磁鉄大沼地
ゲルドアルドの特徴を捉えた上手い罵倒が思いつかない。
◆アイゼルフ王国。磁鉄大沼地。
風で揺れる程にしなやかで、鋭く輝く鋼鉄の稲穂が群生する。
大量の磁力を帯びる酸化磁鉄を含んだ沼からは、血の臭いに酷似する鼻に付く濃厚な錆の臭いが真っ赤な磁鉄の沼から立ち上る。
真っ赤な沼と、天に突き出た美しい鋼鉄の鋼米の対比は、槍衾で貫かれた巨大な肉体と血黙りを思わせるグロテスクな印象を見るものに与える。
人の背よりも大きい鋼鉄の穂を揺らす鋼米を支える束ねられた極細の鋼の繊維の茎はしなやかで頑丈。半端な大きさの生物やモンスターでは鋼米の間を掻き分けて進むことも出来ない。
錆びた磁鉄を大量に含んだ沼の水は、特異な魔法を宿し、本来磁力を帯びない酸素を磁化して無尽蔵に取り込み続ける恐るべし底無し沼。この大沼地の酸素濃度は恐ろしく低い。
それゆえにこの大沼地に生息するのは、稲の上を歩き茎の間を潜れ、あまり酸素を必要としない小型のモンスター。そして酸素そのものを必要としない下級精霊だけだ。
沼のなかで酸素を取り込むため、モンスターの多くは泥水に大量に含まれる酸化磁鉄を呑み込み、そこから酸素を取り出して呼吸している。
大きな個体でも三十センチ。小型だが全身が生体磁鉄で出来た肉体を持つこの沼のモンスター達。彼らは決して侮ってはいけない能力を持つ。対策がなければなにもできずに一方的に負けて死んでしまうような場所だ。
有するMPモーターは磁力を発生させ、磁力を操る魔法に長けた彼等は、沼に大量に存在する酸化磁鉄を武器として使用する。
砲丸の如く磁鉄の泥弾を発射し。
磁鉄の泥を鞭のように操り。
磁鉄の泥を防具のように身に纏い。
対象を魔法で磁化して泥に沈める。
酸化磁鉄の沼は酸素を取り込み、酸素を取り込む生物までも飲み込もうとする特殊な磁性流体。
沼は知らずに踏み込んで泥に呑まれた生物の死体が多数沈んでいるため、非常に不衛生。低酸素環境ための呼吸器や魔法、更に病原菌の対策もしなければ強者でも沼の底に沈む。
逆に対策があれば、ただの水田とも呼べる場所だ。
それが磁鉄大沼地。
◆
今宵は満月。
地球よりも明るく大きな月が天に登り、落ちてきそうな程に迫る月は目を凝らさなくても視界を埋め尽くす。
月が金属を大量に含む大地と実りで、灼熱を呼び込むアイゼルフの夏の終わりを照らしている。
月光の優しい輝きに鋼米は、夜の助力を得て昼間もよりも煌めいて美しい稲穂の輝きで返答する。磁鉄大沼地は明かり要らずの銀光に満ちていた。
この光景に遠慮しているのか真っ赤で不気味な沼の色も、血に染まったような沼の印象を柔らかく変化させ、風で揺れて思い鋼鉄の実りを宿した稲穂が、星にように輝くのを見守っている。
煌めく鋼米の地上に流れる天の川と、大喜な満月の月光が手を取り合う、美しい天と地の光の交遊を、無粋に遮る黒い影達は突如現れた。
月よりも尚迫る、刃物で突きつけるような圧迫感を伴う、空を覆った濡れた輝きを巨大な黒曜。
ソレが産み出した黒曜の群れが、月光を遮り真下に暗い影を落とす。
正面に暗く底の見えない穴の中に赤い光を宿す眼窩が四つ、左右に生える六対の巨大な鰭がスパークを弾けさせ、熱線砲を備えた分厚い鱗を纏う身体を大きく上下にくねらせている。
支配下に置いた大気を掻いて夜空を泳ぎ、無粋な影で景色を乱す機械仕掛けの巨大魚の名はオブシディウス。
人型の上半身を持つイリシウム部分は巨大魚の額に収納されている。
周囲には鏃のように鋭い頭部と腕と一体化したプラズマ推進機を持つ邪神の投擲槍。
下半身は蛇のように長い。ジャベリンの名前の通り投げ槍のようだ。ただし槍の左右には人のような両腕を備え、前腕には骨格しかない蝙蝠のような翼を持っている。
それがおよそ五百機。空と大地の輝きの交遊を遮って我が物顔で飛んでいる。
「く、糞がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
ギュリィィィィィィィィィィィィィィィィィィ!!
無粋な影で遮るばかりか、静寂に包まれた鉄錆大沼地に嫉妬と憎悪を滾らせた罵声を有らん限りを込めた叫びで静謐な空間をぶち壊したのは、オブシディウスを復活させた張本人。
聞く者の居ない。
孤独に毒づくグナローク・ロラーキ・アイゼルフ第三王子。
彼の感情の爆発に呼応してオブシディウスの巨大な金属の口が開き、中で無数にひしめくローラー状の削ぎ歯が高速で回転して不快な鳴き声を奏で、周囲に響かせる。
「糞ディセニアンがぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!下等生物の癖にぃぃぃぃ!!」
彼はゲシュタルトシティを襲撃した己の部下達の全滅を知った。
部下の正確な生死はわからないが、部下達に供与したジャベリンが残らず全て、破壊されたのは感じる事ができた。
それは自分の王妃となるティータ・ヘゼス・アイゼルフをゲルドアルドから奪還することにも失敗したこと示している。
ジャベリンが破壊されているならば部下達も生きてはいないだろう。興味があること以外には、かなり雑な対応するゲシュタルトの性質ならば、敵対した者達に録な配慮は無い。
そうグナロークは考え、自分をアイゼルフの真なる王と讃えて着いてきてくれた聡明な部下達の死に涙する。
実際にゲシュタルトに所属するディセニアンには、住人を気遣う素振りは微塵も存在しなかった。
それはグナローク第三王子の思っていた通りの理由もあったが、大半の理由は本拠地をを襲撃された事に由来する反応だった。
当たり前だが、死ななくても簡単に直せてても、他人に殺され、壊されれば当然腹が立つ。
そしてグナローク第三王子は、オブシディウスの力で、元々は打算や王の命令等で、仕方なく従っていた人物達を、無理矢理自分の陣営に引き込んでいることに全く気付いていなかった。
「糞!糞!糞!糞!糞!糞!糞がぁ!!あれは私の妃だぞ!」
親譲りの端整な顔立ちを憤怒と嫉妬で醜く歪め、オブシディウスの操縦席で頭髪を掻き毟グナローク第三王子。
「闘争にしか役に立たない蛮女に金色で媚を売り!この国の真の継承者である私に至高の蜂蜜を渡さない!|女々しい蜂蜜屑め!」
何時しかゲシュタルトやプレイヤーに向けられていたその感情は最も憎き対象であるゲシュタルトの幹部であるプレイヤー……甘味が非常に高値で取引されるアイゼルフでいつでも、そして至高の甘味を提供できるゲルドアルドに収束していく。
ゲルアルドは愛しい妃ティータ姫との中を引き裂く邪魔者だ……グナロークの視点では。母親をとても慕っているティータは、タイタニスに対する数々の暴言でグナロークを心底嫌悪していた。
その真実をグナロークは見向きもしない。
自分が誰よりも優秀であり、偉大なる建国王と比肩する言って憚らず……更に心の内では、建国王すら越える存在だという誇大妄想に囚われている。
実際にはグナロークはジョブを二つしか保有できない、神秘的な意味では才能に乏しき人物であり、そのハンデを覆すレガクロスレガリアやレガクロスロードに認められるようなジョブに依らない天賦の才にも恵まれていない。
グナロークから見れば酷い冷遇。端から見れば彼の能力に見合う適切な役職への配置。
無条件でジョブの才能を約束され、死なない怪物ディセニアンが世界にも自分を優先すべき国さえも優遇する。優秀な自分を何処までも蔑ろにする許されざる環境。
そして何よりも許せないのが、女々しくも頭の悪い蛮女にすり寄り、ティータに近付く蜂蜜屑が先のビースウォートとの戦争で多大な戦果を打ち立て、自分は強大な力を持ちながら参加すら許されなかった事だ。
額に収まっていた人型の上半身の姿を持つイリシウム……イリシウムジャベリンが巨大なオブシディウスから蛇腹の長い下半身を伸ばしていく。
「私なら……私なら!私なら!!私ならばぁ!!!」
翼竜の骨格を思わせるプラズマ推進機を前腕に生やした両腕を大きく広げたイリシウムジャベリンの中でグナロークは叫ぶ。
「寄生虫共よりも……女々しい蜂蜜屑よりも戦果を生み出せた!それどころかビースウォートに私のアイゼルフの旗を掲げる事も容易く出来た!なのに!なのに!!なのに!!!なのに!!!!」
感情の昂るままに叫び続けるグナローク。プラズマ推進機からはプラズマが迸り、胸部にある数も出力も上な熱線砲が、狂ったように発射され夜空に幾筋の赤熱を描く。
癇癪のとばっちりを受けたジャベリンが何機か光線をまともに浴びて蒸発するが、グナロークは気付かない。オブシディウスの力で幾らでも作成できるので特に問題も無かった。
◆
狂乱するイリシウムジャベリンを見つめている存在が、真っ赤に染まる磁鉄の泥沼に潜んでいた。
「盛り上がっているなぁー第三王子」
「素人丸出しの動きだなぁ格好悪い。流石は誇りの高さと実力が反比例する第三王子様だな……おっと!?流れ弾危ねぇ」
暢気に言葉を交わしていた二機のレガクロスの側に赤熱光線が突き刺さり、照射地点の鋼米や鉄泥を蒸発させる。その熱量はジャベリンが照射する物とは桁違いの熱を孕んでいた。
沼の水分は蒸発して水蒸気爆発を起こし、水分が蒸発。プラズマ化した磁鉄の微粒子が質量があるかのような、重たい爆風となって灼熱と共にレガクロス達を襲う。
魔法で姿を消し潜んでいる、丸々とした特徴的なレガクロスのシルエットが、水蒸気と熱で歪む爆風に晒されて一瞬浮かび上がるが、直ぐに周囲の景色に溶け込んでいく。磁力を拒絶する魔法が刻まれている装甲は磁鉄を振り払わなくても落としてくれている。
その二機のレガクロスは、半ば沼に潜るように伏せているため小さく見えたが、全長は十三メートルもあった。
頭部が異様に大きく、様々な部位がバルディッシュⅣよりも二周りは大きい。
今は見えていないが装甲全体に赤錆色に染められた毛に覆われ、デフォルメされた熊のヌイグルミのような姿をした奇妙なレガクロスは、アイゼルフが作成した機体ではない。
【ベア・フランキスカ】
国と民を守る魔法と機械の巨人型迎撃兵器であるレガクロスに、本来は重視されない隠密や追跡、奇襲能力に特化したゲシュタルト製のレガクロスである。
満月の中、銀光の稲穂と赤錆の泥沼の二色の磁鉄大沼地で赤錆色の機体は目立ちにくいが、今回は光学迷彩も使って姿を消し、更に強力な認識阻害を発動する魔法装置によって隠れている。
機体の拡声器で言葉を交わしているが、特殊な拡声器を積んだベア・フランキスカは、声に魔法で指向性と透過性を持たせている。
同じベア・フランキスカ同士でないと、例え彼らの間で耳を澄ましても何の音も拾うことができない。
水蒸気爆発に驚いた鱗や甲殻を持ったモンスター達が沼の中から飛び出すが、鉄の肉体を焼く灼熱に驚いて直ぐに真っ赤な沼に戻り、鉄泥の中を掘り進んで逃げていく。
「ジャベリンのとは比べ物にならねぇな。とと、近付きすぎたか……?」
レガクロスの内部は密閉され空調システムを完備。この程度の気温変化には余裕で対処できるが、奇襲以外の直接戦闘を想定していないベア・フランキスカの防御能力自体ははあまり高く無い。
光線が直撃すれば只では済まないだろう。
装甲の毛は〈炎熱吸収〉能力を持つ爆蜜蜂の体毛だが過信は禁物だ。
「いや、デカ過ぎて距離感狂うが、十分離れている。」
十キロは距離を離して彼らはオブシディウスを追跡していた。
今回はオブシディウスの大きさもあるが、優れた望遠能力も備えるベア・フランキスカの隠密と追跡能力はとても優れているため、機体より遥かに小さい人間が対象でもこの距離なら余裕で追跡可能だ。
再びに近くに熱線砲が突き刺さった。
水蒸気爆発で鋼米が乱暴に揺れ、周囲のモンスター達が逃げ惑う。当初の風情は欠片も残っていない。
オブシディウスの機体を覆う鱗に無数の赤い輝きが発生した。それは先程から乱射している熱線砲の輝きと酷似していた。
「下がるぞ!」
「やべぇ」
二人の危機感が警鐘を鳴らす。
間も無く、警鐘に従い回避行動をとった二機も射線に捉えた無数の熱線砲が磁鉄大沼地に放たれる。赤い雨……と表現する程の無数の赤熱が大沼地に降り注いだ。
ベア・フランキスカが魔法装置で重量を軽減した機体で、見た目よりもかなり身軽な動きを魅せる。次々と降り注ぐ熱線砲の赤い雨、ブラウリヒトの元で鍛えられ、身体に染み付いた回避行動が熊のヌイグルミに似た機体を俊敏に動かす。
丸々と膨れた装甲形状から鈍重に見えるが、その運動性能はバルディッシュⅣよりも上だ。見た目は熊だが、魔法で重量を軽減し猿のように木々の間を飛び回ることも可能。
熱線が沼に突き刺さりあちこちで起きる水蒸気爆発。重量を巧みに増減させて爆風を利用して跳び下がると、レガクロスでも沈んでしまう深い沼や鋼鉄の稲穂を次々と足場にして赤熱の破壊を回避していく。
可愛らしいとも言える丸いシルエットが獣のごとき軽快な動きで沼を跳ね回った。
これほどの動きをしても、起動しているはずのMP増殖炉の騒音、間接のMPモーターの回転音、急激な運動で軋む骨格や装甲の音も一切、ベア・フランキスカからは聞こえてこない。
機体を丸く膨れさせている様々な魔法装置が音を機体は内部に止め、わざと軟質に仕上げられたゴーレム装甲は機体の動きに合わせて柔軟に変形する。
運動により発生した熱さえも、装甲に植毛された爆蜜蜂の体毛に吸収されてMPに変換され機体の外には漏れない。
「まさか勘づかれたのか?」
無数に照射される熱線砲の赤熱の輝きは、ただ乱射されているように見える。
機体には掠りもしていない。
威力は最初のイリシウムジャベリンの照射していた物とは違い、ジャベリン相当の威力。ただし射程は遥かに勝るし、この数は驚異だ。
イリシウムジャベリンの熱線砲は耐えられると思わないが、この威力なら五、六発当たろうとも、ベア・フランキスカの装甲を覆った爆蜜蜂の体毛の炎熱吸収能力なら耐えられる。しかし数を受ければ動きが鈍るし、受けすぎれば素材が劣化して持たない。
爆蜜蜂が直接生やしている毛と素材になった毛は性能に大きく差があるのだ。
まさか第三王子ごときに見付かったのかと、不安になった彼は思わず相方に呟いた。
グナローク第三王子が普通のレガクロスに乗っているなら安心できるが、乗っているのは視線の先で無数のジャベリンを従わせる空に浮かぶ島のような巨大レガクロスのオブシディウスだ。
詳しく機体を調べようとすると〈イビルテック〉という住人なら、洗脳されグナローク第三王子に従うようになり。プレイヤーでも、グナローク第三王子に不利益になる行動が殆ど取れなくなる特殊なスキルがついてしまう。
オブシディウスの具体的な性能は謎に包まれていた。
「それは無いな。第三王子が俺たちを見つけたらなら、嫌味全開で自分は優れているムーブで煽って来て、マウント取り始めるだろうから絶対に見つかってない」
相方は即座に否定した。オブシディウスがどんなに優れていようとそれは有り得ないと。
「そうだな……あの劣等感の塊が、発見しているのに手柄を誇らずわざと見過ごすとか、そんな高度な真似は思い付くだろうができる筈がないか」
今の二人の会話の内容が、アイゼルフ王国に所属するプレイヤーのグナローク第三王子に対しての共通認識である。住人でもグナローク知る者の大半はそうだろう。
頭は上等、しかしその性格が優れた部分を根こそぎダメにしているのだ。
共通認識が正解だと示すように唐突に赤い雨は降り止んだ。
熱線砲の雨で遮られていた、聴くに耐えない罵詈雑言が再び、荒れた磁鉄大沼地に響き始める。
「「素人が、拡声器くらい止めろよ……」」
それは、レガクロスの欠点だった。
機械の身体に魔法装置を詰め込んだ巨人兵器は……オブシディウスは少し違うが、その挙動はレガクロスに非常に酷似している。機体を循環するMPで自在に巨人の身体を、魔法装置を自在に操れる。
余りに自由に操作できるため、操縦に慣れないと無意識に意図せず魔法装置を起動してしまったりするのだ。
調度、彼らの目の前で拡声器が入りっぱなしで口汚い怨嗟の感情を赴くままに叫び続けるグナローク第三王子が乗ったオブシディウスのように。
「もっと、距離を離そう、サブマスと隊長に今見た熱線砲の射程情報も連絡だ」
「サブマスの方は俺がやっとく」
二機のレガクロスは、ギルドチャットでそれぞれの人物に連絡を入れながら、更に距離を離していく。
次回更新は未定です。
二月中には終わりたいです。
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