目標・お家を守ろう! 二
現れたのは、蟹型の霊鬼。壁を破壊するほどの巨体。伸ばせば三メートルを超えるだろう四対の脚。二対の爪は酒樽のように太い。
蟹は目を伸ばし、ギョロリと睡蓮たちを見る。
「なにあれデカッ! つーかキモい!」
睡蓮は屋根の上にいるからこそ、蟹の異様さがわかる。甲羅の先端には目がなく、口があるはずの場所も殻で塞がっている。あるのは甲羅の“上”。甲羅に人の目と口が張り付いている。
目蓋をこじ開け、ひり出された人の目玉。視線が合うと、睡蓮の体にぞわりと鳥肌が立つ。
「あー……面倒なのが出たわね……」
「母なにあれ、あれなに!」
「“鬼面蟹”よ。蟹に寄生した霊鬼の成れの果て」
甲寄生種・鬼面蟹。化け蟹や蟹坊主などとも呼ばれる、蟹に悪霊が取り憑き成った霊鬼。
「やっぱ蟹なんだ……。キモい! 夢に出そう!」
「昔から蟹は子供を脅かすものよ。ほら、昔の妖怪アニメのエンディングの最初とか。不気味で怖かったわー」
「そんな太古のこと知らんし」
睨みつけるなずなを余所目に、睡蓮は腕を持ち上げ独鈷を空に放つ。
「とりあえず先手必勝ってことで!」
独鈷は鬼面蟹の頭上を勢いよく旋回し、四つの流星となり甲羅へ降り注ぐ。甲高い破壊音と、地面へ落ちる細かい欠片。
「おおう。ぜんぶ壊れたん」
「鬼面蟹ってね、とっっっても硬いのよ。……ああ、全部作り直しだわ……」
砕け散った四つの独鈷を眺め、なずなの頬に涙が一筋。
鬼面蟹の等級は甲だが、厚い甲殻をさらに霊力で強化しているため、並みの霊能力者や呪具では刃が立たないほど硬い。現に独鈷がぶつかった部分には傷一つなく、気にした様子もない。
「おおう……コレで甲なんか」
「普段は海から出てこないのよ。螢くんも変なのに目を付けられたものだわ」
船や孤島であれば出くわすこともあるだろう。まさか鬼面蟹が出るとは、なずなも考えていなかった。大人しく後方支援に向かえばよかった、と後悔しても後の祭り。
『ア゛ア゛……ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛……』
口の端から泡を滲ませながら、鬼面蟹が動き出す。庭にいたなずなと姫狼は距離を取るが、鬼面蟹はゆっくりと庭を進み、空へと爪を伸ばす。その先は――影鬼。
『ギヤッ!?』
鬼面蟹は泳ぐ魚を捕まえるように、巨体だと思えない素早さで爪を動かし、影鬼を捕まえる。暴れる影鬼だがガッチリと挟んだ爪はビクともせず、最後には鬼面蟹の眼前に運ばれ。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ン゛!』
口に放り込まれた。鬼面蟹は前歯で裂き、奥歯で噛み砕き、何度も何度も咀嚼する。
「よく噛むイイ子やね」
「そうね。さっ、スイちゃん姫狼、逃げるわよ」
「なぬ?」
「だってわたしたちじゃ、どうしようもないもの」
なずなの霊力では鬼面蟹の甲殻を抜けない。睡蓮が使っている呪具も、なずなが霊力を込めているため同じ。姫狼も狼の姿では甲殻を抜けず、かといって霊刀の姿に戻っても使い手がいない。
「さっきの槍は? こう、ブスッと」
「燐華刃でもダメね。溜めてた霊力も使っちゃったし、ほんの少し足止めするくらいしか使い道がないわ」
虚目を祓うのに、霊力を半分ほど使ってしまった。しかし満タンであっても、甲殻を完全に貫くことはできなかったろう。
「そかそか。ならば母だけいっておくれ。アタシは残る」
「スイちゃんが残って、どうこうできる相手じゃないのよ!」
「はっ! ふざけんな!」
影鬼を飲み込んだ鬼面蟹を、睡蓮が睨みつける。ここで逃げるということは、家を鬼面蟹に好き勝手させるということ。そんなことはさせない。
「ここはアタシの家だ! 好き勝手やらせて堪るか!!」
睡蓮は屋根の上で腕を組み仁王立ちし、腹の底から叫ぶ。家が家族の居場所。睡蓮の居場所。
「スイちゃん……そこまでしてわたしたちの家を守りたいのね! なら、わたしも残るわよ!」
「ありがとう母! 家族が増えるわけだし、家がなきゃ困るからね!」
そして有希が連れてくる――予定の――弟が、これから住む家でもある。侵すモノは許さない。
「ええ! そう、家族が増える……ふえ? ええ!? ふ、増えるってどういうこと!? ま、まさかスイちゃんまさか! ダメよ未成年がイヤらしい!」
なずなは信じられぬと嘆き悲しみ、その後ろでは、なぜか姫狼がオロオロとうろついている。
「ちゃうから。あとでちゃんと話すから。んで、本音は?」
「わたしより先に結婚なんて絶対に許しません!!」
「うむ。いつもどーり」
なずなに気負いはない。姫狼も協力姿勢を取っている。ならば戦力は十分。
「母、キオ」
チリリとこめかみが疼く。頷いたなずなを確認すると、睡蓮は念動力を使い空高くへと浮かんでいった。
「鬼さんこちら。アタシから目を離すなよ?」
『ア゛ア゛……ア゛マ゛……』
どこへゆくのかと、鬼面蟹が興味深そうに睡蓮を見つめる。だが、残った一人と一匹がそれを許さない。
「スイちゃんの邪魔はさせないわよ!」
『グルルルルルルルルルッ!』
なずなは弓を構え、姫狼は牙を剥き、鬼面蟹の左右に陣取る。
先手は姫狼。折り曲げた脚の関節に噛み付く。しかし柔軟な関節膜に阻まれ、牙が通らない。鬼面蟹は暴れ、爪で潰そうとするが、直前で姫狼は口を離し距離を取る。
次手はなずな。三本の矢を番え、甲羅の腹側を狙い撃つ。神鉄鋼製の鏃でも甲羅に傷は付かない。それでも何度も矢を放つ。鬼面蟹はカツンカツンとぶつかる矢にイライラと、群がる羽虫を払うように爪を振る。しかし、もともと距離を取っているなずなには届かない。
左で姫狼が噛み付く。振り払う。右から矢が飛んでくる。振り払う。左目は姫狼を追い、右目はなずなから外れない。両目は左右を見続ける。限界まで伸ばし、ギョロギョロと動かし。
「はっ!」
『ガウッ!』
十分に目を引き出したところで、なずなと姫狼は行動を変更する。なずなは飛び出した眼球を狙い、矢を放つ。姫狼は脚を踏み台にし、眼球に爪を振る。
鬼面蟹は急いで目を引っ込め――両方の目蓋が同時に閉じた。
「発氣操典・燐華刃!」
直後、なずなが光の槍を起動させる。しかし宣言していたとおり、鬼面蟹の殻を貫くことはできない。せいぜ少し動きを止めるのが関の山。しかし、これでいい。
「その瞬間を待ってたぞゴラァ!」
鬼は子を見つけていない。気付けば鬼は子となり、子が鬼となる。
鬼面蟹の上空には睡蓮の姿。なずなと姫狼は、すでに精神感応の合図で大きく距離を取っている。
「目ぇ離すなって言っただろうが! 食らえやボゲがあああああッ!!」
睡蓮の背後から、巨大な杭が姿を現す。それは鬼面蟹が折った森の木。念動力と重力により加速された杭は、鬼面蟹の右目蓋を抉じ開け突き刺さる。
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!?!?』
鬼面蟹が絶叫を上げる。杭は目蓋を裂き右目を潰し、深々と甲羅のなかを抉り潰す。先端は腹側の甲羅を突き抜け、地面へと身体を縫い付ける。
『ア゛ア゛ア゛……ア゛ア゛ア゛ア゛ァ…………』
脚をバタつかせ暴れていた鬼面蟹だが、ゆっくりと身体を沈ませ動かなくなる。
「は、あっはっは……! 捕まえて、やった、ぜ……!」
酷い頭痛に耐えながらも睡蓮は、ゆっくりと屋根に着地する。
鬼面蟹は霊鬼だが、寄生種のため霊体化はできない。ならばと質量で押し潰す作戦を立て、念動力で伝えた。内容は、なずなと姫狼が囮になり、念動力で重量物を運べる睡蓮がトドメをさす。そして同時に目を閉じさせてくれという注文も。
「上手くいってよかった……いででで」
頭が割れそうなほどの頭痛。視界は光が点滅を繰り返し、耳鳴りも酷い。鼻血も止まらない。だが結果は上々だと睡蓮は倒れながら腕を上げる。
「ス―――ん! ――て!」
耳鳴りのなかに聞こえる、微かな声。なずなの声だが、内容が上手く聞き取れない。
「なにー? 聞こえないー!」
声を出し、また頭痛が酷くなる。聞き返し、返された声。今度は聞き取れる。
「逃げて!」
悲鳴にも似た声。『逃げて』という言葉の意味はわかる。だが理由がわからない。なぜそんなことを言うのか。
「だって蟹は――」
睡蓮の真下の屋根が崩れる。点滅する視界に映ったのは、腰のあたりに伸びる、コブのついた爪。
「いいっ!? がはッ!」
睡蓮は逃げようと動くが、寝転がった状態では無理というもの。爪が閉じ、掴まれ屋根から引きずり落とされる。
「おいおい、生きてたってか……!」
『ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』
右目に丸太を生やした鬼面蟹が、怒り狂った声を上げ、血走った左目で睡蓮を見る。
「ヒッ!? 見るなキモい! は、離せこら!」
念動力を使うには限界。睡蓮は爪を手足で叩くが、その程度で逃げられはしない。
「スイちゃん! ……くぅ!?」
なずなも助けようと動くが、弓ではどうにもならず、暴れる脚に前を塞がれ躱すので精一杯。だが、姫狼は違った。
『ガアッ!』
爪の関節に噛み付くと、全力でもって顎に力を入れる。徐々に爪の関節から、ミシリ、と鈍い音が聞こえ出す。しかしそこまで。鬼面蟹は反対の爪で、噛み付いたまま動かない姫狼を強かに打ち据え、地面へと叩きつけた。
「キオ!? あああああ、くっそ!」
睡蓮は諦めない。暴れてだめなら逃げ道を探す。なずなは無理。姫狼もフラついている。なら他は――
「ははっ、タイミング計ってたか?」
――上空に。
よく見えない。だが気のせいではない。絶対にそうだ、と睡蓮は持って、不敵な笑みを浮かべる。
「キオ! 刀に戻って!」
姫狼も気付いたのか、狼から霊刀へと姿を変える。ならばあとは睡蓮次第。力を振り絞り、姫狼を上空へと発射する。
「いけぇぇぇぇぇぇ!」
狙いは近づいてくる黒点。
一つだった黒点は二つに別れ、片割れが落下しながら姫狼を掴む。
「――はあぁぁぁァァァァッ!」
そして着地際、睡蓮を捕まえていた爪を斬り裂いた。
「いでぇ!」
尻から地面に落ちた睡蓮の前に立つ、霊刀を構えた霊能力者の姿。
「ただいま、スイ。なかなかピンチだったね」
「……おかえり、ユーキ。遅すぎなんだよ」
約束を守り、危機を救い、有希は笑顔を浮かべる。




