死した屍、口も聞けずに塵へと帰る
新地街の外れにけたたましく響くサイレン。古びたビルの前で警官たちが慌ただしく走り回る。立ち入り禁止を示す黄色いテープの周りには、どこからやってきたのか十人ほど野次馬も集まっている。
「世も末ね、三人も殺されたっていうのに。人間の前世って、みんな猫なのかしら」
そんな光景を眺めながら、一人の女性が呟く。制服姿でもスーツでもなく、カジュアルなシャツにスカート姿。テープの内側にいるので関係者なのだろうが、刑事という雰囲気はない。
「無理ッスね。“三人”とも話は聞けそうにないッス」
そして、他にもう一人。ブルーシートで作られたテントから出てきたパーカー姿の女性が、首を振りながら戻ってくる。
外で待っていた女性の名は、空杜夏凛。
テントから出てきた女性の名は、九流々美兎。
互いに新地街周辺を担当している霊能力者。まだ若輩ではあるが、半人前ではなく正式に配属されている。
二人は発見された遺体の異様さから刑事に呼ばれ、この事件現場へと出向いていた。
「そう。なら、ここにいる意味はないわね。ちょうどいいわ。視界の端がチカチカして、いい加減うんざりしてたのよ」
テープの外から無遠慮に焚かれるフラッシュに、夏凛は目を細める。現場に着いてからそんなに時間もたっていないというのに、もう何枚撮られたことか。
「夏凛先輩、目立つッスからね」
「それは身長のことを言っているのかしら?」
夏凛の目が、キロリと美兎を見下ろし睨む。夏凛の身長は百九十に近く、周りの男性警官よりも高い。事件現場というより、なんだあの女性は、と写真を撮る野次馬も多い。
「美兎だって、大きい目立つモノを持ってるじゃない。ちっちゃいくせに」
そう言って夏凛が見たのは美兎の胸。百五十もない身長をさらに猫背で低くし、そのうえダボついたパーカーのせいで大きくは見えないが、姿勢を正せばパーカーの胸元を大きく押し上げることを、夏凛は知っている。
次に夏凛が見たのは、自分の胸元。いくら胸を張ろうと、下を向けば靴のつま先が見えるくらいに平ら。
「……………………チッ」
本気の舌打ちだった。
「自分で話を振ってきて舌打ちとか、どういうことッスか。大きすぎてもいいことないッスから。もう叩かないでくださいよ」
「叩かないわよ。……変なコトをしなかったらね」
数年前、美兎はなんか流行っているから、と急に大きく育ち始めた胸に携帯端末を乗せて夏凛に見せた。その頃から育たぬ胸に頭を悩ませていた夏凛は、思わず横っ面ならぬ横っ胸を叩いた。それも本気で。
もげるかと思うほどの胸の痛みに美兎は涙し、手に残る重い感触に夏凛も涙した。それ以来、美兎が自分から胸の話題を出すことはない。
「まぁいいわ。さっさといくわよ」
「う~ッス」
顔見知りの刑事に後で連絡をすると声をかけ、目立つからと野次馬のいない場所から……ということもなく、黄色いテープをくぐり野次馬のなかを去ってゆく。間近から光るフラッシュに顔を顰めながらも、文句は言わない。どうせ言っても意味がないことを二人は知っている。なにか言ったほうが、余計に面倒になることも。
「美兎」
「ほい」
野次馬から距離を取ったところで、美兎は指で空中に印を切る。途端に事件現場から飛んでくる、五枚の小さな紙片。どれも片面に、銀箔が貼ってある。
「――やっぱダメだ。なんか写真がボケてる。つーか、歪んでる?」
「――オレもだ。こっわ。さっきまでは大丈夫だったのにな……あ、直った」
「――マジで!? あ、マジだ。よかったー、買ったばっかだったんだよ」
事件現場の前で、野次馬の口から安堵の声や不思議がる声が上がる。野次馬の端末やカメラで正常な写真が撮れたのは、夏凛と美兎がくる“前”から去った“後”。
「どうせ言っても聞かないなら、好きなだけ撮ればいい。ただし、まともに撮れるならな――ッス」
「余計なこと言ってないの」
二人は近くの人気のない公園へと向かうと、空いていたベンチへと腰を下ろす。
「それで、他にわかったことは?」
「ちょっと待ってください。もう限界なのが何枚かあってッスね……」
美兎は紙片から箔が黒ずんだ二枚を抜き、手を合わせてからライターで火を点ける。途端に燃え上がり、紙片は灰も残さず消えうせる。これで、“現実”に残るモノはない。
「ありがとう」
「ありがとッスよー」
感謝の言葉の向かう先は、紙片から解放された魂の欠片。生前の意識など残っていない、霊力の残り滓。
「美兎の式神、便利よね」
「ウチは代々、こういう小技が得意ッスから」
紙に貼ってあるのは、神鉄鋼を薄く引き伸ばした箔。美兎は傀儡符と呼ばれる呪符に消えかけの浮遊霊を捕まえ、宿し、役割を与え、式神として使役していた。
野次馬の端末やカメラが不調だったのは、美兎の放った式神により、霊障を起こす局地的な結界を作ったから。いうなれば、人為的な心霊写真しか撮れないようにしていた。
元が動物なのか人なのかもわからないほど消耗してはいるが、魂に違いない。だからこそ協力に感謝し、限界が近ければ解放は速やかにおこなう。
「私の家は、肉体強化が主だから……って、そんなのはいいから報告」
「結果は言ったとおり、話は聞けなかったッスよ」
美兎の入っていたブルーシートのなかには、三体分の遺体が並んでいた。どれも大型の獣に襲われでもしたような酷い傷。いくら街外れとはいえ、そんな大型の獣など出ることはない。動物園から猛獣が逃げ出したということもない。
だからこそ、二人が呼ばれた。肉体が死んでも、魂は残る。死んだ直後であれば、抜け出た魂に話が聞ける……はずだった。
「肉体と一緒に、魂もガッツリ喰われてたッス。むごいのなんのって感じ」
どれも人として機能などできないほど、大穴の開いた魂が三つ。人として機能しないのであれば、ただの霊力の塊に過ぎない。あとは時間と共に消えてゆくのみ。
「いやぁ、いっきに“成った”ッスねー。警戒はしてたのに」
血肉と一緒に魂を喰らうなど、普通の獣にできはしない。
「人を襲いまくって、今じゃ通り魔が完全に“霊鬼”ッスよ」
「気楽に言わないでちょうだい。通り魔の時点で祓えなかった、こちらの落ち度よ」
実体を持つ悪霊――霊鬼と呼ばれる成り果てた存在。そして夏凛たちは前から、付近を騒がせていた通り魔に霊的な要因を見出していた。
まず被害者の語る犯人について。曰く、誰もいないのに手を掴まれた。背中を押され振り返っても誰もいなかった。気付いたら腕に切り傷があった――などなど。そして、事件のあった場所に残る、強烈な悪意と怨みの篭った魂の残滓。
近々、有希を連れて調査、除霊を行う予定だったのだが、後手に回ってしまった。
「死んだヤツが原因ぽいッスね。あいつら、臓器密売組織の下っ端だったみたいで」
「なら、霊鬼に成ったのは被害者の誰かかしら」
「だと思うッスよ。まぁ実際は三人は拉致役なだけで、解体したのは人も場所も別でしょうけど」
――魂は生前の記憶に縛られる。それが怨みともなれば、尚更のこと。そして被害者が拉致され気を失ったのが、事件のあったビル周辺。最後の記憶から事件現場に戻り、怨みから見境なく人を襲い始めた。最後には霊鬼と成り果て、顔を憶えていた三人を殺した。
「こんなとこッスかね。千里眼に連絡は?」
「美兎がテントに入ってるうちにしたわ。問題は、その霊鬼がどこにいったのか、だから」
ここで言う千里眼とは、超能力的な遠視能力ではなく、霊力の痕跡を広範囲で探知できる、霊能力者のこと。成り立ての霊鬼であれば、力を抑えることなく動いているはず。
「あら、ちょうどきたみたい。えーと……」
端末を確認していた夏凛の顔が凍りつく。何事かと美兎が端末を覗き込むと、理由はすぐに知れた。
「あちゃー、向かった先は來豊山ッスか。しかも反応が二つ」
「言ってる場合じゃないでしょ! は、早く有希に連絡しないと」
「もう間に合わないんじゃないッスか?」
「ど、どうなのかしら……! でも早く連絡を……れんらく……」
空杜氏族は神代宗家とは違う霊能力者一族の名家。九流々家は空杜氏族の分家筋にあたる。そして、それぞれ神代宗家とは親交が深い。幼馴染とまではいかないが、夏凛も美兎も、有希のことは子供の頃から知っている。そういった関係もあり、有希に現場のノウハウを教える教育係を任されている。
教え子にして親交のある家の跡取り。危機が迫っているならば知らせなければいけないのだが、端末で電話をしようとしていた夏凛の指が、ピタリと止まる。
「な、なんて言えばいいの……」
「またッスかー……。仕事の依頼のメールするときも、一言加えるだけなのに何時間もかかってたッスよね。つーか、今回は電話ッスよ?」
「え、え、え……だって電話よ? 恥ずかしいじゃない。うーん……最初は『ごきげんよう』かしら」
「そんなこと言ったことないでしょ、先輩。なーんで有希ちーが関わると、こうポンコツになるんッスかね」
子供の頃から夏凛は、どうにも有希に関することになると、頭のネジはどこかへ飛んでいってしまう。側でずっと見てきた美兎にとって、これがネタでないことを知っている。いまだに解せないことの一つ。
「あーもーいいッス。ウチが連絡しときますから。ついでに睡蓮にもやっとこ」
有希へは千里眼からの報告をそのまま。ゲーム友達だという同じ家に住む一人娘にも、朝にきていた大量の恨み言をようやく既読にしつつメッセージを送る。
「で、どうするッスか? 山にいくなら、車を出すッスよ」
「え? なに言ってるの。いかないわよ」
連絡をするだけでワタワタしていた夏凛だったが、それはそれ。さも当然という具合に、美兎へ返答する。
「あそこにいるのは、神代宗家の跡取りよ。素質だって悪くない。いえ、歴代の神代でも強いほうでしょう」
神代宗家は霊能力者として常に名を馳せている名家。そんじょそこらの霊能力者一族とは、積み重ねた血の重さが違う。そして有希は、近年稀に見る霊力の強さを持っている。
「なずなさんもいるし、神代宗家の至宝、姫狼だってある。それにね、有希は私の弟子と言ってもいい。まぁ、力の使い方はまだまだだけれど。このくらいの霊鬼が二体程度、無事祓ったっていう報告しか聞く気はないわ」
「うわー、すげー自信。その信頼と笑顔が怖いッスわー……。まっ、それならそれでいいッスけどね。楽できて」
「なに言ってるの。私たちは、この付近を視て回るわよ。もう一体の霊鬼がどこからか湧いたのか、調べないと。変な気配も漂ってることだし、追ってみるわよ」
「えー。まずは千里眼に任せればいいじゃないッスか」
「ここは私たちが守護する街よ。放ってはおけないわ」
いつの間にか現れたもう一体の霊鬼。夏凛は來豊山の方角に一瞬だけ視線をやり、夜の街へと戻っていった。