悪魔が来たりていじくりまわされる
「あー、オモシロかった。やっぱ新しい刺激って大事やね」
唐突に始まった異変の終わりに、睡蓮は満足そうに目を細める。浮かんでいるのはタイヘン、イイ笑顔。
超能力という異能を持ってはいるが、ここまで自分以外のために使ったのは初めてのこと。そもそも周囲には隠しているので、使う機会など家のなかしかない。それが突如として現れた霊鬼相手に活躍できたのだから、ゲームの主人公になったようで楽しめた。
「おっと、忘れてた」
意識の外に放り出しかけていたが、足元には念動力で引き寄せた悪魔の姿がある。全身にヒビが入っているが、胸は上下に動いているし、突けば反応もする。止血にと座布団を押し付けて踏んでいたが、座布団をどけてみると薄い破片がボロボロと落ちた。
「ほほー……」
出血はもう止まっていた。座布団から落ちるのは、赤黒く乾いた血液。そして、血液にへばりつき、一緒に剥がれた表皮。いや、表皮という表現は正しくない。“表面”と言ったほうがいいだろう。
「“中身まで一緒”か。なるほどなるほど。知ってるぞ~」
座布団に付着した黒い欠片を指で剥がしながら、睡蓮は一人頷く。傷跡から覗く中身には、肉感、というべきものがない。まるで粘土模型のように、悪魔の中身は黒一色。さらに奥まで覗き込み、指を入れてはかき回す。
「あら、終わっちゃったの?」
「とっくにね。遅いぞ母よ」
縁側にやってきたのは呪具を抱えたなずな。まともに会話できる程度には酔いも醒めている。醒めているからこそ、抱えた呪具を落としたのには理由がある。なずなが見つめるのは、睡蓮の手に付いた赤黒い血液。
「ちょっとスイちゃん!? どこか怪我したの!?」
「え? ちゃうちゃう。これはアタシんじゃなくて、こっちの」
指を差したのは足元。その差した先を見たなずなは、青い顔をさらに青くする。
「こっちって……霊鬼ッ!? 発氣操典!」
「おおおお!? まってまって! 違うかもしんないから待って!」
転がっていた呪具に霊力を込めだしたなずなを、睡蓮は慌てて止める。
「違うって、どう見ても…………どう視ても違うわね」
「あ、母はわかる? ユーキも人って言ってたけど、アタシじゃよくわかんなかったからさー」
「よく視れば、だけれどね」
肉感はない。だが、実際に目の前で見て、手で触れて感じる存在感、現実感は霊だとは到底思えない。現実感という意味では、影鬼などどれほど希薄だったか。しかし姫狼という例外もあり、睡蓮だけでは計りかねていた。
「でも、どうしてこんな……あら、そういえばユウちゃんは?」
「ユーキなら土に帰りました。惜しい人を亡くした――にゃわ!?」
ガシリ、と睡蓮の後頭部が何者かに掴まれた。
「ハァ……ハァ……ッ!」
耳元に聞こえてくるのは荒い鼻息。そして、腹の底から捻り出される唸り声。後頭部を掴まれているので振り返れない。しかし気配から、顔を般若のように強張らせているだろうことは睡蓮にも想像できた。
「スウゥゥゥゥイィィィィィィ……!!」
「元気そうでよかったよぉ、ユーキー。無事だと思ってた」
何者というか、有希だった。
「あ、あの人……げほっ……は、どうなった……の?」
「血は止まってるみたい。息もしてる。大丈夫だよ」
「そう……なら……ッ!」
睡蓮の頭を掴んでいる有希の指が、ミシリと音を立てる。ゆっくりと腕を持ち上げると、睡蓮の小さな身体が宙に浮いた。
「ねーねー、お土産は? あと降ろして」
「ゼェ……ゼェ……やだ、よ。お土産は……は、墓穴を見つけてきて、あげたよ! うぷ……さっきまで、私が埋まってた穴だけどね……!」
よほど急いで帰ってきたのか、有希は息も絶え絶え。しかしどれだけ気分が悪くとも、睡蓮の頭だけは離さない。
「え、ホントに土に帰ってたの? 死んじゃうの?」
「死なないわよ! 死ぬかと思ったわよ!!」
霊力で身体を強化し、生い茂った木々のおかげで速度が落ち、そして落ちた先の地面が腐葉土になっており柔らかかった。偶然が重なり、おかげで怪我らしい怪我はしなくて済んでいる。だからと許すほど有希も甘くはない。
「ね、穴にいこ? 埋めてあげるから、ね?」
「やーだー。はーなーしーてー」
睡蓮は軽く体を振って抵抗してみせるが、有希の指はピクリとも動かない。
たいして動きがなく、じゃれ合いにもみえる。しかし二人の間では、腕に霊力を込め力を入れる有希と、念動力で掴む手を開こうと睡蓮が抵抗するという、異能力者同士の戦いが誰にも知られず行われていた。
「ってか、埋まるならユーキじゃない? キオに許してもらったん?」
「ぬっぐ……」
痛いところを突かれ、有希の拘束が緩む。睡蓮は指から逃れると、サッとなずなの後ろへと隠れる。
「ほら、早くキオに謝り」
「っ! わかってるよ」
有希は刀の姿に戻っている姫狼を縁側に置き、指で印を切る。すると、途端に刀は黒い煙の塊となり、有希の頭上で姫狼は狼の姿へと変わる。
「はぶっ!?」
そして、そのまま有希を踏み潰した。頭を前足で押さえつけられている有希の姿は、土下座しているようにも見える。
「ごめん、姫狼。私が未熟だった。殺されても文句を言わない」
「ゆ、ユウちゃん!?」
現場にいなかったなずなは有希の発言に目を丸くするが、睡蓮からなにがあったか説明されると、黙って見守ることに徹する。これは、分家である泉家が口出しできる問題ではない。
「ユーキ、キオにそんなに悪いことしたん?」
「なにか事情があったならまだしも、勘違いな上に無理やり刀に戻したとなれば、ね。プライドが高いって聞いてるし……スイちゃんと一緒にいると、そうは思えないけど」
数百年前――神代宗家初代当主から傍らにあった意思を持つ霊刀。立場にすれば最上位に位置する。所有者として認められなければ当主になれないのはもちろんのこと、姫狼の不興を買って殺されても『仕方がない』で済まされるほど。それだけ信用され、恐れられてもいる。
姫狼は唸り声を上げながら、足の下で動かない有希を見る。
「んぬ? へへへー」
そして、顔を上げ睡蓮を見た。余計なことはするな、という姫狼の視線に、睡蓮は笑って返す。
姫狼は尻尾を一度だけ大きく振ると、有希へ視線を戻す。そして頭を抑えていた前足を大きく振り上げ。
「いったァ!!」
パンッという大きな音。ゴンッという額を地面に打ち付けた音。姫狼は有希の頭を一つ叩いて、家のなかへと戻ってゆく。
「……許してくれた?」
有希は後頭部と額をさすりながら姫狼の後姿を見るが、振り返ることはなかった。
「『次はないぞ』だって」
「スイ、姫狼が言ってることわかるの? あ、精神感応」
「違うよん。きちゃないから食べたくなかったんじゃない」
地面に座る有希の姿は、全身に落ち葉を貼り付け、下半身は腐葉土に埋まったせいかドロドロ。顔も土で汚れている。
「お風呂入ってきたら?」
「そうしたいけど、他にやることがあるでしょ」
「そうだった。本気で忘れてた。ま、ダイジョブじょーぶ。血も止まってるし」
問題の一つが片づき、三人は残りに取り掛かる。
「うわ……これ、どうなってるの」
「見たまんまじゃない?」
地面には悪魔の姿はない。代わりのように、大量の黒い砂が積もっていた。
「おーいしょ」
睡蓮は躊躇なく砂に手を突っ込むと、白く細長いモノを持ち上げた。
「それ、人の腕?」
「だね。あらよーい」
まるで人が入っているのがわかっていたかのように、ずるずると砂から全身を引きずり出す。なかから出てきたのは、睡蓮と同じくらいの身長の、少し長い髪をした子供。気を失って目覚めないが、胸は上下に動いている。
「……女の子? 綺麗な子」
悪魔の塵から出てきたとは信じられないほど。大きさも様子も違う。しかし、やはり霊鬼ではなく人だった。
「でも、なんで女の子が」
「ちゃうみたいよん。ほら」
「ほらって――ンヒッ!?」
睡蓮が摘んでいる部分を見て、有希の顔が真っ赤に染まる。
「おー、初めて触ったけど、やらかいもんだね。あとちっちゃい。まだ子供用?」
「ちょ、ちょっとスイ! どこ触ってるのよ!?」
「どこって……ち○ち○」
睡蓮がぷるぷると振るたびに、有希は『うわ、うわ』と声を上げ、最後には顔を両手で隠す。
「……あ、ホラ見てみ。ちょっと大き――ぐいったあぁぁぁッ!」
二の腕に走った激痛に、睡蓮は身体を激しくくねらせる。隣ではタオルを持ってきたなずなが、睡蓮の細い二の腕の肉を、親指と人差し指で思い切り捻りあげていた。
「スイちゃん、下品すぎ。慎みを持ちなさい」
「痛い痛いイタいだだだだ! ごめんなさいごめんしてごめんなさいだから!!」
涙を浮かべる睡蓮に溜息を吐き、なずなが指を離す。地面に蹲る自分の養子を無視し、なずなは少年の下半身にタオルをかける。
「ユウちゃんも、隠したからこっち向いて」
「は、はい……あ」
振り向いた有希は少年の身体を見て、言葉を詰まらせる。タオルの横から見える少年の脇腹には、自分を庇ったときに付いた真新しい傷があった。しかし、思っていたよりも小さい。
「よかった……」
傷の浅さに、有希はホッと息を吐く。影鬼の腕が深々と刺さって見えたが、中身が小柄な少年だったのであれば、傷の大きさにも納得できる。しかし。
「って、これ。傷口がもう閉じてるの……?」
傷を覆うように、黒いカサブタができていた。端の剥がれた部分には、黒ずんでいるが真新しい薄い皮膚。血は止まっていたと睡蓮は言っていたが、いくら傷が浅かったといえ、こんなに早く皮膚まで再生するはずがない。
「あ゛ー痛かった。絶対赤くなってるよ」
腕をさすりながら、
「やっぱこの少年、“コッチ側”かなぁ」
「スイ、なにか知ってるの?」
「知ってるというか、資料を見たことあるというか。とりあえず、アタシのせんせーのとこ連れてこうかと」
「先生って、スイの主治医の? じゃあ、この子は」
睡蓮が言わんとしていることは、有希にもわかる。そうでなければ説明がつかない部分があることも確か。
「うん。この少年は、超能力者じゃないかな。んで、そっちの見解は?」
睡蓮に促され、有希となずなは互いに頷きあう。
「この子は、霊能力者だと思う」
超能力と霊能力。
二つの力を持った少年は鬼に追われ、睡蓮と有希の前に現れた。