番兵
リハビリも兼ねて小屋の中を歩きながら、私は考えていた。つかまりながらであれば歩けるまでに回復しているのは、うれしいことだ。
さて、
・数日居れば、還れる。
・その数日、番兵の庇護下にいれば滞在中の衣食住は保障される。
・庇護下から逃げ出し、異なったせかいと交わりを持とうとすれば、番兵に殺される。
・番兵はどこにいてもワタリを探知、認識できる。
それがネモさんから教えられた、おおよその内容である。第一に私は還りたいので、庇護下から逃げ出そうという考えはない。小屋から少し歩いたところに小さな町はあると教えられたが、衣食住が保障されているので無理に外出する必要もない。それに、ワタリは異なったせかいの住人から認識されることはないのだそうだ。異なったせかいのものを飲食してはじめて、存在を確立する。
ここ数日私が飲食したものは、このせかいの食べ物ではないらしい。
どこで仕入れているんだ、彼女は。
まあそんなわけで、町へ出かけても会話も出来なければ、買い物もできない。
殺される覚悟があるなら、好きに行動して構わないとも言われた。冗談か本気なのか、よくわからない。ただ此処は中世ヨーロッパ風のせかいで、東洋人顔の異邦人が突然現れたらどのような迫害を受けるか分からない、とも教えられた。あちらから見れば平たい顔の日本人は、化け物に見えるらしい。
現代社会ではないのだから、他国との交流もないのだろう。というより隔絶されたせかいであるのだから、「他国」という概念すらあるかどうかも分からない。
まあ、交流をした時点で迫害をされる前に、ネモさんに殺されるのだが。
しかしネモさんは口調こそ男性的だが、体つきはほっそりとした、華奢な令嬢といった感じだ。あの体で、何かを殺める力があるとは思えない。が、小屋の中には見えるところに銃や斧が置いてあるのだ。薪を割るためのものだとか、ウサギを狩るためのものだとか、いろいろ考えてはみたもののどうしても武器に見えて仕方がない。
命のやりとりはおろか、暴力とも無縁だった西暦二千年代の女子高生に、殺伐とした日々はなかなかに堪えるものがあった。パンケーキが食べたい。
ワタリは異なるせかいのひとに認識されないが、番兵はそうではないようだ。時々町のひとが、この小屋に来ているようだった。
今日来た人は、トムという赤毛の若い男の子だった。ネモさんの作った薬を、買いに来たようだ。町には、病院も医者もないらしい。
寝床での食事を脱してネモさんと向かい合い、晩御飯を食べる。
今日は黒パンと、ブロッコリーのシチューだ。美味い。
思い切って、町とのつながりについて聞いてみた。ネモさんは黒パンをちぎってシチューに付けながら、応える。
「ポジション的には、村はずれに住む変わったひと、だろうな。もちろん番兵とてワタリと同じように、そのせかいの営みや歴史に介入してはいけない。作っている薬も、時代に合った効能の弱いものだ。番兵を罰する機関や人物は、今のところないが。」
「えっと、ネモさんは元々このせかいのひとではないんですか。」
てっきりそう思い込んでいたが、考えてみると東洋人がひとりもいないこのせかいにネモさんのような日本人がいるわけがない。
「わたしも、違うせかいの人間だったよ。訳あってもう、そのせかいは消滅したようだが。」
つまり番兵も元は、「ワタリ」であったということだ。どういうキッカケで番兵になるのか、はわからないが志願でもあるのだろうか。いや、私が番兵になりたいわけではないので聞かないけど。
「ワタリに営みや歴史を阻害されたせかいというのは、わたしの『故郷』のように消滅してしまうらしいよ。番兵が、そういうワタリを殺してでも阻止するのは、そういった理由だ。」
「・・・ネモさんの故郷はどんなせかいでしたか。」
「割と、酷いせかいだったよ。毎日戦や病で人死にが出て、わたしの家族も皆戦で死んでしまったけれど。本当に消えてしまってもいいせかいだったかと問われると、少し返答に困るかな。」
それだけ言うとネモさんは、黙ったまま食べ終わった食器を片付け始めた。