いつもどーりではないけれど、そんなに変わらない朝
――世界を救う。それが使命。
誰かに言われたわけでもない。命令でもない。だが、これはそういう物語。世界の各地を旅し、仲間を集め、戦い、戦い、戦い……
「…………もう、ヤダ……」
小柄な少女の口から漏れたのは弱音。同じペースで、同じ力加減で、何度も何度も同じことの繰り返していた。順調な旅だったというのに、ここ数時間は一歩も前に進めていない。足は冷え、固まっている。腕は熱を持ち、筋が攣りそうに痛む。
「……でも……」
それでも止められない。引き返せない。
携帯端末を見て、少女は疲れた笑みを浮かべる。ディスプレイに表示されている時間は、午前四時五十五分。制限時間は五分。ペース配分は完璧。回数の数え間違いもない。途中で何度も折れかけた心を、もう少しで終わると気合で奮い立たせる。
「これで……ラスト!」
カチリ――と震える右手の親指が、最後になるはずのボタンを押した。
結果を見るのが怖くて、少女は顔を上げられない。だが、確認しなければならない。それは何度も何度も――何百回と繰り返してきた努力を、無駄にする行為。
恐る恐ると顔を上げ、ディスプレイを確認する。
『ただの井戸のようだ』
ディスプレイには、操作していた主人公キャラの感想が書かれていた。
カチリ――
『ただの井戸のようだ』
カチリ――
『ただの井戸のようだ』
カチリ――
『ただの「ふざけんなボケがァァァァァ!!」
頭から被った布団を跳ね飛ばし、スウェット姿の少女が手に持った携帯ゲーム機を枕に叩きつける。壊さないよう枕に叩きつけるだけの冷静さは保っていたようだが、ボスンと音を立てたゲーム機から、衝撃でソフトが飛び出しフローリングに転がる。
「あば!? あばばばばば!?」
変な声をあげながら、フローリングに転がった発売したばかりのRPGソフトを拾う。慌ててソフトを入れ直し、祈りながら再起動してロード画面を呼び出す……が。
『記録はありません』
表示されたのは無常な文字列。徹夜のせいでクマに縁取られた目から、光が消えてゆく。
「アタシの……にじゅうじかんが……もうラスダン手前だったのに……」
頑張った結果、消えてはいけない努力まで無駄になった。クーラーで冷え切った部屋の温度が、さらに氷点下まで下がった気分に陥る。
「ポぎゃあああああああああ!!」
少女はベッドへ倒れこみ、思いの丈を叫びながら、うごうごと手足をバタつかせる。
「バカじゃないの? バカじゃないの?? なにが『最初の村で井戸を二千回調べたらレジェンドモンスターが出てきて仲間になる』だ! ガセぇつかませやがって!!」
しかも、“深夜零時から五時の間限定”という条件付きの、友人からSNSで回ってきた裏技的情報。
少女も本当に信じていたわけではない。だが情報が出たのが、たまたま次の日が土曜で、特に予定もなく、親も同居人も家にいないという好き勝手できる状況。ヒマだし二千回くらいならやってみるか、と魔が差してしまった。そして二千回は思いの外遠かった。
「せっかくの休みに、アタシはなにをやってたんだらう……」
指は痛いし目も痛い。世は無常と少女は嘆くが、結局は自業自得。時間を無駄にしたのも、データが消えたのも、両方ともだ。少女自身もわかっているからこそ、脱力感が半端ない。
顔を枕に埋め、このまま寝てしまおうかとも思ったが、眠気はあるのに眠れない。とりあえず裏技を回してきた友人に恨み言のメッセージを送りつつ、ウダウダとベッドの上を転がる。
「……ノドかわいた……」
ベッド脇に置いていたペットボトルを持ち上げる――が、重みがない。中身はとっくに飲み切っていたことを思い出す。しょうがない、とベッドから起き上がり、ついでに窓の遮光カーテンを開ける。
「ひぎぃぃ……! 痛いよぅ……痛いよぅ……」
窓の向きは東側。徹夜明けの目に朝陽が突き刺さる。溶ける溶けると呻きながら、朝陽の差す自室を脱出。廊下は冷えた室内と違い温かい。夏の盛りにしては涼しいが、それは少女の住む家が小高い山の中腹にあるためだろう。
「……まだ帰ってないか」
廊下でチラリと見たのは、一つ年上の同居人の部屋。昨日の夕方から仕事だと出て行ったっきり、連絡もない。が、特に落ち込むようなこともなく、少女は視線を外す。
冷えた足に床のぬくもりを感じながら、自室のある離れを出て渡り廊下を進み母屋へ。六年前に新しく建てられた離れとは違い、母屋は築百年以上の古民家を改装した純和風造り。母屋も離れも同じ木製の廊下だが、足裏に感じる柔らかさが違う。
「うばぅあ~~……」
台所で水を飲むと、部屋へは戻らず母屋の居間へ。襖を開けば畳敷きの部屋に十人は座れそうな大きな座卓。少女は重い頭を揺らしながら、倒れるように畳へ寝転ぶ。
畳の上にふわりと広がる長い髪。白に近い銀髪だが、毛先へゆくほど淡い薄桃色へ変わってゆく。染めているわけではない。銀髪も薄桃色のグラデーションも、体質によるもの。
『まるで花みたい』
水面に揺蕩う一輪の花――睡蓮のようだ、と。
泉睡蓮。それが養母から貰った少女の名。
「やっぱり畳はいいなぁ~……でも、ちょっと暑い……かな?」
イ草の香りと、肌に触れる優しい感触。自室は洋室で、寝転がってもこうはならない。だが湿度が高いせいか、じっとりと空気が纏わりついてくる不快感がある。エアコンでも点けようかと視線を部屋に巡らせると、数メートル離れた場所にあるテレビの側に、リモコンが置いてあった。
「……むぅ」
たかが数メートル。されど数メートル。再び立ち上がる気力が湧いてこない。よって睡蓮は、“引き寄せる”ことにした。
チリ……とこめかみが疼く。視線の先にあるリモコンに、動けと念じる。それだけで置いてあったリモコンが、カタリと音を立て浮かび上がった。そして浮いたまま睡蓮の手元へ。室温はそのままにドライでエアコンを起動し、ついでに部屋の隅にあった扇風機と座布団も近くへと引き寄せる。
「ふぃ~~」
満足げに息を吐くと、座布団を折って頭の下へ。睡蓮は寝心地を確認しながら頭を動かしつつ、そっとこめかみを触る。疼きは、とうに治まっていた。
――異能。そのなかでも、超能力と呼ばれるモノ。
いつから使えるようになったかといえば、生まれたときから。力を使う度に、脳が疼く。血管が疼く。使えば使うほど、ツンツンと突かれる。ズキズキと刺さる。
「…………ま、いいけどね」
リモコンや扇風機を動かすくらいなら、乾き切ったカサブタを剥がす程度の疼き。その程度で済むならば、睡蓮は便利を優先する。それに超能力など、周囲の人間にバレれば騒ぎの元。家のなかくらいでしか使えない。
徐々に減ってゆく湿気。体に当たる扇風機の風。畳の感触。静かな山の空気。全てが疲れた体に心地よく、気付けば大きな欠伸をしていた。
「おっと、忘れるトコだった」
眠気で落ちかけの意識を無理やり浮上させ、スウェットから携帯端末を取り出す。アラームの設定画面を呼び出し午前七時に設定するが、決定ボタンの上でくるくると指が迷う。
「……起きれるかな」
アラームが鳴るまで二時間もない。意識が朦朧として二度寝してしまうか、気付かない可能性だってある。起きていようにも目が疲れていて動画や映画を漁る気にはなれず、目が覚めるほどの激しい音楽は頭痛がしそうで躊躇する。
「七時だったら、アイツも帰ってきてるはずだよね」
求めたのは他人任せ。居間でアラームが鳴っていれば、帰ってきている予定の同居人が気付くだろうと期待して。そういうわけで完了ボタンをタップし、端末は座卓の上へ。おやすみなさい、と呟き、あとは気持ちよくまどろみ、落ちるままに堕ちてゆくだけ……
「――ただいまーー!」
というタイミングで、玄関から元気な声が聞こえてきた。
「…………ホントに無駄と無駄を重ねたくらい、無駄に元気なヤツだなぁ」
待ち望んでいた相手だというのに、間が悪すぎて睡蓮の顔は苦虫を噛み潰したように歪む。そして、そんな睡蓮の様子なぞ露知らず、パタパタという足音が居間の前で止まった。
「あ、やっぱりスイだった」
襖を開けたのは、燃えるように赤いセミロングの髪を後ろでまとめた少女。
「おかえり、ユーキ。早かったね」
「ただいま、スイ。相手が楽勝だったモノでして」
少女は座卓に座ると、ニカリと歯を見せ笑う。睡蓮が不機嫌を顔に出しているにも関わらず。毒でも吐いてやろうかと思ったのが、バカらしくなってしまう。
少女の名は、神代有希。この家に居候している同居人であり、離れの別室に住んでいる血の繋がっていない親戚。
そして――
「今回はどんなんだったの?」
「んー。普通だったよ。ちょっとだけ力が強い“自縛霊”」
――もう一人の異能力者。