孤独の対価、毒の水
時間は少し巻き戻り――異能者同士の戦いから。観戦しているのは鳥に獣。誰に知られることもなく、続いていた。
「フッ!」
鋭い息の音と、伸びてくる拳。有希は眼前に迫る拳を、両腕でガードする。
「……ッ!」
ミシリ、と霊力で強化した腕が、骨が軋む。後ろに跳び衝撃を和らげるが、痺れるような重く鈍い痛みが脳に伝わる。追撃はなし。螢は距離を取ったまま、有希から目を離さない。
離れたついでに腕を動かしダメージの具合を計る。芯に傷みは残っているが、動かすのに影響はない。
(さて、どうしよう)
螢の霊力は、有希より数段下。なずなの少し上くらいだろう。かつて神代や空杜と肩を鳴谷一門が、なんと落ちぶれたことか。前線から身を引いたというのも納得できる。
(だからって、弱いわけじゃないんだよね)
徒手空拳同士の戦い。だが、練度が違う。有希とて武器がない場合の戦いの心得はある。しかしそれは、鍛錬の“一部”に組み込まれていた過ぎない。対して螢は、鍛錬のほぼ全てを格闘術に費やしたのだろう。年齢、体格、霊力、その差を埋めるほどの技量を持っていた。
それでも霊能力者同士の戦い“だけ”であれば、無傷とはいかなくとも勝てるだろう。持久力や経験からの駆け引きでは、有希のほうが上なのだから。しかし、螢の異能は霊能力だけではない。
「…………」
「…………」
ジリ……と無言で足を摺り、互いの距離が縮まる。
「はあッ!」
螢の貫手突き。螢の体格から考えれば、十五センチは間合いの外。だが届く。届くように、腕に手甲を纏っている。
「クッ!?」
これは受けてはいけない。手の甲を貫手に沿わせ受け流す。霊力で筋力を強化した尖った指先。まともに受ければ穴が空いてしまう。受け流すまま腕を絡め取り関節を狙うが、螢は即座に拳を引いた。
(まだ本気じゃない、ってことかな。生意気)
腕を取られかけたわりに、螢に焦りの表情はない。貫手に対し、有希がどのような反応をするのか確かめられた。経験や駆け引きという土台が崩れ、実力の差が縮まる。
ならば残りは持久力。睡眠は十分に取れただろうが、栄養はどうだ。点滴で補給した分だけだろう。耐えていれば、そのうちガス欠になる。
「それはそれで、カッコ悪い」
小さく呟く。相手が力尽きるのを待つなど、やりたくはない。そんなもの心に響くわけがない。だからとただ殴って勝っても意味がない。
「とりあえず、動きを止めなきゃね!」
今度は有希から仕掛ける。螢が変身させているのは肘から先の腕だけ。病み上がり。おそらく全身を変身させるほど超能力が使えないと予想する。有希はフェイントを入れつつ螢に突きを放つ。しかし的確にガードされ、効果がない。ならばと身体を深く沈みこませ、踵で足を払い。
「いっ――たぃ!?」
損ねた。電信柱でも蹴ったのかという痛みが、驚きと悲鳴を上げさせる。見れば素足だった螢の足は、太く黒い足に変わっていた。
痛みで停止しかけた思考を無理やり働かせ、片足で大きく跳び退く。予想が外れたことを悔やむより、情報の修正を優先。腕だけでなく足も変身させた。踵と指に生やした鋭い爪を地に突き立て、足は数ミリも動いていない。硬さからして霊力で強化もしているのだろう。
「自分から攻撃したほうがダメージ大きいとか、どうすればいいのよ」
「諦めればいいと思います」
「それはないね」
構え直し、戦いを再開する。
動きを止めたい有希だが、どう止めればいいかを悩む。気付けば攻撃の主導権は螢が持ち、有希は防戦が主となる。
拳を受ける。爪を逸らす。拳を振る。蹴りを放つ。ダメージは軽微。効果も薄い。どちらも決め手が欠けている。動き続けているのに固まっていると思えるほど膠着している。
「シッ!」
先に膠着状態に変化をもたらしたのは、螢だった。半歩、深く踏み込んできた。半歩分、右腕が伸びている。
(あ、取れる)
直感。逸らした手で手首を掴み、捻りあげれば拘束できる。だから手首を掴んだ。力を入れて捻ると――ボロリと“手甲”が崩れた。
「しまっ……!?」
腕を取ることに気を取られた。手首に合わせていた視線を螢に戻すと、視界の端に沈んでゆく後頭部が映る。
「ぐう――ッ!!」
直後、腹部を襲った衝撃で真後ろに吹き飛ばされる。地面に叩きつけられ、何度も地面を転がり、ようやく有希は止まった。
「げほっ! …………回し蹴り……かぁ。油断した……」
痛む腹を押さえ、なんとか立ち上がる。
貫手のとき、腕を取ろうとした。螢はそのタイミングを覚え、膠着した状態のなかで罠に嵌めた。遠くには、右腕の手甲を失った螢の姿。表皮を変化させ手甲にしただけで、手ではない。ならば脱げるのも道理。
情報ををさらに修正。どれだけの対人戦を想定し鍛錬していたのか、一対一では駆け引きも螢が上手。
「優しいなあ……螢君は」
褒めたわけではない。これは嫌味。腹を押さえていた手を退ければ、そこにはくっきりと螢の足跡が残っている。それ以外は転がったときの汚れ。他にはなにもない。制服も破れていない。
「爪、使わなかったんだね」
地面に突き立て、有希の足払いでも微動だにしなかった鋭い足の爪。裂くか突くかすれば、有希は立ち上がれなかっただろう。
「手加減してくれたの?」
「っ! 僕はあなたを殺したいわけじゃない!」
その大きな声に、有希は驚く。驚いて……笑う。
「……本当に優しいんだね」
三度目は正直に。
しかし。
「優しいもんか!!」
何度目だろうと、螢には咎めの言葉以外の何物でもない。
「僕のせいでなにが起こったのか、もう知ってるんでしょ!?」
「鳴谷一門が滅んだって話なら知ってるよ。だからどうしたの?」
「どうしたって……本気で言ってるんですか!? 僕が近くにいると人が死ぬんだ! 優しかった先生も! ご飯をくれたお爺さんも! お父さんも! みんな僕が殺したんだッ!」
悲痛な叫び。己の異能が霊鬼を呼び寄せ、一族を巻き込み滅ぼした。螢の能力と鳴谷一門が滅びた事実を照らし合わせれば、容易に結びつけられる。螢の反応からしても、事実で間違いない。
子供が背負うには重すぎる罪。
だが。
「それで? それが私に、なんの関係があるの?」
罪など関係ない。異能など関係ない。睡蓮に頼まれたからでもない。
有希は“連れ帰ると決めた”。泣きそうな子供を放っておけない。そう思った。だから連れ帰る。それだけなのだから。
「…………は?」
絶句させるには十分な破壊力。
「あ。約束もあるけど、私が螢君を気に入ったから連れて帰りたいんだよ?」
「い、いや。そういうことじゃ……」
我侭などという言葉では生温いほどの自己中。相手の意思など完全に無視している。
思考が読めない。もしや、相手にしてはいけなかったのではないか。気に入られたのが運の尽きだったのではないか。そんな考えが螢の頭に浮かぶ。
「僕は一緒にいけません。誰かと一緒にいちゃいけないんだ」
「そうなの? でも、おかしいよね」
「……なにがですか」
「だってさ」
有希の浮かべた笑顔に、螢は恐怖を感じた。
「螢君は新地街の、しかも繁華街で買い物をしてた」
「っ……それは……お腹が減ってて」
霊力のようなナニかが繁華街にも残っていたことは、夏凛から聞かされていた。それはおかしい。なぜ“人混みで買い物をする必要”がある。
「繁華街にいかなくても、探せば寂れたコンビニやスーパーなんて幾らでもあるよね」
「それ……は……」
「そもそも人通りが多い時間に出歩かなきゃいい」
有希の言葉が螢に突き刺さる。人目を避け食料を調達するだけなら、深夜に郊外のコンビニにでもいけばいい。当たり前のこと。
「だから私は、寂しかったんじゃないかなーって思ったんだけど」
「…………」
螢は答えない。有希の指摘は、図星と言っていいものだった。
――螢はここ一年ほど、各地を転々と放浪していた。人里に出ず、宿はもっぱら山中の使われていない山小屋や海に浮かぶ無人島。それでも時折、人寂しくなることがある。そんなときは木製の特殊な結界符で異能を抑え、人里に出向いて人を見る。自由のない自分を道行く人に重ねる。そして満足したと泣きながら眠るのだ。
一人は寂しい。
肯定。
誰かと一緒にいたい。
肯定。
でも認めてはいけない。なぜなら自分は人を不幸にするから。そういった自戒の念がある。しかし、答えられないのは別の理由。
「答えてくれないと、わからないよ」
目の前で笑っている有希が怖い。
……肯定。
怖い。怖い。怖い。否定してもきっと信じてもらえない。どんな嘘も通じない。だって真実を知られている。耐えなければいけないのに、否定しなければいけないのに、恐怖心が螢の口を噤ませる。
「寂しいって認めたら……どうするんですか?」
……ああ、でもなぜだろう。怖いのに、恐ろしいのに、期待している螢がどこかにいる。だから聞き返してしまう。
「うーん、まずは家族かな。家族になろう。それで私が守ってあげる。一緒に背負ってあげる。もう泣かないように」
「家族……守る……?」
「うん」
これは毒。孤独の対価にすり減らし、傷付いたた幼い心に沁みいる甘い猛毒。
「さ、いこ。みんなが待ってる」
「みんなって?」
「螢君の家族」
欲しかったモノが目の前にある。抗えない。有希が螢の手を握る。抗えない。有希の握る手が暖かい。抗いたくない。
「螢君」
「……は、い」
「この間は、殺そうとしてゴメンね。私が未熟だった」
撫でられた頭が暖かい。目から涙が溢れる。
「それと、助けてくれてありがとう」
抱きしめられた体が温かい。自然と声が溢れ出る。
こうして有希は自分をぶつけ、幼い心を毒で満たした。




