百六話 感情を増幅する陰魔法
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空が白み始めた頃、コゲツが最初に降り立った場所に迎えに来てくれた。
口元や前足が血に染まっているのは俺が命じた通り山林に潜んでいたマサード軍の密偵を仕留めたのだろう。
賢い子だと褒めながら頭を撫でてやると鼻息を立てて喜んだ。
戻る前に鞍から鉄棍を外して、大鎧に思い切り叩き込む。
「は?」
鈍い音が周囲に響くとともに手が痺れ、鉄棍が手から離れた。
恐ろしく硬い。
急いで鉄棍を回収し鞍に大鎧と共に結びつける。
コゲツに騎乗すると最速でウスイ峠を目指し、ウスイ川沿いを遡上しているとその途中でサモリ殿の部隊を発見した。
ここまで来るのが早過ぎる。
まさか休息無しで夜通し進軍してきたのか?
俺はその場所へ降下するとサモリ殿にマサードの拠点でのことを報告した。
「バカな!? 黒鉄の鎧が健在だと申すのか? ではマサードが居ると?」
「マサードの存在は確認できませんでしたが、鎧に関してはこちらの鎧に攻撃して頂ければ分かります」
サモリ殿は俺の報告に驚きつつも部下の一人に鹵獲した鎧の大袖に弓を打たせると、高い音を立てて大袖は矢をはじき返した。
「むぅ......。たしかに黒鉄は健在か。だが既に峠を越えてしまったのだ。我らは行くぞ! 前回貴様がやった鎧の検証が間違っていただけでマサードが居ない可能性もあるではないか!」
「そんな!? 検証にはミチナ様も付き合って頂きましたよ!? それに俺が何か見つけた場合はミチナ様から撤退するよう言われているのではないですか?」
「煩い! この部隊の全権は私にある! 亡き父の為にも行かねばならんのだ! 貴様のような子供に戦の何が分かる!」
夜通しの峠越えの疲れもあるのか激昂したサモリ殿は冷静な判断が出来ていない。
これでは相手に黒鉄の鎧が無くても負けるんじゃないか?
「分かりました。本陣まで下がらせて頂きます。その鎧はサモリ殿がお使いください。硬さはまだしばらくそのままでしょうから有用かと」
「待て、騎獣の窮奇は置いて行け。アレは戦力になる。鎧と共に私が使おう」
「お断りいたします」
何を言い出すんだコイツ? 確かに戦力になるだろうがコゲツは一晩中密偵狩りをしていたんだぞ。
それにトール家の騎獣だ。
戦時とはいえ他家が勝手に使用するなど認められるわけがない。
俺がキッパリと断ると怒り心頭のサモリ殿は腰の太刀に手を掛けた。
流石にそれを抜けば怒りと疲労で冷静な判断が出来ていない程度で済ます気にならないし、援軍に来たトール家に対する態度ではないことから軍内でも問題視されるだろう。
——抜けば殺す——
俺はサモリ殿を睨みつけて全力で殺気を込めた。
これで引かなければ彼やテミス家の為にもならないことは分かるだろうに。
「チッ! このことは戦後にミチナ様に報告させてもらうぞ! さっさと去れ!」
「はい。どうぞご自由に。ご武運をお祈りしています」
俺の殺気に押し負けたのかサモリ殿は捨てゼリフと共に刀から手を離した。
今から本陣に帰るのだからこっちが先にミチナ様に報告することになるのが分かっていないのか?
それに周囲がサモリ殿を止める気配など微塵も無かった。
なんだろう? 違和感が凄い。
こんなバカがミチナ様の旦那だって?
ミチナ様もバカ旦那とは言っていたが、アレは一種の愛称のような言い方だった。
決して本心からバカだとは思っていないはず。
それなのに今目の前に居た人物は明らかに短絡的な思考しかしていなかった。
俺は違和感の正体を探るために改めて周囲を見回すとあることに気づく。
陽属性の使い手や巫女が居ないのだ。
俺たちが毒息を倒した際に峠口で待機していた巫女や使い手の七人全員が居なかった。
貴重な癒し手なのだから前線には連れて来ないだけだとも言えてしまうが、部隊に一人も居ないのは流石におかしい。
サモリ殿が、いや、この部隊全員が陰属性魔法の影響を受けている!?
俺はその結論に思い至るとすぐさまコゲツに飛び乗ってその場から離脱した。
鉄棍の中のセンシャ様から陽属性を付与された矢をサモリ殿の身体に突き刺すなりすれば術が解ける可能性はある。
しかしあくまで陰属性魔法は可能性の話であって、本当にバカなだけだったら矢を突きたてた俺はそのまま斬られるだけだろう。
そんなくだらないことで死にたくはない。
急いで本陣を目指しミチナ様に報告と共に推測を話して判断を仰ごう。
休めていないコゲツを労わりながらも酷ではあるが急がせる。
「ごめんな。終わったらたっぷりブラシで全身を撫でてやるからな」
「ガァ」
コゲツが全速力を出してくれたこともあって1時間ほどで本陣に帰参すると、すぐさまミチナ様の前で事の次第を報告する。
「なにぃ!? サモリ、あのバカめ! 本当にツナに太刀を抜こうとしたんだな?」
天幕の中で床几に座っているミチナ様が怒りに任せ左手に持った太刀を鞘ごと地面に突き刺した。
「はい。しかしそれもおそらく陰魔法の影響下にあるためかと。天馬と共に急ぎ陽魔法の使い手をサモリ殿たちに! このままでは普通の軍にも負けます!」
「分かった。コゲツは今は動かせないんだったな。アタシがヒテンで巫女を連れて行こう」
「ミチナ様、お待ちを! ツナの申した通りサモリ殿には一早い浄化が必要です。しかし陰魔法を掛けた術者を探すことも急務かと!」
俺の一刻も早いサモリ殿の下へ向かうべきだという主張に同意したミチナ様が青毛天馬のヒテンに向かおうとすると、父上が呼び止めて術者を捜索する必要があると説いた。
「ならば向こうではアタシが探そう! こちらの指揮はヨリツに任せる!」
「はっ! 承知致しました!」
ミチナ様は指揮権を父上に預けると巫女を連れてヒテンでサモリ殿の下へと向かった。
俺は父上と共に陰魔法の術者の捜索をしようとしたが、父上から止められる。
「偵察ご苦労だった。黒鉄の鎧が健在であることを突き止めたこと、そして陰魔法に掛けられている可能性に良くぞ気付いたな。よくやった。だが、疲れているのだから、泥だらけの身体を清めて少し休め」
「はい......。ありがとうございます」
そういえば偵察したり陰魔法の存在に気づいたりと心休まる暇がなかったな。
少し休んでおこう。
湯係という水と火の魔法を使う者から桶一杯に湯を貰うとコゲツの隣で身体を清めて着替える。
改めて自分の姿を確認すると匍匐前進や茂みに潜んだりと泥と葉っぱだらけになっていた。
この借りていた村人の着物も洗って返さないとな。
着替え終えると湯が汚濁してしまったので邪魔にならない地面に捨てて、再び湯係に桶一杯の湯を貰う。
コゲツを拭いてやる分だ。
湯に布を浸け、軽く絞ってからコゲツの口周りと前足についた返り血を拭う。
これは俺が命じて殺させた者の血だ。
だが俺自身はあの巡回の青年を殺さなかった。
自分は手を汚さずに他者には殺させる。
俺はなんて浅ましく卑怯な人間なのだろうか。
既に何人も殺させたり、俺のせいで死なせたりしているというのに。
そう考えてしまうと両手が沢山の血で汚れているような錯覚に囚われ、湯で流しても布で拭っても取れないように見えてきた。
「はぁ、はぁ......はぁ、は——」
「ガァアア!!」
——!?——
突然コゲツが大きく吠えたことに驚き正気に戻される。
そして今の自分がかなり極端な負の思考に陥っていたことに気付いた。
「......まさか俺も陰魔法の影響を受けている?」
その瞬間、はっ! と様々な事が繋がった。
毒息を倒した後に寺を建立される事への異常なほどの熱狂。
峠を夜通し突き進むようなサモリ殿たちの怨讐。
情に流されたミチナ様の判断ミス。
そして俺の極端な負の思考。
それぞれ方向性は違うが感情が増幅されている?
これが掛けられたのは何時だ?
そういえば、ウチで感情の起伏が一番激しいはずのキント兄は無事だ。
ヒタチでマサードに仕掛けたりはしたが、平常運転に思える。
寧ろ兄が術中に嵌っていたのなら本当に死ぬまで撤退などしなかったはずだ。
つまり、術者が魔法を掛けたのは毒息を倒してからエタケたちが帰ってくるまでの間?
俺は戻ってすぐ天幕で寝ていたことから考えると、術者の正体が分かった気がした。




