かたちだけの停戦協定
保護されてから一週間、アリスの身体に特別の変化はなかった。彼女の、帰還の目途は立たない。そもそもが、ワタリの帰還に関して番兵たちが出来ることなど具体的にはない。せいぜい、衣食住の提供ぐらいが関の山である。
アリスはヴィクターやイトーらの手厚い待遇のおかげで、飢えることも雨風にさらされることもなく快適に過ごしている。だが彼女もまだ子供だ、生家が恋しくなることもあった。
忠犬ラブラドール、セロはそんなアリスの心境を察してか召喚されている間はなかなか、アリスの側を離れようとしなかった。あれからイトーは彼女の為に、猫、馬、鳥、ウサギなど毎日違う動物を召喚してやったが犬のセロがいちばんだったようである。戯れている彼らは、まるで生まれたときから一緒に居たように仲が良く、とても微笑ましかった。
そろそろ彼女は、分類的に第三種のワタリになる。となると、やはり帰還には時間がかかるだろう。普通ワタリは数分、数時間で帰還できるものであるが最初に余計なヒゲジジイに遭ってしまった影響なのだろうか。帰還の兆しもない。
こう言っては薄情だが、ワタリの小娘ひとりにかまけている時間が惜しい。監視業務しかない番兵とて、暇ではない。特にこのせかいの番兵はわざわざ、大量のネームレスを派遣して業務に当たっているくらい忙しいのだ。
塔の監視だけではない。このせかいは未完であり、なおかつ三勢力の国、民族が一触即発状態でにらみ合っていた。実際小競り合い、というかちいさな戦争が勃発している状態である。情勢は、緊迫していた。
番兵は物語に介入しないしできないわけだが、だからといって戦争に巻き込まれれば番兵とて生命の危機である。ワタリと同じく余所者である番兵も、物語の中で死んでしまってはいけないのだ。そうそう死にそうにない、ヤワではない者が派遣されているが警戒はしなくてはならない。
イトーはネームレスからの報告書類を睨みながら、膝に乗せた猫を撫でつける。
ちなみに猫の名前は『シエテ』、メスである。
「統括、報告です。」
敬礼をし、ネームレスの男がイトーに近づく。
イトー、アリス、ヴィクターは夕涼みのため、セーフハウスの外で各々くつろいでいる。
サトーは哨戒のため、森の出口付近をうろついている為不在だった。
「ヴィクターがまた落馬したか。クワトロは、香水のにおいが嫌いだからな。今まで乗りこなせたのは僕と兵番ハチロクマル、ハルだけだし。」
「いえ、ヴィクター様は先程からあのようにクワトロを乗りこなしておられます。」
ネームレスの男は、広場の奥を指さす。イトーが指さす方を見ると、ヴィクターがきれいに馬を乗りこなしていた。
「裏切り者め!てめえなんか鹿だ、鹿!」
「それは馬鹿、ということですか。」
「冷静にツッコむな。緊急時には、誰でも乗せるように教え込んである。クワトロは、賢いやつだよ。さて、報告を聞こう。どうせ、良い知らせではないだろうが。」
「白の国に潜入したネームレスから、知らせです。軍備を拡張し始めた、と。」
「軍備拡張、まあ白は黒と比べると好戦的な国だ。今さらなはなしだが、知らせてきた以上はなにかあるんだろう。」
「それが、近々おおきな戦があるくらいの軍備だそうで。大々的に行われています。」
「白と黒の間には、休戦協定が結ばれていたな。」
「はい、五年前です。小競り合いの私闘、と無理やり名付けた戦はこっそりしていますが比較的静かなもんです。」
ネームレスの男は、書類を見て確認をする。
「攻撃対象は黒ではない、じゃあ黄色か。」
「自分の推測ですが対象は、『此処』かもしれません。」
「あの塔か。」
イトーが森の南を見る。背の高い木々が邪魔をして見えないが、塔のある方向だ。
「正義面して化け物退治、というところでしょうか。」
イトーは、イラついているのを誤魔化すように髪をかき乱す。
シエテは吃驚して、膝から飛び降りると広場のアリスの方へ走っていった。
裏切り者め!てめえなんか鹿だ、鹿! \(`Д´#)/=3




