探偵とストーカー

作者：まつだつま

　探偵は女の依頼を聞き終えると、ソファに体を預けた。

「うーん」と声を上げ、右手で首の後ろを揉みながら視線を天井に向けた。

　この依頼を受けるべきなのか悩んだ。探偵事務所といっても、これまでの依頼のはほとんどが浮気調査と人探しだ。

　ストーカーから守ってほしいという依頼は初めてで荷が重い依頼だなと思った。大きな事件に巻き込まれないだろうかと不安にもなった。

　しかし、最近は浮気調査や人探しの依頼すらなく、仕事が激減している。懐具合を考えると、そろそろ仕事がほしい。

　天井に上げていた視線をゆっくりと下げて左に移動させた。破れた箇所をビニールテープで補修したソファの継ぎ目部分に目がいった。このソファもそろそろ買い換えないとダメだなと思った。

「わかりました。お受けしましょう」

　探偵はソファに預けていた体を起こし、気合いを入れるように両手で膝を叩いた。

　依頼内容を探偵に言い終えてからずっと俯いていた女が顔を上げた。

「ほんと、ですか？」

　女の顔がパッと明るくなるのがわかった。探偵は女に向かって頷いて笑みを返した。

「はい、本当です。あなたの依頼、お受けします」

「やったわ」

　女は胸の前で右拳を握った。

「なので、ストーカーについて、もう少し詳しく聞かせてもらえますか」

「もちろんです」

　女の声が弾んだ。

「では、お願いします」

　探偵はペコリと頭を下げた。

「えっと、もう一度最初から話しましょうか」

　女は背筋を伸ばした。

「いえ、まずあなたからこれまでに聞いたことを一度整理してみますね」

　探偵は女から聞いてさっきメモした内容に視線を落とした。

「はい、お願いします」

　女は頷いた。

「では、まずあなたは一週間くらい前から、帰宅途中に男に後をつけられはじめたんですね」

　探偵はそこで言葉を切って女に顔を向けた。内容に間違いないか確認するため視線を送った。

　女は無言で頷いた。探偵はそれを確認してから続けた。

「そして男はあなたのマンションまでついてきた」

　探偵はまたそこで女に顔を向けた。

　女は二度三度と頷いた。女は満足そうな表情だった。

「男はあなたが部屋に入ってからもマンションの下からあなたの部屋を夜中までずっと見上げていたので、あなたは怖くて仕方なかった」

　探偵はまた女の顔を見た。

「そうです」

「とりあえず、今日までは特に被害には遭ったわけではないですね？」

「被害と言えるかはわかりませんが、今でもたまに電話がかかってきます」

「電話、ですか？」

「はい。一度目は電話に出たんですが、ほとんど無言でした。受話器からクスクスと笑う声だけが漏れてきて、慌てて窓からマンションの下を覗いたら、男がスマホを耳に当てこっちを見てました。男はわたしが窓から覗いたのに気付き、わたしに向かって手を振ってきました。怖くてすぐに電話を切り、窓を閉めました」

「それからも電話はかかってくるのですか？」

「はい。でも電話には出ないようにしています」

「これまで、その男とあなたは全く面識はなかったということですよね」

「はい、ないです」

「知り合いでもないのに、なぜ、あなたに付きまとうようになったんでしょうか？」

「わかりませんが、きっと、どこかでわたしを見て一目惚れでもして、ついてきたんじゃないですか」

　女は少し困った表情を浮かべていた。

「一目惚れ、ですか？」

　探偵は女をじっと見つめた。どこからその自信が生まれてくるんだと思った。

　化粧気のない肌には薄茶色の染みが浮き、ひっつめの髪も白いものが交じっている。

　女を見る限り、失礼だが男が一目惚れするようなタイプには見えない。まあ、こればかりは好みの問題なので何とも言えない。

「きっとそうです。わたし、一目惚れされたんです」

　女は自信たっぷりだ。これ以上、一目惚れには触れないようにしよう。合わせるのが疲れる。

「ここに来る前に警察に相談には行ったんですね？」

「はい。警察はわたしの話だけだと事件でもないので、動きようがない。とりあえず、しばらく夜の見回りを強化しますって言ってました。けど、夜の見回りを強化するのも本当かどうかわかりません。警察は何もしてくれないと、その時感じました」

「そうですか。その感じだと警察は動きそうもないですね」

　警察も忙しい。警察の気持ちはわからなくはないと探偵は思った。

「はい、警察はわたしの話しを全く信じてくれなかったので、腹が立って、その足でここに来ました」

　女はきつい口調で早口で話した。警察への怒りからか語尾が少し震えていた。

「警察は事件にならないとなかなか動いてくれませんからね」

　探偵は女性を落ち着かせようとゆっくりした口調で軽く笑みを浮かべて話した。

「事件が起きてからなんて遅いですよ。バカにするのもいい加減にしてほしいわ」

　女は膝の上に置いてあったバッグを叩いて怒りを露にした。

「私たち探偵は依頼があれば、事件でなくても調査はします。但し、費用は発生します。それはよろしいですか」

「もちろんです」

「男がついてきたのは正確にはいつからかわかりますか？」

「先週の火曜日からです。それからはほとんど毎日夢を見るんです。絶対にこれはストーカーです」

　女は探偵に訴えるように目をぎらつかせた。

「……ゆ、夢を見る？」

　探偵は耳を疑った。

「そうです、夢です。毎日夢に男が現れるんです」

　この女は本気なのかと思ったが、目は真剣だ。

「もしかして、今の話は全て夢の話、ですか？」

「そうです、夢だとダメなんですか」

　探偵は深く息を吐いた。

「いや。まあ、そうですね。夢の話だと、まず警察は動かないでしょうね。警察も暇じゃないでしょうからね」

「夢でも不安で仕方ないんです。夜寝るのが怖いんです。もし夢で見たことが本当に起こって、わたしが被害に遭ったら警察はどう責任をとるつもりなんでしょうか」

　女性は、また興奮してきた。探偵はしかたなく女性を落ち着かせるために、もう少し話しを聞くことにした。

「夢でも毎日ストーカーに付きまとわれると不安になる気持ちはわかります」

「わかってくれますか。ありがとうございます。夢だからといって、わたしをバカにした警察に一泡ふかせてやりたいわ」

　女は口元を歪めた。

「もし本当にストーカーが現れたら警察に抗議しましょうか」

　探偵は、夢の話しに付き合うのはバカらしいとも思ったが、存在しないストーカーが相手なので、これほど楽な仕事はないとも思った。

「それでは具体的にどのように、あなたの警護を進めるか決めていきましょう。何かご希望はありますか」

「はい、わたしがマンションにいる間の深夜二時までは、わたしのマンションの前で待機していてほしいんです。たまにわたしに電話をいれてもらえると不安が取り除けると思いますので、午後十時と深夜零時くらいに電話して下さい」

　探偵は少し面倒臭いなと思った。

「わかりました。とりあえず、あなたの明日から一週間の行動予定を教えてください。それに合わせて、あなたの警護にあたります」

　探偵は存在しないストーカー相手なので、夜は車の中で居眠りしておけばいいだろうと思った。ある意味楽な依頼だとほくそえんだ。

「それでは、明日からあなたの警護にあたります。夜八時からあなたの自宅マンション前で不審者がいないか見張っておきます」

「明日からではなく、今日これからでお願いします」

　女は頭を下げた。

「今日、これからですか」

「お願いします」

「わかりました。それでは準備して、すぐにとりかかります」

　探偵は女の依頼を受けた日から毎晩、女のマンションの前に車を停めた。五日が過ぎたが、当然ストーカーは現れなかった。

　このまま毎日こんなことをやり続けることになるのだろうか。楽に金儲けが出来るわけだが、ストーカーは絶対に現れないとわかっているので気持ちが入らず退屈だ。

　女が夢を見なくなったら、この仕事は終わるのかもしれない。それはいつになるのだろうか。

　探偵は今日も女の自宅マンション前に車をとめてシートを倒していた。そろそろいい時間かなとシートを起こしてダッシュボードの上に置いてあるスマホを手に取り時間を確認した。ちょうど午前零時だった。探偵は同じ番号がずらりと並ぶ通話履歴の一つを開いてから通話ボタンを押して耳に当てた。

　呼び出し音が数回鳴ってから女が電話に出た。

「はい」

　女の声が聞こえた。

「もしもし、今日も怪しい人物は見当たりませんでした。安心して下さい。今日もあと二時間様子を見て何もなければ引き上げます」

「ありがとうございます。よろしくお願いします」

　探偵は女が電話を切るのを確認してからスマホを耳から離し通話終了ボタンを押した。

　またシートを倒して、伸びをしていつも通り目を閉じた。すぐに意識はなくなった。

『ドンドン』という鈍い音で目が覚めた。音のする方に視線を向けた。

　車の窓を誰かが強く叩いているのがわかった。見ると中年の男が窓から車の中を覗いていた。

　慌ててシートを起こしてた。男は帽子を被っている。こめかみに右手を当て敬礼のポーズをとっていた。警察官のようだ。

　探偵は車のキーを回してから、窓を開けた。

「おにいさん、おやすみのところごめんなさいね」

　警察官が笑みを浮かべて言った。

「は、はあ」

「こんなとこに車停めて何してるの？」

　怪訝そうな声に変わった。

　後ろを見るとパトカーが停まっていて赤色灯が光っていた。

　ヤバイなと思った。

「すいません、少し眠気が襲ってきたもので、車を停めて少し休んでいたら眠ってしまいました」

　探偵は頭を掻いた。

「本当に？」

「はい」

「最近、ずっとここに車停めてない？　ここ数日、怪しい車が停まってるって住民から通報があったんだけど」

「いえ、たまたま今、停めただけです」

　探偵は少し慌てていた。

「免許証見せてくれる」

　警察官は、あきらかに疑った様子で、懐中電灯の灯りを探偵の顔にあてた。

　探偵は内ポケットにある財布から免許証を出して警察官に渡した。

　警察官は探偵の免許証に懐中電灯を当て視線を落とした。

「フンフン、住所はこの近くだよね、こんなとこで居眠りしなくても、すぐ帰れるだろ。本当はここで何してたの」

　守秘義務があるから依頼者のことは言えない。

「本当に眠くて、眠ってしまったんです」

　警察官は眉間にシワを寄せて探偵を睨みつけた。

「ちょっと、車から降りてくれるかな」

　警察官の声がドスがきいて少し低くなった。

「はい」と言って車から降りて警察官の前に立った。

「あなた、嘘ついたらダメだよ。本当はここで何してたの？」

　完全に疑っているのがわかるキツい口調だった。

「嘘なんてついてませんよ。眠ってただけで、何もしてません」

　探偵は両手を上げて笑みを見せた。警察官は首を傾げてから頬を掻いた。

「実はね、住民から通報あった件だけどね、最近、知らない男が自宅近くに車を停めて、自宅をじっと見てると言ってきてるんだよ」

「は、はあ」

　探偵はわけがわからなかった。

「その通報者の言ってる車はね、車種がこの車と同じなんだよな。あんた、本当は何してたの？　正直に言ったら」

「その通報者って誰ですか？」

　探偵はまさか依頼者の女じゃないよなと思った。

「通報者のこと言えるわけないでしょ。それよりあなたの携帯の履歴見せてくれる」

「携帯ですか？」

　探偵は車に置いたままのスマホに視線を向けた。警察官もそっちに視線を向けた。

「それだね、ちょっと見せて」

　探偵はスマホを警察官に渡した。

　警察官は「ちょっと見せてもらうね」と言ってスマホを操作した。

「あーやっぱり、あった」

　警察官がスマホから視線を探偵に向けた。それは睨むように厳しいものだった。

「えっ」

「これ、何度も同じ電話番号に電話してるじゃない」

　警察官はスマホの画面を探偵に向けた。

「そ、それは、頼まれたんで電話してただけです」

「頼まれた？　嘘ついちゃダメだよ。この電話番号の主から、ストーカー被害の相談があったんだから。夜中にずっと見張られてて、何度も電話がかかってくるってね。ここじゃなんだから、ちょっと署まできてくれる」

「えっ、どういうことですか？」

　探偵は意味がわからなかった。

「それは、こっちが聞きたいよ。じゃあ後ろのパトカーに乗ってくれる」

　警察官に肩に手をまわされ、そのままパトカーに乗せられた。

　探偵がパトカーに乗せらめて、パトカーが発車したのを見て、女は笑みを浮かべた。

「やっと、警察がわたしの言うことを信じて動いてくれたわ。フゥー、これでスッキリしたわ。ゆっくり眠れるわ」