容易に折れてしまうような細腕で、一体何人葬ったのか
城内に生き物の気配はなかった。ズルズル、ズルズルと大蛇が這う音だけが石造りの廊下に響く。例えいたとしても、己はそこらのネズミをツマミ食いするわけにもいかないのだが。
さて。ラスボスは高い所にいる、というセオリーに反して女はいちばん見晴らしの良い二階の貴賓室にいた。我々は二班に分かれて、一階と二階を捜索していたのだ。ちなみに城は五階建てである。いちばん最初に女を見つけたのは、ヴィクターだった。
女はさぞや、驚いたことだろう。窓辺の椅子に座り、外の風景を茫然と眺めていたところに大蛇が部屋に入ってきたのだから。だがその顔に、恐怖はなかった。喜色満面ともいかなかったが、青ざめてもいない。
己は化け物だ、という自覚はある。二メートルとはいえ大蛇、しかも喋るのだ。ゆえに、恐れられることに対しては慣れていた。そこに落胆はなく、これは諦念でもない。純然たる事実だ。
「こんにちは、レディ。」
ヴィクターは女にはなしかけた。
当然、女は驚愕した顔で大蛇を見る。口は開かない。
「断りもなく、レディの部屋へ入った無礼をお許しください。しかしながら、」
発言途中で、ヴィクターは口を噤む。
女が、変貌しかけていた。赤銅色の鱗皮膚、コウモリのような羽。竜だ。こちらに恐怖してはいないが、警戒はしているようである。
人間体ならなんとかなるが、竜体だと嚥下するのも一苦労だ。
「レディ、一度冷静にはなしましょうか。」
ヴィクターはカチカチと、二度上あごと下あごを噛み合わせ男の姿に変貌する。警戒心を解くためと武器を持っていないことを表すために、両手を挙げた。
変貌が止まり女は、人間の姿のままその場に立ち尽くす。
「我々は、番兵です。番兵の説明は、いりませんね。
すでにお聞き及びでしょうが貴女はワタリであり、現在我々の捕縛対象となっております。無論抵抗しない限り我々は、貴女に無体なマネはいたしません。それはお約束します。」
無体はしない。そうはいっても、絶対に彼女を討伐しないとも言えない。女には、余罪がたくさんある。
女はすでに複数のせかいで聖女だの伝説上の姫君だの、女神だのを騙ってせかいを滅ぼした罪がある。きっと中には、故郷を滅ぼされた番兵もいることだろう。そのぐらいこの女は、あらゆるせかいを渡り歩いていた。
転生個体でなければ、すぐさま処分しているところである。俺は他の者と違い、女に私怨はないが。
今己の目の前にいるのは数多のせかいを滅ぼした魔王なのだから、殺すのは当然だろう。女だから、子供だから、境遇が可哀想だからといって見逃すことは、女に滅ぼされて消滅していった命に対する冒涜だ。
番兵たちはあらゆる手段でこの女、『玉梓』を見つけ出し殺そうとしている。それが何の因果か、未完のこのせかいで転生してくるとはなんとも面倒くさい。悪運も強いようで、結構なものだ。よほどこの女は質の悪い『悪魔』に、魅入られてしまったのだろう。
ちなみにワタリと違って悪魔は見敵必殺なので、討伐は非常に楽だ。
「どうか、わたくしめと同行してください。レディ。」
「同行はしますからレディ、と呼ぶのは恥ずかしいのでやめてください。」
ちいさく、女は声を発した。鈴のような、美しい声だった。
この声も、悪魔に願ったのだろうか。
「承知しました。では失礼ながら御名前を、お聞かせ願いますか。」
「いろいろと呼ばれてきたので、いつのまにか忘れてしまいました。マルガリータでもムムターズでも、ヴィクトリアでもなんでもいいです。」
なるほど、偽名は多いようで。本名でもポロっと漏らしてくれれば、縛るのには楽だったのに。
心の中で密かに舌打ちをした。
ヴィクターは少し考える素振りをして、口を開く。
「では、アン様と。」
そう呼べば、女はピクリと肩を揺らした。ヴィクターの右手に伸ばした手が、止まる。
「いかがしましたか。」
ヴィクターは不思議そうに女、アンを見る。
「いえ、なんでもありません。」
アンは何事もなかったように、右手を差し出した。
見敵必殺! -¬Ф(▼Д▼#)




