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原作を改変したら殺されます  作者: 葵陽
一ノ章 カドモスクエスト
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「ネモさん」

寝て、起きてみるとカーテンは閉まったままだったが、窓の外からしとしとと雨の音がする。やはり私が顔に受けていたのは、雨粒だったのだ。

熱は未だあるようで、私は仰向けのままだ。身体の節々が痛むに加えて、脚や腕に細かな裂傷や打撲もあり、満身創痍であった。記憶がないのでここへ来る前に何があったのかも思い出せないし、思い出そうとすると頭痛と吐き気が再来するので私は考えるのを止めたのだ。

小屋の持ち主と思しきその女性は、毎日私の看病と怪我の手当てをしてくれた。心得を持っていたのだろう、素人の私にはよく分からないが日に日に怪我の痛みも薄れてきた。

初めのうちは何の目的かと訝しんだり、寝具を占領してしまって申し訳なく思ったりもしたのだが、これについてもやはり考えるのを止めた。何も考えず、厚意に甘えることにしたのだ。と、いうよりも熱と怪我で身動きが取れない私には、厚意を受けることしか選択肢がない。

ここから逃げて、どこに行こう、何をしようという目的もない。

私が「母親」のような彼女に絆されていると誰かに言われたなら、その通りなのかもしれない。



「ここが、」

何日くらい経った時だろうか。恐らくは、十日ほどだったと思う。私は枕を背もたれにして、彼女の用意してくれた食事を食べていた。

今日の朝食は、卵粥である。程よい塩気が、舌の上でじわりと感じられてとても美味しい。そんな粥の味を堪能していたとき、不意に女性から話しかけられたのだった。今までは日々の具合を聞かれるのみで、雑談などしたこともなかったのに、である。

私はつい、食事の手を止めて、傍らに座る女性を見る。女性はまた、口を開く。

「ここがどこか、お前は分かっているか。」

それは、私が聞きたい。

という言葉を吐き出そうとして飲み込む。彼女の口調はいつもの男口調ではあったけれど、詰問をしているような威圧は感じなかった。

「質問を変えようか。ここに来た経緯を、お前は覚えているか。」

なかなか答えようとしなかった私に、彼女は質問を変えた。

私は返答の代わりに、首を横に振る。覚えていない、それが正直なところだった。

「そうか。」

そう言って、彼女は席を立つ。部屋を出て、二分経たずに戻ってくると抱えている茶けた紙を木机の上に広げた。大きな古紙のようだ。擦れてところどころ、消えてしまっているが地形が描かれている。つまりは地図、なのだろうと思う。

地図には大きな大陸と小さな大陸の、ふたつしか描かれてなかった。女性は大きな大陸を指さして言う。

「まず、今いるここはアドニス大陸という。聞き覚えはあるか。」

私はまた、首を横に振ろうとした。が、どこかで耳にしたことがあるような感覚を思い出す。歴史でも地理の授業でもない、もっと昔の私的な時に聞いたことがあったのだ。だが、それが何だったのか、誰から聞いたのかは思い出せなかった。小説、漫画、もしかするとゲームに登場する名前だったのかもしれない。

「聞き覚えは、多分あるような気がします。でも、どこで聞いたのか、誰に聞いたのかは思い出せません。」

私は正直に答えた。

「そうか、では話を続ける。なにかと聞きたいこともあるだろうが、そのまま聞いてくれ。」

女性はそれだけ言うと、傍らの椅子に再び座った。国の説明をしてくれるのだろうか、持ってきた、これまた古びた本を開く。書かれている文字は、読めない。見たこともない字で、アルファベットではないことは確かだった。


「ここは、お前の居たせかいではない。それをまず、飲み込んでおきなさい。」

唐突に、衝撃的なことを言われた。飲み込めと言われたとて、胃がもたれそう。


「わたしのことはネモ、と呼びなさい。このせかいの番兵ばんぺいをしている者だ。」

ばんぺいとは何でしょうか、と聞きたいところ私は口を噤む。とにかく今は聴くことに集中すべきだろう。兵、と聞くに物騒な響きであるとは感じるが。

「番兵がなんであるかはおいおい、説明しよう。今は、管理人のようなものと理解しておけばいい。そして、せかいというのはひとつではないということをはじめに理解しろ。お前が居たせかいと今いるこのせかいは、平行的に存在している。が、ふたつが繋がることはまずない。当然、交流もなければひとが行き来することはあり得ない。」


「ここまでで、何か質問はあるか。」と女性、ネモさんは本から顔を上げ私を見た。彼女の黒い瞳に私が映る。

ややあって私は、ネモさんに応えた。

「すべて私の見ている夢だった、ということにはならないですか。」

「そう考えるのは、お前の自由だ。わたしは特に、強制はしない。ただ夢を見ているにしては随分と、長期滞在ではないか。わたしは夢を見ないので解らないが、夢でも怪我をしたり病にかかったりするのか。」

ネモさんは訊ねられることを分かっていたかのように、そう答えた。

確かにそうだ。吐き気や頭痛、傷の痛みや熱の苦しさは現実のものだった。一度、夢である説は頭の片隅に追いやる必要があるようだ。

私はまた、口を開く。

「つまりそのあり得ない、という事態が今私に起こっているということですか。」

「そうだ。なかなかに、理解が早くて助かる。番兵には、ワタリに説明責任があるんだ。ワタリというのは、お前のようにせかいを越えたものを指す。その行為そのものを言うのにも使う。

お前の言う通り、ワタリは本来あり得ない事象だ。だが、まったく起きないという事象でもない。それゆえに、番兵が居るのだ。我々番兵の役割はワタリを保護し、元居たせかいに無事還れるようサポートすることだ。」

なるほど、ネモさんが満身創痍の私を保護した理由はそれなのだろう。

単なる優しさではなかったことに、少しショックを受けつつ私は納得した。

仕事なのだから、そこには当然情はない。


「話を続けても、大丈夫か。」

ネモさんがそう、私にたずねた。少しボウッとしていたようだ。ショックを受けたのもあるが、いろんなことを矢継ぎ早に話されたせいもあるのだろう。正直、あんまり良い出来のオツムであるとは言えないので。

私は、一度だけ深呼吸をする。ネモさんは黙ってそれを見つめていた。

「はい、大丈夫です。」

私は、ネモさんに向き直るとしっかりと答えた。

「なに、一度に理解する必要はないぞ。中には、要らぬ知識もあるからな。」

ネモさんは伏し目がちに、そう言った。


それでも説明しなければならないのだ、いずれは還ってしまう異邦人のために。


「では、つづきだ。ワタリは、来るはずのないせかいに来てしまったという個体だ。大抵のワタリは、数時間から数日で元のせかいに「自動的に」に還される場合が多い。ある日突然、身体が消えて居なくなるといった具合だな。」

強制送還、のようなものだろうか。

つい私は、自分の右手を見る。私の身にはいまのところ、変化はない。


「我々はこれを、元のせかいとのつながり、植物の根のようなものが未だ元のせかいと繋がっているためと考えている。せかいによる、異物への拒否事象とも考えられるが未だ何故、という点については解明されていない。で、ままあるのは強制送還されない個体だ。そしてお前は、その個体の可能性が高い。」

「根っこが腐っていた、とかですか。」

「植物の根というのはあくまで比喩表現だ、落ち着け。還らなかった、という事例は耳にしたことがあるが還れなかった、という事例はなかったはずだ。お前が元のせかいに還りたいと願うなら、わたしは協力を惜しまない。たまに余計なことをして身を滅ぼすワタリはいたが、お前にその心配はないとわたしは判断している。歳の割には、落ち着きがあるからな。」

「余計なことというのは。」

ネモさんはやや考えるそぶりをして、頷いた。


「そうだな。せっかく異なるせかいに来られたのだからと、積極的にそのせかいの人間と交流を持とうとした輩が多い。よほど、興奮していたのだろうな。わたしの話の、半分も聴いていたのか分からない。

例えば、このせかいには王国があるのだが、その王国の王に会おうと王城に侵入し兵士に殺されかけた者もいる。自分がラスボスを倒そうと躍起になり、森の魔物に食い殺されそうになった者もいる。刃物ひとつ、銃ひとつの使い方も知らない素人ほど無謀な者が多かったよ。」

語気が、強くなった気がした。私は押し黙る。

「ここが見覚えのある、ロールプレイングゲームのせかいに似ているせいもあるのかもな。一応は剣と魔法が存在する、ファンタジーなせかいだ。」

ああ、悔しいが少しばかりワクワクしてしまった。

「ワタリは、異なったせかいに影響を及ぼしてはいけないということですか。例えばそのせかいの歴史を変えようとしたり、そのせかいのひとと結婚したりとか。」

タイムスリップものの漫画や小説のように、制約があるのだろうか。


「おおよそ、その理解で正しい。

そして、そうなったワタリは番兵の保護対象から外れ、処分対象になる。せかいの営みを阻害する、異物として処理しなければならない。」

ネモさんの視線が、鋭くなった気がした。

「だから我々は、番『兵』と呼称される。ひとを殺める兵士だ。」

そう言ったネモさんの瞳は、いつもよりも深くて黒い。まるで、木に空いた穴みたいに。


さっきの話で王城の兵士に殺され「かけた」ひとも、森で魔物に食い殺「されそうになった」ひとも番兵、つまりネモさんに殺されたということだ。「殺される」のも異なったせかいのひとたちではダメなのだ、歴史が変わってしまうから。


私の背を、ツっと汗が流れた。それが人生ではじめてかいた、冷や汗だと思う。

「お前は大丈夫だよ、だってこんなに良い子だもの。」とネモさんは付け足すように言った。暗に、わたしにお前を殺させてくれるな、と言っているような気がした。

膝上の粥は、すっかり温かみを無くしてしまった。温め直そうかというネモさんの言葉を断り、私は冷めた残りを食べ始めた。

味がわからない。


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