成るモノ
朝の騒動から半日近く経った台所に、ガスガスと大きな中華鍋を振る音が響く。景気よく炒飯を舞わせている女性は、この家の家主、泉なずな。
「ユウちゃん、これもお願いね」
「はーい!」
できあがった炒飯を大皿に盛り、食卓に皿を並べていた有希に渡す。
「ねぇ、ユウちゃん。今日のこと、樹さんに報告するの?」
「あー」
二人の視線は、壁の向こうにある居間へ。なかは片付けたが、壊れたモノは元に戻せない。襖には大掃除の余りの障子紙を貼り付け応急処置をしてあるが、穴から継ぎ接ぎになっただけで、みっともないことに変わりはない。
「報告する程度じゃないと思いますよ。……私にも原因があるので」
樹というのは、神代宗家現当主にして有希の父親。なにも親に連絡して弁償してもらおう、ということではない。そして、悪いコトをした子供を叱ってもらおうということでも、もちろんない。
「なら、二人のお小遣いから引いておくわね」
「うぐ……はい。ごめんなさい」
なずなとて人の子供を預かる大人。叱ることもできれば、こうしてお小遣いを人質に反省を促すこともできる。ならば、なぜここで有希の親の名前が出るのかといえば。
「スイも、基本的にはイイ子なんですけどね。……ちょっと自由すぎるところを除けば」
「スイちゃんもねー。いつボロが出るか、わたしも心配なのよ」
三年前になずなが引き取った、睡蓮という存在にある。
霊能力者というのは、“血統”というものを大事にする。なぜなら、霊能力というの受け継いだ血の――魂の濃さにより力を増すことが多い。
本家である神代宗家、そして神代に名を連ねる分家でも、血を受け継ぎ、魂を重ねることを大切にしている。数多くの霊能力者を輩出する名家ならば尚更のこと。しかし、睡蓮は血の繋がらない養子。
――分家の泉家に引き取られた、霊能力とは異なる力を持つ超能力者。血を受け継がぬ者。
それが本家、他の分家の睡蓮の評価。霊能力を持たない。超能力を次代に引き継げるわけでもない。なのになぜ引き取った、と。睡蓮が問題を起こせば、それだけ泉家の評価が落ちる。
『だって、可愛かったんですもの』
だというのに若くして泉家の家長となったなずなは、そう言っては他家の文句を斬って捨てた。
おかげでなずなは代々住んでいた屋敷を追い出され、かつて神鉄鋼と呼ばれる霊力を通す特殊な金属が採掘されていた來豊山の古民家に、親子揃って飛ばされた。古民家の修復と改築に、泉家の資産はずいぶんと圧迫されたという。
「上の人たちがうるさ過ぎるんですよ。私も気にしすぎだと思ってるんですけど」
霊能力者になるための修行と、泉家――睡蓮の監視役。それが有希がここにいる“表向き”の理由。本当の理由は、本家や分家の重鎮に常に『本家の人間たれ』と教育されている有希を、外の世界に触れさせるため。
「……樹さんも志乃さんも、苦労してたからなぁ~」
「父さんと母さんが、どうかしたんですか?」
その裏側を知っているのは、画策した有希の両親と相談されたなずなのみ。監視もほどほどに居候生活を楽しんでいる有希を見る限り、成功していると言っていいだろう。
「過保護だな~って思って」
「そうですか? 帰ると、修行だなんだって厳しいし」
「それは強くなって欲しいからよ。どんなことがあっても負けないくらいに」
親の心、子知らず。それに最大級の過保護が成されているのを、なずなは知っている。
「ユウちゃん、スイちゃん呼んでくれる?」
「はーい。スイー、ご飯できたよー!」
廊下に顔を出し睡蓮を呼ぶと、のそりと気配が近づいてくる。入ってきたのは、一匹の大きな黒狼。しかし有希もなずなも、巨大な獣に驚きはしない。その背に乗せている人物を見て、小さく息を吐く。
「あらあら」
「まだ寝てるしー。……あ、涎が背中に。神代宗家の至宝なのに……」
背中から朝と同じ姿の睡蓮を引き起こし、狼の背中を拭く。
「姫狼さー、なんかスイにだけ甘くない? 私、背中に乗せてもらったことなかったよね」
記憶のある限り、幼少の頃から姫狼と呼ばれる黒狼は神代宗家にあった。だが、一度足りと背中に乗った記憶はない。というか、一緒に遊んだ記憶が有希にはない。どちらかと言えば、怖いと思っていた。
姫狼はまるで小バカにするように鼻を鳴らすと、背中を拭き終わった有希の顔を尻尾で叩く。
「ひっどーい! もしかして、朝に“重し”って言ったの怒ってる?」
「……くあぁぁぁぁ……んあこといったの? 酷いなぁユーキは。キオはこげにカワイイのに。ねーキオ」
起きた睡蓮が姫狼を呼ぶと、すぐに姫狼は近寄り睡蓮の頭を撫でる手に目を細める。
「ほーれ、ウリリリリリリリ!」
「むうぅぅぅぅ……」
ワシャワシャと睡蓮の手が黒い体毛を乱暴に撫でる。しかし姫狼は嫌な顔をしながらも、睡蓮の側を離れない。睡蓮と会ってから姫狼はこの調子で、怖さというのは柔らだ……が、現在の姫狼の“所有者”としては、なかなかに面白くない状況。
「本当に、どうなってるのかしら。……はいはい。二人とも遊んでないで座って。ご飯が冷めちゃうわ」
「へーいよー。またあとでねキオー」
「はーい……なんか納得いかない」
食卓の上に並ぶのは、炒飯に焼売、小籠包、春雨のスープ。そして中華ドレッシングのかかった山盛りのサラダ。三人は思い思いに料理をとりわけ、口に運んでゆく。
「んで母よ」
「なによスイちゃん」
「泊りがけで街コンにいった結果はどうでしたかい?」
「んぶ……ッ」
なずなの口から春雨が飛び出す。有希は慌てて空き皿で料理をガードし、対面に座っていた睡蓮は予想していたのか、超能力を使いブロックする。
「な、なんのことかしら?」
「いや、貸したタブレットに履歴が残ってたし」
「超能力ね! また超能力で覗いたのね!」
「聞きなってば母よ。いつも履歴は消せって言ってるでしょ」
街コンの申し込み履歴どころか、ビジネスホテルの予約サイトまで残っていた。
「なずなさん、またそんなところ行ってたんですか?」
「またってなによ、またって! しょうがないじゃない! わたしだって結婚したいのよ!」
なずなは今年で御歳二十八になる。近年では晩婚とも言い難い年齢だが。
「みんな結婚しちゃうし、年賀状には子供が載ってるし……わたしだけなのよ……視線が痛いのよ……」
親戚筋でも、未婚なのは泉家当主のなずなだけ。それもこれも、“血を受け継ぐ健康な子供を産む”ことを優先しているからこそ。
「いいんですか? 街コンってことは、相手は一般人ってことですよね」
「一世代くらい普通の人を挟んでも、霊能力はなくならないわよ。……ちょ~~~っと弱くなるかもしれないけど」
子供の話を聞かされるたび、なずなの心は年々荒んでゆく。しかし、なずなが他家から見合いをしろと五月蝿く世話されていたのも昔のこと。今では誰もそんな話を持ちかけてこない。
「アタシがいるやん」
「そうなんだけど~……」
睡蓮は“霊能力者”ではない。泉の名を継げても、霊能力者の家系としては終わってしまう。その理由を睡蓮も理解し、納得しているからこそ、気にせず話題にできる。
「二十八歳……はまだいいとして。高校生の養子持ち。職業は霊能力者用の呪具作成。どう考えても怪しいね! このさい一般人でも、とか思っても誰がきてくれるかな!」
「ぬぬぬぬぬ……」
そしてイジるネタにも。
霊能力者としてのなずなは、最前線に立てるほど霊力が高くない。ただ手先が器用で、呪具と呼ばれる霊能力者が使う道具や武器、防具を作成している。なずなも來豊山に飛ばされ、静かな環境で作業に集中できると喜んでいるほど。しかし、家に篭ることが多くなったため、余計に出会いというものがない。
「もういい! 飲む! 今日は飲むわ!」
叫ぶなずなが食器棚の下から取り出したるは、芋焼酎の入った一升瓶。栓を開けるやいなや、そのままラッパ飲みし始める。
「スイちゃん、霊能力に目覚めてくれないかしら」
「アタシだって使えるなら使いたいけど」
「使えるのちょうにょうにょくだし」
「酔うの早くない?」
なずなの口から漏れる、『ちくしょう』という怨嗟の念と酒の筋が物悲しい。
「ユーキー、ユーキー。母が壊れたん」
「スイのせいでしょ」
「おうよ。いつもの流れです。どうせなにも言わなくても飲むんだろうし」
有希も一緒に住み始めてから、何度この光景を見たことか。これでなずなは次の日の朝まで役立たずになってしまった。
「そやさーユーキ」
「なにさースイ」
皿に残っていた最後の焼売を奪い合いながら、睡蓮は部屋の隅で寝ている姫狼を見る。その隙に焼売は有希に奪われたが、睡蓮は代わりに小籠包を超能力で引き寄せる。
「いやね、キオも魂なの? 触れるの、前から不思議だったんだよね」
「え、今さら?」
「キオの可愛さに比べれば些細なことやってん」
名を呼ばれ、姫狼の耳がピクリと動く。だが、話題に出されただけだと理解しているのか、床から動きはしない。
「姫狼は特殊なの。昔は魂を宿しただけの“霊刀”だったって聞かされてる」
霊刀・姫狼。神鉄鋼で造られた、真っ黒な刀。神代宗家に代々伝わる魂を宿す至宝の刀であり、今では霊獣として姿を現すほどの神器。なずなの言っていた、最大級の“過保護”。
「それがなんで?」
「除霊の副産物だって伝わってるよ。霊を、今だとそんなにいないけど妖怪を、斬って斬って相手の霊力を吸収して、力を付けたからだって」
「ふーん。じゃあ霊力が強ければ、魂でも実体になれるんだ」
「うん。だけど――」
睡蓮の言葉に頷いていた有希の肌に、鳥肌が立った。
『――!』
最初に動いたのは、姫狼だった。部屋を飛び出し、居間へと向かう。次に有希が慌ててその後を追う。そして最後に、残っていた小籠包を口に放り込み睡蓮が席を立つ。
「おおう、網戸にキオの爪の跡が。どったのユーキに……キオこわっ!」
有希の横では、睡蓮が見たことがないほど牙を剥き唸る姫狼の姿。縁側から一人と一匹は空を――新地街のある方向を睨んでいる。
「スイ、朝の話の続き」
「ぬん……?」
自我が強ければ、魂の密度が高くなれば、現実に影響できるほどの力を持つ。それは姫狼だけに限った話ではない。例えば、仕事で祓った自縛霊。
「自我とは言ったけど、自分を見失っても魂だけで存在し続ける霊もいるの。それは怒りや憎しみ、怨みっていう感情を強く残した霊。そういう感情で存在を保つ霊って、怖いんだよ」
――夜空には満月。光量は十分にある。有希は霊力を眼に集中し、ある一点を視る。
霊が特定の個人や集団を狙って終わりならまだいい。まだ区別するだけの自我があるし、怨みを晴らせば勝手に消えてゆく。だが、あまりにも強すぎる怒りや怨みにより自我が塗り潰され、見境のなくなった悪霊が一番厄介な存在。
「人を怨んでいるから、人を襲うことに抵抗がない。悪霊は人を襲えば襲うほど、力が増していく。怪我をさせたり意識を奪ったり、少しずつ魂を削り取って、霊力を奪って」
――視界に捉えたのは、米粒より小さな点が二つ。
――空を翔る二体の影。
――悪意を纏い、“成った”異形の姿。
最後には自分という意識さえも捨て、形を怨念で歪に塗り変えて。
「“鬼”へと成り果てる」
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