大根を食べただけなのに
生来のものではない、第三者から与えられた力というのは御し難いものだ。不慣れなうえに、努力した末に手に入れたものではない。それは、自分で調教していない馬に乗るようなものだ。容易に使用できるものではないだろう。
ハルは千里眼を使おうと必死になるあまりに、体調を崩し寝込んでしまっていた。暗い部屋の中布団をかぶり、額に濡らした手拭いをのせている。
発熱、頭痛、嘔吐感に関節の痛みとめまい。ツラさのあまり彼女の目からは、自然と涙が溢れていた。その涙に刺激され、目にも痛みが走る。
もう帰りたい、ハルはそう思った。
「わたしは、わるくない。あいつのせい、あいつのせいだ。」
ハルはうわ言でぶつぶつと、そう呟く。病にかかると人間、気が狭くなりがちだ。
鷹揚になれ、という方が酷である。
いっかな雪は止みそうにない。
半ば強奪のような形で拝借した、上着を羽織る。起毛ではないので暖かいとも言えないが、ワイシャツ一枚よりは随分とマシだろう。
直後、ひとつくしゃみをする。日がとっぷりと暮れ夜がきたというのに、吹雪にならないだけでも幸運だ、と歩を進めた。振り返っても雪が静かに降っているだけで、追手はないようだった。てっきりハルさん以外にも番兵がいて、逃げた瞬間に殺される可能性も考えていたのだ。大人しく殺されるほど、ぼくは潔くはないが。
番兵、というのは集団ではないらしい。此処に常駐しているのは、彼女ひとりなのか。
とりあえずは今後の拠点となる、ネグラが必要だろう。腹も減った。とはいうもののオアシがないので、宿屋はダメだ。無理やり家に押し掛けるという手もあるが、今のぼくは幽霊のように認識されない体のようで。ひとを見つけて話しかけても暖簾に腕押し、というより完全なるシカト。集団で虐められているのでなければ、ぼくはひとに見えていないという結論に至る。
試しにひとが歩いている通りを見つけて、奇行を演じてみたが見向きもされていなかった。もし見えているひとがいたとしたら、通報ものだったろうに。
ひとに見えない、ということを利用してそこらの家に入る。
空腹であることに耐えかねて、であった。少しの米と水、くらいを拝借しようとしている。
罪咎を、仕方なかったと逃れる気もないが、こんなところで飢え死にをする気もないのだ。阿呆は阿呆なりに必死に生きている。
内装はやはり時代劇のような、日本家屋。囲炉裏があって、土間があって、カマドがある。ハルさんの長屋よりは広いようだが、大体は同じ造りだった。
囲炉裏の周りではこどもと親と思わしき大人が、雑魚寝をしていた。泥棒になったような気持ちになって少しだけ、良心が痛んだ。いや実際に泥棒、と呼ばれても間違ってはいないが。
カマドには夕食だったものだろうか、煮物が鍋に入っていた。美味しそうな匂いに、ついつまみ食いをする。もちろん水がめから水も拝借して、手を洗った後だ。
やはり美味い。大根の味のシミ具合も絶妙で、是非奥方に作り方を伝授してほしいくらいだ。煮物の味に感動したのはいつぶりだろうか。
家人に心中で謝罪しつつもうひとつ、大根に手を伸ばした。
納屋のような、物置小屋の片隅を拝借し眠りにつく。見えないとはいっても、長居をするのは危険だ。翌朝、家人が起きるよりも早くに起きてそそくさと立ち去るつもりだ。つもりだったのである。
翌朝目を覚ますと、こどもがぼくの顔をのぞき込んでいた。背格好と髪型から、七歳くらいの男の子だろうか。
ぼくは驚きのあまり暫しの間、動けずにその場で固まっていた。視線を感じるということは、ぼくが見えていることを表している。
逃げなければ、という考えが頭の中を支配しているのに腕が、脚が動かなかったのだ。
「にいちゃん、だれ。」
あどけなく、首を傾げながらこどもは訊ねる。まさか君んちに押し入って、煮物をつまみ食いした異邦人などと正直に言っても通じるはずがない。追われている身としては、このまま逃げるのが得策だ。
「かあちゃーん、知らんにいちゃんが、」
「少し静かにしてくれないか、少年。」
母親を呼ぼうとした少年の口を、咄嗟に手で塞ぐ。
もう暴漢と言われても、反論できないぞ。
素早く身を翻すと、ぼくは走り出した。さすがに見られたからといって、少年をかどわかすことは出来ない。逃げる背後から「にいちゃーん。」と、呼ぶ声が聞こえる。
ぼくは聞こえないふりをした。
突如何故、見えるようになったのか。夜の間だけ見えないのか、少年にだけぼくが見えているのか、いろいろ疑問は尽きないがとにかく足を動かして逃げることだけに集中した。
まさか大根を食ったからなどというくだらない理由だとは思わないだろう、誰も。
やはり美味い。(・μ・*)
ぬらりひょんか、てめえは。




