みかん
オホン、とひとつ少年は咳をする。
「失礼、取り乱した。サトーは、ハンカチをぬるま湯につけとけ。あと大根すってこい。」
「はい。」
サトーと呼ばれた大男は、首を縦に振る。緩慢な動きで部屋の奥へと歩いていった。
「あー、どこまではなしましたか。まあ別段、忘れてしまっても構わないものもありますが。」
少年はどこからか、黄色いハンカチを取り出してきて少女へと手渡す。ヒヨコの刺繍が施された、とても可愛らしいハンカチだった。
それがなんとも今の雰囲気にミスマッチで、不思議と笑けてしまったのである。そんな場合ではないというのに。
「フフ。」
「うん、若いお嬢さんにはやはり笑顔が似合いますね。
慄くな、とは言いません。我らの使命を放棄するわけにはいきませんから。でも貴女が、なにをするつもりもないのであればそんなに緊張していては、いつか壊れてしまいます。どうかお楽に。ここに貴女の敵はいない。」
少年は、出来るだけ柔らかい口調でそう言った。
「本当は他に女性がいれば、緊張もほぐれやすいのでしょうが。ここにはサトー、さきほどの大男と僕しかいません。サトーが危害を加えるような、悪い奴でないことは僕が保証いたします。僕は見た目通り、貴女より力は弱いはずです。だから安心しろ、というわけではありませんが。」
「女性の番兵さんも、いるのですか。」
自然と、疑問が口に出る。
笑ったせいか、身体の強張りが少し解けているような気がした。
「ええ、もちろん。みなさん当然、女傑のような方ばかりではありますが。番兵以外の兵員には、力の弱い女性もいます。もしお嬢さんがお望みなら、非戦闘員の女性を派遣させることも可能かもしれません。あとで、頼んでみましょう。」
「本当ですか、ありがとうございます。」
正直少年とはいえ、男性と接することに抵抗はあった。はなすことは物騒だったけど、少年は終始紳士的に接してくれたので嫌、というほどではなかったが。
「ああ申し遅れました、僕はイトーといいます。もちろんサトーと同様偽名にはなってしまいますが、貴女におはなしした内容に嘘偽りはございません。生活していてなにか疑問があれば、その都度ご質問いただければよろしいかと思います。」
少年、イトーはわたしの目を見てハキハキと言った。その目は先程と違い少しだけ、光が見えたような気がした。
「ここの名前ですか。」
早速、イトーに質問をしてみた。あの綺麗な庭園と森に名前があるのか、という単純な質問。特段、知ってなにをするというわけではない。
「正直、ここに名前というものは存在しないんですよ。このせかい、実は未完なんです。」
わたしの頭の中に、柑橘類のミカンが浮かんで消えた。
違う、そうじゃない。
「あえていうなら、ここは『黄色のもり』と言われていますね。黄色の民族が、あらゆるところに町や村をつくって社会生活を営んでいます。ついでに言うとここより北にまっすぐ進むと、白の帝国が国を形成しています。南へ行くと黒の共和国が、同じように国を形成しています。
お察しかもしれませんが、白と黒と黄色はあまり仲がよろしくありません。このもりが戦場になることはありませんが、ご注意くださいませ。」
「戦場、ということは彼らは戦争をしているんですか。」
「ええ、不定期に。限りなく。ここはそういう『物語』ですから。
未完であるから、戦争にも終わりもなく、争い続けています。もはや、何について戦っていたのかすらも忘れているのではないでしょうか。」
イトーの目は黒々としていて何を見、何を考えているのかわからなかった。
違う、そうじゃない \(-Д-;)




