は十分に時間を掛けられたと思う。
ラベンダーの精油もそうだが、前世の母さんが趣味でアロマに凝っていて幼い頃は家庭用の蒸留器で何度か作るのを手伝ったこともあった。科学実験みたいで楽しかった記憶がある。
そんな貴重な知識と経験を与えてくれた本人にはもう何も返せないが、今世の家族にはそれ以上のものを渡せるように頑張るつもりだ。
「その軟膏はルアキラ殿の所で栽培している薬草から作ったもので皸や火傷、軽い怪我などに塗ると治りが早くなります。普段から塗って頂くと保湿……美肌の効果もありますよ。そちらの汁は傷の治りには効きませんがベタつかないので顔などに塗りやすくした美容液です」
「まぁ! まぁまぁまぁまぁまぁ! なんて母想いの良い子なのでしょう!?」
感激した母様からムギュッと抱きしめられて何度も頬ずりをされる。
これは夕餉の際に言っていたはしたない行為なのでは無いだろうか?
まあこんなに機嫌が良い母様に目に見えた地雷な質問などは怖くて出来ないが。
俺は頭に浮かんだ余計な事をさっさと消し去った。
「もしも使っていて違和感があったらすぐに止めてください。あと、あまり日持ちのするものでは無いので勿体ぶらずに使ってくださいね。ルアキラ殿とは継続的に譲っていただけるように交渉済みですので無くなったらまた頂いてきますし」
「なんということでしょう! こんなに気が利くなんてツナは大きくなったら浮名を馳せてしまいそうですね?」
更に感激した母様から先ほどより強く抱きしめられる。
痛みは全く無いが優しいのに力強い抱擁。
その懐かしい感覚に照れよりも前世の母への恋しさが勝ってしまった。
ダメだこれ。俺、また泣いてる......。
「ツナ!? そんなに泣いてしまってどうしたの? 抱きしめすぎて痛かったですか?」
「いえ、そうでは、ありません......こんなにも、母様に喜んでいただけたのが、嬉しくて......」
俺が泣いてしまったことに驚いてパッと放してくれた母様だったが、今の言葉を聞いて再び抱きしめてくれた。
先ほどよりも更に力強いのにもっと優しさを感じる抱擁。
「ツナ、貴方は私とヨリツ様に何故か余所余所しいところがありますが、何も気にしなくていいのですよ。逆子だった貴方を産んだ時の痛みも、産声をあげないツナをお義父様が黄泉路から連れ戻してくださった喜びも。今でもはっきりと憶えています。これまでも、そしてこれからもツナは紛れもなく私たちの子です」
「はい............ありがとうございます......母様............」
それから俺が落ち着くまでの間、母様はずっと俺を抱きしめ続けてくれていた。




