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冴えない才女とサウナと酒場  作者: 城築ゆう
44/51

6-4

 翌日、昼過ぎに鹿野さんからLINEが来て、昨日のお詫びとして同伴をしてもらえることになった。

 午後六時に待ち合わせをして、商店街の端にある、個人経営のイタリアンで食事をした。

 ただその日は、以前から聖子ママも同伴で開店準備ができないということで、開店時刻の三十分前に私が店に着いて開店準備をすることになっていたので、そのことも事前に鹿野さんには了承を取っておいた。

 開店準備をするとお給料に上乗せでお小遣いがもらえるし、鹿野さんとの同伴のインセンティブももらえる。

 待ち合わせ時刻より五分前にお店の前に着くと、鹿野さんはすでに待っていて、私の顔を見るなり手を合わせて謝ってきた。

「昨日はまじでごめん、飲みすぎました!今日は好きなだけ飲み食いしてください!」

「言われなくても、今晩またやけ酒したくなるくらいいただくつもりで来ましたよ」

 もちろん店で、と心の中で呟く。

 どんなに美味しいものだろうが、お客さんと一緒に飲み食いする分にはただカロリーを無駄に摂取するだけに過ぎない。

 そう思った瞬間、心の中にじわりと茶色いシミが広がるような気がした。


 私は心の中で悪態をつき続けるけれども、鹿野さん自身は基本的に良い人だと思う。シラフであれば気遣いは文句なしだし、よく笑うし笑わせてくれる。何より声が聞き取りやすくて話しやすい。普段から永瀬さんのボソボソとした声や、飯田さんの大きすぎる声ばかり聞いている私には、ちょっとした感動を覚えるくらい丁度良い。

 それでも客と店員という間柄には、どんな素晴らしい人格を持っていたとしても乗り越えられない魔力があるらしい。

 仮に店以外の場所で出会っていたとして、それはそれで仲良くなるタイプの人ではないけれど。


 午後七時半、鹿野さんを連れ立ってトルマリンに着いて開店準備を始める。

 もしも他のお客さんに二人で店に入っていく姿を見られて妙な噂が立とうもんなら、と聖子ママに釘を差されていたので、周りを警戒しながら店に入った。

 あらかじめ鍵を開けておき、前の通りを誰も歩いていないタイミングを見計らって鹿野さんを先に店に押し込む。それから私もあとから店に入る。

「はー、どきどきしたー」

「え?俺と一緒にいるとどきどきするって?」

 面白くない冗談だが、愛想笑いするくらいの元気はあるので一応笑っておく。

「そういえばまこちゃんって源氏名だよね?本名、知りたいな」

「まきです。聖子ママ以外知らないから、絶対内緒ですよ?」

 本名を聞かれたときに嘘の本名を教えてその場を凌ぐ方法は、ゆあちゃんに教わった。

 「まこ」なんてほとんど本名だけど、それでも本名を知られるのは絶対に嫌だと思った。本名を教えた途端に誇らしげに連呼するのは目に見えている。想像するだけで反吐が出る。

「まきちゃん」

「はい?」

「ちょっとここ座って」

 水割り用の氷をアイスピックで割る作業は骨が折れる。少しでも早く終わらせるために手を止めたくなかったけれど、今日はこの人を良い気分にさせて、ボトルの一本でもおろしてもらう必要がある。指示された通り鹿野さんが座るカウンター席の隣に浅く座る。

 その瞬間に肩を両手でしっかり掴まれた。まずいと思って逃げようとしたときにはもう遅く、抱き寄せられていた。近くで見ると脂ぎっているなと思った。

 のんきな私の頬に、その脂ぎった顔の真ん中にくっついてる唇が触れた。

「びっくりした?真剣な顔してるの、めっちゃ可愛くて」

 いたずらっぽく笑う鹿野さんに、心の中で、アイスピックを突き立ててみる。気分は晴れることなくむしろ悪くなる。

「もー、追加料金発生いただいちゃいますよ?」

 怒りが表に出ないように必死になって堪えた。聖子ママたちが来るまでの三十分間、この人を楽しませ続けて絶対に帰らせてはいけない。私のこの不愉快を解決できるのは、給料しかないのだから。

 肩を解放された瞬間にすぐ席を立って、私は準備の続きに取り掛かった。

 氷を砕く音だけが私の心を慰める。

 これ以上何かをされれば、水をぶっかけるくらいのことは躊躇なくしてしまいそうで、奥歯を食いしばる。


 飯田さんのキープボトルのハーパーよりも安いバランタインを選んだ鹿野さんは、酔っ払ってもしっかりサラリーマンだと思わず感心した。

「これからもたくさん来てくださいね」

 来てほしいわけでは一切ないけれど、ボトルはしっかり減らしてほしい。どんどん飲んで次々とボトルをおろしてくれれば私のインセンティブになる。

 そんな本音の方を、この調子に乗った男には教えてあげない。

 鹿野さんのペースなら、三週間も経たないうちに飲み干してくれるだろうと私は皮算用した。

 ボトルキーパーに「鹿野さん」と書き入れ、バランタインの首にかけてやる。茶色のボトルが、間接照明の光を受けてキラキラと光っている。

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