泣く子は黙れ
上空を漂っていた糸は、次第に垂れ下がり山のなかへ。
「ああもう! 鬱陶しい!」
手入れもされていない山。足元を這う蔦が、剥き出しの木の根が。顔にかかる蜘蛛の巣が、無造作に伸びた枝が。全てが邪魔をする。それでも駆ける足を止めない。霊力を漲らせ、引きちぎり、振り払い、糸を追って走り続ける。
だがなかなか追いつけない。相手はただの人間ではない。二つの異能を持つ者。樹上や高い崖を好きに飛び回られては、糸を捜し、迂回する分、時間がかかる。
「スイ、なんで螢君が原因だって知ってたんだろ。なずなさんに聞いたのかな」
大岩の上で糸の道筋を確認しつつ、一呼吸つく。口にした疑問に意味はない。一人で考えて意味があるものではない。息を整え、再び走りだす。糸は少しずつ太く、縄のように、気配が濃くなってゆく。
「それより、どう説得するかだよね」
こちらのほうが重要。走りながらずっと考えていたが、いい案が出てこない。
最初に考えたのは、騒動の原因である鳴谷螢を監視、制御するためと正直に話すこと。
(却下。上手く説明できる気がしない)
新地街から山へ。病院から山へ。人気のないほうへと逃げている。睡蓮の前から逃げたのも、目が覚め病院にいると気付いたからだろう。しかし反感を買わずに説得できるほど、有希は弁舌が立たないことを自覚している。
次に考えたのは、血の繋がった家族が待っていると伝えること。
(これも却下。私が話すことじゃない、と思う)
螢という少年は、睡蓮が姉だと知らない可能性のほうが高い。知らない相手に知らない相手から『家族が待ってるよ』などと言われても、信じてもらえる気がしない。それに知らないのであれば、睡蓮の口から告げるのが本筋だろう、と。
そして最後に考えたのは。
「見つけた!」
山奥の奥。人の気配など微塵も感じない山頂に、鳴谷螢はいた。大きな杉が一本だけ生えた、広場のように禿げ上がった山頂。木に寄りかかり休んでいた螢は、有希に土気色の顔を向ける。
「あな……たは……」
「憶えててくれたんだ。うん。キミを殺そうとして、助けられた人だよ」
なんて酷い自己紹介。だが事実。苦笑しか出てこない。
「あなたも霊能力者なんですよね。だったらわかるはずです。僕に構わないで。僕は」
「霊鬼を引き寄せる?」
「……そう、です」
螢は悔しげに俯く。その様子を見て、有希はなぜか安心してしまった。
「キミは――螢君は優しいね」
やはり自らの能力を知っている。ならば逃げた理由は確定。そして螢の様子から、能力の制御ができないことも予測できる。
「うん。決めた」
連れ帰ろうと、心に決める。
「そういえば、私の自己紹介がまだだったよね。私の名前は神代有希。これからよろしくね、鳴谷螢君」
「……よろしくなんてしません」
螢は二本の足で地を踏締め、有希の正面に立つ。
「どういうつもりなのかな?」
「あなたが神代宗家の人なら、僕は逃げ切れません」
「神代を知ってるんだ。でも空を飛んだりはできないよ?」
「……それで追うのをやめてくれますか」
いいや、と有希は首を横に振る。たとえ飛んで逃げても、地の果てまで追いかける。
「だから、あなたを倒してから逃げます」
「なら、私は螢君を無理やりにでも連れ帰る」
互いに得物はなし。徒手空拳で構える。
器用に説得するなど端から無理。ならば最後に考えていたとおりに。
「泣きそうな顔してる子供を、放っておく気はないんだから!」
自分をぶつけて信じてもらう。




