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いつも通りかと思ったら、思いの外騒がしくなった朝

今日はここまで。

 時刻は午前五時。

 新地街から車で四十分ほどいった場所に、來豊山らいほうさんと呼ばれる山がある。街の喧騒から隔離されたような静けさのなか、一台の車が山道を少し入ったところで停車した。


「……ごくろうさま」

「はい。私にできることであれば、また協力させてください」


 車から降りたのは少女一人だけ。運転席と助手席には男が二人。時間と状況を考えれば、なにかしら如何わしい行為が行われたと邪推してしまう。だが、三人にはそんな雰囲気は微塵もない。どちらかと言えば、男たちのほうが少女を疑っていた。


「――おかえりなさい。有希ちゃん」


 車から細長い布袋と着替えの入ったバッグを降ろし、新地街へと帰ってゆく車を見送っていた少女――神代有希に声がかかる。有希が振り返ると、山道脇の森にある一本の木から、右半身だけ姿を見せる小さな女の子がいた。


「ただいま、ちーちゃん。また覗き見してたの?」

「それだけじゃないよ。あの人たち、酷いね。有希ちゃんのこと、偽者だとか、胡散臭いとか、トリックだとか、色々言ってるの」


 そう言いながら、女の子はくつくつと笑う。


「覗き見だけじゃなくて、盗み聞きのほうもか。ダメよ、あんまり悪いことしちゃ」

「だって、山のなかなら耳が届くから。それに、他にやることがないんだもの」

「だからって、やっていい事と悪い事があるの。いい加減にしないと、“祓っちゃう”んだからね」

「はーい、ごめんなさい」


 女の子はまたくつくつと笑い、木の幹の右側に“張り付いている右半身”と、左側にいつの間にか“戻ってきはりついていた左耳”が、鬱蒼とした森の闇のなかへ融けるように消えてゆく。


「ホントにわかったのかな……」


 有希は一つ息を吐き、消えた女の子のことなど気にも留めず、山道を登り始める。


 話をしていた女の子は本来、視えてはいけない、視てはいけないたぐいのモノ。だが、有希にとって視えるというのは日常の一部。


 ――異能。そのなかでも、霊能力と呼ばれるモノ。


 いつから使えるようになったかといえば、生まれたときから。意識せずとも“霊”という存在が視えてしまう。森に融けた女の子も、世間一般では幽霊と呼ばれるモノ。視て影響がなければ視るし、話しをすることもある。害のあるモノなら、強引にでも祓う。


 先ほどの少女は、数年前に山の近くで事故死した哀れな浮遊霊。せいぜい盗み聞きする程度、悪霊化もしないので放っておいている。


「…………視えない人には、わからないよね」


 女の子のことは気にしなくとも、言っていたことは気になる。車に乗っていた男たちには、女の子の姿など視えない。昨夜、仕事で祓った自縛霊のことも。


 視えないということは、視得ない。視えないから得るものがない。それは信じるに値する根拠がないのと同意。だから有希を――霊能力者というモノを疑う。おかげで息苦しい車内から早く出たくて、山の中腹にある家ではなく山道の途中で降ろしてもらった。


「あっちから依頼してきた事件なのに」


 依頼主は、国民の守護者たる警察。表立ってはいないが、警察内部にも霊という存在を信じている者はいる。そして霊が起こしていると思われる事件や事故があると、外部の霊能力者に依頼し、解決する。しかし末端の、それも視えない人間までは知識や意識を統一しきれないのだろう。なにせ、目の前にいても視えないのだから。


「……はぁ」


 が、それも含めていつものこと。気にしてもしょうがない、と有希も諦めていた。一人で依頼をこなしたのも、簡単そうだと回ってきた数回だけ。なにしろ霊能力者としての有希は、まだまだ半人前。文句を言える立場ではない。


「報告、帰ったらしないと」


 山道を歩き始めて十分ほど。太陽はとっくに顔を出しているが、森を切り開いた細い山道のため気温より湿度が高い。デニムパンツにTシャツという薄手の格好でも、じっとりと纏わり付く湿気で汗が吹き出てくる。


「今日も暑くなりそう」


 見上げた空は雲ひとつない晴天模様。目を細めた顔に流れる汗を、シャツを捲くり裾で拭う。チラリと下着がシャツから覗くが、山全体が私有地のため見知らぬ誰かが通りがかることもない。覗くような霊がいれば、その場で祓えばいいと気にもしない。


 あと二十分も歩けば家に着くだろう。毎朝通学で上り下りしている道なので、疲れるということはない。しかし朝の鍛錬代わりに、と意識して姿勢を正し地を踏み締める。


「ふうぅぅぅ……」


 息を吐き、意識を手足の指先まで巡らせ、寸分の狂いなく己の体と同調させる。ゆっくりと、しっかりと。それに、枷となる重しも、すでに持っている。


「む。なによ、文句あるの?」


 重し扱いが不満なのか、肩にかけていた布袋が震える。長さは一メートルほどで、鉛の棒が入っているように重い。行動を阻害するには十分な重量のはずだが、ここまで有希の足取りは変わっていない。それだけ慣れた重さでもある。


「あんまり揺らさないでよ。バランス悪い――もー。仮眠したら、ちゃんと鍛錬はするから。ね?」


 有希は揺れる布袋を宥めつつ、先へと進む。このまま山の頂上まで登り反対の麓を見下ろせば、磯に囲まれた海が見えてくる。朝から夏の海を見下ろすというのも乙なものだが、さすがに徹夜明けで登る気にはなれない。それに、目的地は山の中腹。


 時刻が五時半になろうかというころ、山道脇の森が再び開け、代わりに漆喰の長く高い塀と、大きな木製の門が見えてくる。表札には『泉』と一文字。有希の生家ではなく、修行の一環として親戚が住む家に居候させてもらっている。


「えっと、鍵……鍵は……」


 目の前の大きな門ではなく、すぐ隣にある勝手口に鍵を差す。昔は低いくぐり戸だったのだが、改装した際に普通の扉に付け替えられた。車の出し入れをするときくらいしか門を開くことはない。一応自動ドアだが人の行き来で開くには、時間と労力のほうが勝りすぎる。


 敷地に入ると、目の前には純和風で平屋造りの母屋。その奥に、自分の部屋のある離れがある。離れにも入口はあるのだが、有希はそちらへ向かわず庭へと向かう。古い蔵や納屋が並んでいたのを取り壊して作った広々とした庭。その空間に響いてくる低いモーター音。そして縁側の先、居間にいる誰かの気配。


「エアコンついてる。睡蓮スイかな」


 泉家の家長は昨日の夕方から留守にしている。よって家にいるのは、一つ年下の自由人のみ。


「こっちで寝たのかな。まったく、体弱いくせに」


 縁側から入って驚かせてやろうかとも思ったが、どうせ戸を開ける音で気付かれる。それなら普通に帰ろうと、再び玄関へと戻る。


「ただいまーー!」


 玄関を開け靴を脱ぐと、荷物を持ったまま居間へ。


「あ、やっぱりスイだった」


 畳に寝っ転がる銀髪の少女の姿。ずいぶんと不機嫌そうな顔をしているが、なぜそんな顔を向けられるのか有希にはわからない。


「おかえり、ユーキ。早かったね」

「ただいま、スイ。相手が楽勝だったモノでして」


 有希は座ると、とりあえず睡蓮に笑顔を向けておく。そうすると、睡蓮の不機嫌顔が、諦めたように柔らかく変わってゆく。


「今回はどんなんだったの?」

「んー。普通だったよ。ちょっとだけ力が強い自縛霊」


 殺人事件の起きた事故物件で不可解な現象が起きている、という依頼。電化製品が壊れる、モノが勝手に動く、新しく越してきた人が怪我をする、などなど。部屋にいたのは殺された被害者の霊で、完全に悪霊化する前に祓うことができた。もう少し霊が力を付けていれば、新たな死人がでたかもしれない。


「それでちょっと強い、なんだ」

モノを動かせるポルターガイストまでいくと、現実に干渉できるってことだからね」

「あ、そ。寝るから七時に起こして」

「もー、自分から聞いてきたのに」


 興味を失ったようにゴロゴロし始めた睡蓮に、有希は嘆息を漏らす。


 互いに会話がなくなる。睡蓮は、アタシの力はポルターガイストと同じなのだらうか、などと益体のないことを鈍った頭で考える。有希は有希で、寝転がる睡蓮をボケッと見ている。


「……スイ、可愛くないよね」

「うーん。アタシは今、ケンカを、売られて、いるのかな?」


 無言からの唐突な暴言に、睡蓮の額に青筋が浮かぶ。別段、可愛らしい行動をしたわけでも心がけてもいないが、こう正面きって言われればカチンとくるというもの。だが、有希は慌てて首を振った。


「ごめんごめん。ソレ、着てる服」

「コレ?」


 睡蓮が摘んだのは、自分が着ているスウェット。灰色で、無地で、パジャマ代わりに使っているせいか毛玉もころころ。


「パジャマ代わりだし、こんなモンでないの? これで外に出るわけじゃなし」

「出ようとしたら全力で止めるからね。じゃなくて、前にパジャマ買ってきてあげたでしょ」

「せやな。おかげで自分で買うハメになった」


 それは半年ほど前のこと。睡蓮は新地街へ買い物に行くという有希に、破れたパジャマの替わりを買ってくるよう頼んでいた。そして買ってきたのだが、睡蓮はそのパジャマを渡されて以降、タンスの肥やしにしている。


「あんな猫耳フードのパジャマなんて、誰が着るかってんだ。しかもドがつくほどピンクて。センスを疑う」

「えー! 絶対スイに似合うのに。見た目だけは可愛いんだからさ」


 再び睡蓮の額に浮かぶ青筋。


「“だけ”やて? こんな美少女を捕まえておいて、なんていい草だ」

「私だって、スイが美少女なのは認めてるよ?」


 白銀と薄桃色の髪。透き通るように白い肌。小柄な体躯も合いまり、精巧な人形のような雰囲気を醸し出している。一年と少し前、有希が初めて睡蓮と顔を合わせたときは、なにを話していいかわからなくなったほど。


「んふー、わかってんじゃーん」


 有希の言葉に、睡蓮の溜飲も一旦は下がる。


「問題は、その性格を覆い隠すには普段から服にも気を遣わないと、ってことであって」


 ……そう、一旦は。


「よっしゃケンカ売ってんな。やっぱ売ってんだな。だったら買ってやらァ!」

「わぶッ!?」


 勢いよく飛んできた座布団が、有希の顔にブチ当たる。しかし、それでは終わらない。睡蓮の背後には、すでに無数の座布団が浮いていた。


 この程度の遣り取りは二人にとって日常茶飯事。睡蓮も文句を言いつつスルーするだろうと有希は予想していた。だが、睡蓮がガセネタと徹夜で頭が沸騰しやすくなっている、などとは思いもしていなかった。


「食らえやボゲがああああああッ!」

「ちょ、止めてよスイ!」


 次々に飛んでくる座布団を、有希は手足を使って打ち落としてゆく。初撃は完全に油断していた。指一本動かさず予備動作もなく超能力で飛んでくる座布団など、気を抜いている状態では避けられない。


「オォウイェエエエエエェア! ヒャッハァァァァァァァァッ!!!」

「スイ落ち着い――テーブルはダメだってば! テーブルはダメぇぇぇぇぇっ!!!」


 居間に響くシャウトに悲鳴に破壊音。

 こうして二人の騒がしい朝は始まった。

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