百十八話 妖魔一本蹈鞴
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走って逃げ切るのは不可能だと一旦木が残っている場所で身を隠す。
やはり木を穿つほどの威力はこの魔法には無いようで俺が背にしている木と周囲の地面に氷の矢が剣山のように刺さっている。
「ハルア! お前はもう人であることを捨てたのか!?」
「何ヲ言ってイる!? 私ハ純粋な人間ダ!」
自分が妖魔に成り始めていることに気付いていない?
そんなことが有り得るのか?
人間が妖魔となるのは常人では辿り着かない位に大きく感情が爆発した際に無意識的に周囲の命素ごと魔力に変換し、許容できない量を体内に取り込んでしまうのが原因だと考えられている。
それでも確率は極僅かで滅多に生まれるものでは無いのだ。
コイツがもう妖魔なのだとしたらコゲツが言う事を聞かずに襲い掛かった理由も分かった気がする。
四凶と呼ばれる窮奇だからこそ、ニオノ海の妖魔大蜈蚣の時の経験から濁った魔力を覚えていて、薄い内に殺さなくてはと判断したのだろう。
ハルアは俺が木の後ろに隠れようがお構いなしに氷の矢を放ち続けている。
周囲の空気が冷えて視界が白む程に冷気が立ち込め身体が凍えてきた。
これが狙いか?
「はハハははは! ドウした? 手もアシも出ンか? 今はトてモ気分がイイ! 幾ラでも魔法が放てそウダ! ウはハはははハハ!!」
「よ、よせ! 妖魔になりかけてるんだ! それ以上は力を使うな!」
寒さで身体と声が震える。
この場に留まるのは危険だな。
俺は木を背にして真っ直ぐとその場から離れた。
ハルアはずっと俺が居た所に向けて氷の矢を放ち続けている。
未だに俺がそこから退避したことに気付いてはいないようだ。
攻撃中は先程のような気配察知が出来ない?
妖魔化して思考が鈍っているのか、狂い始めたのかは定かではないが今のうちに距離を稼いで態勢を立て直そう。
見つからぬように安全圏に退避しつつも動けていないコゲツが心配になり遠目に確認すると、何時の間にかコゲツの方にも無数の氷の矢が放たれているようだったが身体の周りに風を纏って矢も冷気も防いでいるようだ。
デカい氷の塊ならともかく、あの程度では傷付く事が無いのは流石だ。
ただ俺が隠れていた木と同じように周囲が剣山の様になっている。
逃げ場が無くなっているこの状況は良くないな。
正気を失っている敵の為、いつ別の攻撃を仕掛けてくるか全く予測が付かない。
既に周囲の死体や地面や空気などから吸い取れる命素分以上の魔力を消費したはずだが、攻撃が止む気配がないのは謎だ。
妖魔は体内の魔力を放出し切ればやがて自壊する有限の存在だ。
ハルアの場合はどの段階で完全な妖魔となったと判断するのかは分からないが、狂った今の状態は妖魔と人の中間だろうか。
倒すには鉄棍の中に忍ばせてある陽属性の付与された特製矢を使うことも可能だが、これを使うと魔神に対抗する手立てが俺には無くなってしまう。
未だにマサードの周囲に魔神が存在している可能性が浮上した以上、温存しておきたいと考えるのは仕方がない。
このまま援軍の到着を待つのも手ではあるが、下手に人手が増えると余計な犠牲者が出そうだ。
次の手に悩んでいるとハルアの放つ攻撃の音が止み、代わりにハルアのものと思われる呻き声が聞こえ始めた。
どうなったのか気になり隠れている場所から身を乗り出すとヤツと目が合う。
その姿は先ほどよりも更に人外じみていた。
両腕の筋肉が肥大化し僧帽筋によって首が肩と一体化したかのようになり、毒々しい紫に変わった肌は氷に包まれている。
左腕に持っていたはずの宝玉は掌と癒着しており、その境目が分からなくなっていた。
人間が妖魔になると身体が人の姿を保てないと聞いたことはあったが、ハルアのそれは本当に人の姿ではなくなっていた。
此方に気づくと妖魔は歩いて? 近付いて来る。
歩いてというのが疑問符に思ってしまったのは、右足の膝から下が無いので左足と両腕を地に着けて、まるでゴリラのような恰好で三足歩行をしているためだ。
膝までしかない右足は、歩行時には尻尾の様にだらりと下がっている。
失った脚の代わりに別の機動力を得たと見るべきなのだろうか。
前世の創作物で似たような姿の妖怪がいたな。たしか”一本踏鞴”とかいう名前だ......。
俺が背を見せずに急いで逃げると、近付いてくる速度が早くなった。
「逃ゲてばカりでハつまランぞ」
「自分が妖魔になった自覚はあるかよ」
言葉が届くような近さまで接近されたが、俺が全力で走っても恐らく追い付かれる。
今のコイツは俺で遊んでいるのだ。
「ワたシは人ゲんだ」
「お前に鏡を見せてやりたいね」
「生イ気だな。一本ずツ手あシを折れば素直にナルか?」
強者の余裕か。
妖魔となる前から実力差は段違いだったというのに、妖魔化して溢れ出る力に驕っているのかその言葉には俺に対する侮りがあった。
俺は鉄棍を構えると雷珠で目潰しをし、全速でもって妖魔の目に突きを入れる。
「チッ! デカい図体の癖に反応が速い!」
不意を突いたはずの俺の渾身の一撃は、両手に力を入れて後ろに飛ぶことで避けられた。
「メ潰シとハやはり卑キョう者だな」
「妖魔相手に卑怯もクソもあるかよ!」
俺はそのままもう一度、目潰しをしようとして吃驚した。
その目は透明な氷の膜で覆われていたのだ。
「ハは、こレでも同ジ技が出来るカ?」
「化け物が知恵つけてんじゃねえっての......」
遠距離への魔法の発動というのは基本的に目が頼りになる。
俺の様に離れた位置に発動する者の場合、目視可能な遮られていない所ならば発動が出来る。
塀の向こうなどの見えない場所に発動するのは不可能とされている。
硝子瓶の中など、物を貫通して起こす事も難しい。
これは魔法を発動するには脳が場を把握する必要があるというのが通説で、物体や結界を貫通が出来ないのは見えない何かで術者と魔法は繋がっているという説が有力だ。
ちなみに俺の雷珠の射程は変わらず50mである。
この発動距離は魔石を使っても発生位置を伸ばすことは出来なかった。
糸の様に手元から伸ばす分には50m以上先にも届くが。
全く隙間の無い場所へ発動するのは基本的に無理だ。
貫通するほどの威力の高い魔法を使えるなら話は別だが、魔石も今は手持ちがない。
俺の魔法ではたかが薄い氷の膜を越えることは出来ないのだ。
次の手段として妖魔の腕に鉄棍を思い切り叩きつけてみたが、軽く氷に傷がつくだけだ。
何度か繰り返して叩くと割ることは出来たが、すぐさま新たな氷が張られた。
さっきからずっと遊んでやがる。
こちらの手が尽きたら殺すつもりなのだろう。
冷気に熱を奪われ体力の消耗が激しい。
手にはあちこちに霜焼けが見えることから顔や足も同じようになっている可能性が高そうだ。
残り時間が無い。
そしてコイツが自壊しない理由も分からない。
いや、見当はついたが人外形態になったことでそれを潰すのが俺には困難になったのだ。
その理由というのは左手に持っていた宝玉。
単なる転移の魔術具ではなく、あれの魔力を吸っているのだ。
もっと最悪な想像では宝玉が妖魔化した原因でもあり、アレが今もどこかと繋がっていてそこから濁った魔力を供給し続けている可能性すらある。
魔神は最初からハルアを妖魔にするつもりであの宝玉を渡したのではないだろうか。
妖魔化の引き金となったのはキキョウの腕輪が反応を無くし、暗殺に成功したと喜んだことだろう。
父親を殺した者や殺す要因になった者への恨みと報復を達成した望外の歓喜。
暗殺者のわりによく喋っていたのはアイツも感情を増幅させる陰魔法を掛けられていた可能性なんてのもある。
そこを揺さぶってみたいが、妖魔の状態で更に大きく感情が刺激されるとより強くなる危険性もあるかもしれない。
だがここで悩んで止まっていると東正鎮守府軍の人達も来てしまうだろう。
全員では無いが顔見知りになった者も少なくない。
俺に口出しできない戦場では仕方ないと割り切れるが、彼らを俺の目の届く範囲で無駄に死なせたくはないのだ。
今回も一か八か。
俺はそんな判断ばかりだな。
成長の無い自分が不甲斐ない。
軽く溜息を吐いて自嘲しつつ、俺は賭けに出ることにした。




