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冴えない才女とサウナと酒場  作者: 城築ゆう
42/51

6-2

 飯田さんの部下の鹿野さんが一人でふらっと飲みに来てくれたのが一月の末頃で、それ以来たまに一人で来るようになった。

 一人のときはいつも、席につくときに「まこちゃんと話したい」と言ってくれる。飯田さんと来てくれるときは何も言わないけれど、察した飯田さんに呼ばれて結局鹿野さんの隣につく。

 できるだけ永瀬さんが来ているときとは被らないようにしたいものの、鹿野さんがいつ来るのかは直前までわからなくてコントロールできない。


 永瀬さんはというと、あれ以来ほとんど月に一度のペースで、昼過ぎから待ち合わせる同伴をするようになっていた。

 身に着けたくないとは言ってられなくて、同伴の日は必ずオープンハートのネックレスを着ける。そんなときはささやかな抵抗として、いつでも永瀬さんの目が届かなくなったところで外せるように、ティファニーブルーの巾着を持ち歩いた。


 火曜日、永瀬さんが同伴ではなく普段通りオープンの時間から来店して店内最奥の特等席を陣取った。ボックス席のソファに永瀬さんと私二人並んで座り、今朝見たニュースなどの他愛もない話に花を咲かせる。

 十時を過ぎた頃、鹿野さんが既に酔っ払った状態で、店に入るなり大きな声でまこちゃん、と私を呼んだ。

 できるだけ永瀬さんの視界に入りにくいように鹿野さんには一番手前のカウンター席に座ってもらったけれども、酔った鹿野さんは何度もトイレに立つから意味がなかった。

 しばらく永瀬さんと鹿野さんの席を行き来して、三回目に鹿野さんの隣りに座ったとき、鹿野さんがは突然「この後も飲みに付き合え」と、無遠慮な声量で宣った。もちろん永瀬さんにも聞こえているはずで、二人の気持ちを損ねない正解の振る舞いを考えたけれども追いつかず一瞬の沈黙。助けの手を延べてくれたのは、カウンター内で退屈そうにグラスを拭いていたかりんさんだった。

「えー鹿野さん、どこつれてってくれるですか? かりん、焼肉食べたいんだけど」

 グラスを置いて両手を顔の横で合わせて小首をかしげる。わざとらしい上目遣いと過剰に甘ったるい声、なのに様になっているのは、圧倒的に整った顔面によるものか。私がやると、きっと、いや間違いなくお笑い枠。

「おおー、かりん? 焼肉、行くかあー」

 前後不覚の鹿野さんは、縺れる舌で言いながら前に手を伸ばし、カウンターに上半身だけうつぶせになって、だらしない姿をさらした。

 カリンさんは視線で「早く永瀬さんのところにいけ」と合図するので、私は席を外した。


「永瀬さんごめんね、うるさくなっちゃって」

 かぶりを振りながら大丈夫だよと言ってなぜか縮こまる永瀬さんは、何だかおじいちゃんに見えた。

「アフター、行くの……? あまり遅くならないように、気を付けてね……」

 煮えきれない言い方にも腹が立ったけれど、なにより、お前に言われる筋合いはないだろうと反論したくなる気持ちがわいてきて、イライラしてしまう。

 言葉をせき止めるので精一杯で、何も答えられずにいると、永瀬さんは枯れる直前みたいな声で「お仕事、大変だね」と付け足した。なるほど、この人、自分と一緒にいる間も私にとっては変わらず仕事だという認識が欠けているから、こんな間抜けなことが言えるんだ。

 でもそれはこの人に限ったことではない。多分、鹿野さんもそう。いやそれどころか、この店の客の中でもかなり若い鹿野さんは、もっとたちが悪いと思う。友人かそれ以上の存在として勝手に位置づけられているのだろう。突然止めどなく湧いてくる怒りに戸惑った。

 私は腹いせに、永瀬さんのキープボトルの底から五センチほどになった酒を飲みきって、新たなボトルをおろさせた。


 タクシーを呼んでつぶれた鹿野さんを帰し、何となく安心したような顔の永瀬さんを見送り、その日は営業終了時刻を迎えた。

「かりんさん、さっきはありがとうございました……上手く返せなかったので、助かりました」

「若いのに羽振り良さそうだなーあの兄ちゃん。おこぼれ、ごちー」

 かりんさんはどれだけお酒を飲んだのか、ふにゃふにゃの声と顔をして言う。

「ほんと、すみません、ありがとうございました」

 恐縮して言うと、かりんさんは目を見開いて手をパタパタと振って「いやいやいや」と痰が喉に絡んだような声を出した。

「やーきーにーく」

「焼肉?」

「うん。焼肉行くで」

「この時間からですか?」

「新地行けばやってるとこあるって絶対。タク呼ぶわ。明日なんか予定ある?」

「いえ、特にないです」

「よしきた」

 依然として眠そうな顔をしているけれども、スマホアプリを立ち上げてタクシーを呼ぶ手際は良い。

 タクシーアプリは、五分ほどで到着の通知でかりんさんのスマホを震わせた。

 同伴からずっと飲まされっぱなしで、カリンさんよりもっと眠そうな聖子ママに「お気をつけて」と言われ、店をあとにした。

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