ラジオ
ネモさんは太陽が昇る前に起床し、小屋の掃除をし始める。それが終わったら衣類を洗濯し、それが終わったら二人分の朝食を準備する。すべての番兵がそうなのか、ネモさんが働き者なのかは不明だが。そうそう、私の着ていたセーラー服も洗われてしまったので今は、古い型のワンピースを着ている。はじめてこういう服を着たのだけど、存外動きやすいものだ。無事還れたら、こういう服を買うのも悪くはない。
私と言えば日がな一日何もすることはなく、また何をせよと言われることもない。罪悪感に耐え兼ね、ネモさんに仕事を強請ったが「何もしないのが仕事」と言われる始末である。確かに番兵にとってワタリは「何もしない」方が、仕事が増えなくてよいのだろう。学生の身ゆえ何もなければ今頃は、勉学に勤しんでいたことだろう。しかしながら此処には、教科書もノートも筆記用具もない。
言ってしまえば私は、暇なのであった。スマートフォンもパソコンも、音楽プレイヤーもここには何もない。何も言われていなければノコノコと、町や森へ出かけていたのだろうが。いまのところ、命を捨てる予定はないので外出という選択肢はない。
そういえば私が最初に寝かされていた部屋、ネモさんの私室だそうだが、そこには似つかわしくない電子機器が置かれていた。見た目は、古いラジオのようなものだった。古いといっても私の所感なので、いつのものかはわからない。
私室に入り、ラジオの前に立つ。なんとなくラジオのツマミを、右へ左へといじってみる。電気はないので当然、反応はない。番兵専用の、特殊な通信機器だろうか。
小屋の中の行き来も、基本的には自由だ。触ってはいけないもの、使ってはいけないものも特段言われてはいない。つまり、そこらにある銃や斧を持ち出して、外へ冒険に行くことも自由だということだ。偏見かもしれないけどもしワタリが、好奇心旺盛な小学生男子や夢見がちな女の子なら、躊躇なく外に出てしまったことだろう。
「なにをしている。」
「へあ。」
急に背後より声をかけられる。私はビクリと、肩を震わす。後ろを振り向くと、洗濯かごをワキに抱えたネモさんが立っていた。頭一つ分ほど私より背の低いネモさんの、黒い瞳が此方を見つめている。
「ラジオが珍しいのか。お前のせかいにはないものか。」
「これは確かに古い型だから珍しいけど、ラジオはありましたよ。」
「そうなのか、羨ましい。わたしのせかいには、ないものだった。」
「これは番兵の、支給品とかですか。」
「いや、制服と得物の貸与はあるが、基本的に物の支給はない。そのラジオは、同輩にもらったものだ。」
得物、という物騒な言葉を私は無視した。
「同輩。」
「番兵の、同輩だ。」
「会うことがあるんですか。」
私が勝手に、独立した存在だと思っていただけだが。
「各々隔絶されたところに配属されたとしても、一堂に会することはある。」
どこに集まるんだろう、という疑問は出さないでおこう。別にそれほど、知りたいわけじゃなし。
「此処じゃラジオの電波は入らないので無用の長物だろうと言われたのだが、この丸い形が気に入ってしまってね。私物の持ち込みは本来ご法度だが、現地民に見られなければセーフだとわたしは考えた。」
ネモさんは、案外不真面目だった。
なるほど。私物の持ち込みがご法度ならば、私の持っていたはずの学生カバンが見当たらないのも合点がいく。はて着用していた制服はなぜに、私物カウントされなかったのだろうか。服という、必要不可欠な物品だからだろうか。さすがに裸体でせかいを越えたくはないので、助かるといえば助かるが。
「わたしのラジオもそうだが。理の穴をつけば出来るようになることは案外、少なくはないよ。」
まるで善良な市民を犯罪に誘うような、そんなことを言うのだ。
私はこの人が、悪魔に見えるときがある。ひょっとしたら私はもう死んでいて、此処は地獄なのではないかと思うこともある。
葬式やるときは、仏式だったけど。