見たな
美紗は空が明るくなるまで明里のアパートで過ごした。それから彼女の服と靴を借りて、自分のアパートへ向かった。とてもじゃないが一人で行く勇気はなく、嫌がる明里を説得してなんとか付いてきてもらった。
ほとんど無言で歩き、薄汚れたベージュの建物が見えると足取りは重くなっていった。
怖いと思うからおかしなものを見た気がしたのではないか?眠かったし、寝ぼけていたのかもしれない。もしくは夢を見ていたのかも。
でも頭の片隅では分かっていた。そんな風に考えなければ、部屋には入れないのだ。
何の変哲もない戸の前で美紗は立ち、鍵を開けた。
ガチッといつものように何かが詰まっているような抵抗を感じつつ、後ろの明里を振り返る。
緊張した面持ちで互いに頷き合い、ゆっくりと戸を開いた。
途端ヒヤリとした冷気が奥から流れてきた。薄暗い部屋は戸が閉まっている為様子が分からないが静かだった。
そういえば、私テレビ消したっけ?
美紗は何かがいた玄関からではなく部屋に面したベランダを越えて外に飛び出したのだが、動揺していたため記憶が曖昧だった。
「私ここにいるから」
明里が玄関の開けたままの戸に体を挟み込むようにして彼女を見送る。
「う、うん。急ぐから待っててね」
何も変わったことがないと確かめた美紗は、深呼吸をすると靴を脱ぐのもそこそこに一気に奥へと走った。洗面所と台所を横切り、居間の戸を荒々しく開けた。そして側のチェストを開けて、用意した紙袋に服を入れていく。
もうここにはいられない。新しいアパートを探すまで、明里の所に泊まるつもりだった。だから最低限の生活用品だけ取りに戻っただけだ。
早くしなきゃ!
適当に服を詰め込み、引き出しから財布や通帳を取り出している時だった。
ガチャ、と金属音がした。
「明里ちゃん?」
慌てて玄関を見ると、戸は閉まっていた。
「え、嘘!戸を開けといてよ!」
玄関先で俯いて立つ彼女に声を荒げる。
「明里ちゃん!ねえ!」
嫌な予感がした。
返事もしない友人が蹲り、手足を伸ばしたと思ったら四つん這いになったのを見て言葉を失った。
心臓が跳ねて息苦しく、美紗はハッハッと口を開けて喘いだ。
てちっ、てち
四つん這いのまま、ゆっくり近付いてくる彼女は違う生き物のようだった。
「あ、あ…………かり」
床に顔をズリズリと擦るように進んでいるソレが台所を抜けて居間にやって来た。逃げたいのに膝が震えて美紗は尻餅をついた。
ひどくゆっくり近付いたソレが、遂にくずおれた美紗の爪先に触れる距離に来た。
「ひ…………ひっ!」
ペタンと床に掌と足裏をくっ付けたソレが真上に跳んだ。天井に逆さに引っ付いた異様な姿が彼女の視界に映された。
ソレが美紗の真上で首を回転させた。自らの背に、真後ろにと。
べき、ぼき
骨が折れる音がした。ゴムのようにだらんとした首のまま美紗に二対の目が向いた。
白目だった。
『ミ、タぁナ』
天井に足音が響いた。
この音だったんだ。
美紗は遠くなる意識の中で気付いた。