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夢のセカイへいってみよう

 病院内――八階のエレベーターが開く。


「さっ……ササササッ……!」


 出てきた睡蓮は口でカサカサ言いつつ、壁際に身を隠す。気分は忍者かソルジャーか。


「サササササ飽きた」


 二、三回隠れたところで、すっかり飽きた。どうせ誰も見ていない。身を隠す意味がない。


「んーふふー」


 誰もいないナースステーションの前を通り過ぎ、奥へ、奥へ。なにせ八階の病室は全て空。入院しているのは滅多に使わない機材や書類。なぜならこの階は、全てが“宗治の研究室”。


「一階まるまる借りるお金あるんだったら、アタシにも分けてくれないもんかね。あ、治療費や薬代を払った覚えがないや」


 宗治は補助金のほとんどを、この病院に納めている。八階を借り受けているのはそのおかげ。なにか大きな事故や事件でもなければ、普通の病人が立ち入ることはない。


 睡蓮が端の個室前で立ち止まる。『817』というプレートを横目で見ながら、スライドドアを空ける。


「やぁやぁ。さっきぶりだね、少年よ。元気かね?」


 もちろん返事はなし。気にせず入る。


 なかにはネームプレートが空白のベッド。寝ているのは点滴を打たれている、パジャマ姿の少年。数十分前に見た姿と変わりない。変わっているのは点滴の中身が少し減っているくらい。


「うんむ。よく寝ておらっしゃる」


 頬をツネっても反応しない。睡蓮はベッド脇にある椅子に座ると、ショルダーバッグから持ってきたモノを取り出す。薬を二種類。水の入ったペットボトル。それと携帯端末。


「……日曜だってのに、有希たちも忙しいこって」


 宗治と今日の検査について話している最中、有希から連絡があった。悪霊が病院と家に近づいていること。帰るときは連絡すること。有希との会話が終わったと思ったら、次は美兎から。自分たちが病院周辺の警護に着くこと。そして、少年に会わせてくれ、と頼まれた。


 だが、今日は無理だ、と断った。今だけは誰にも会わせるわけにはいかない。なぜなら検査をしなければいけないから。そのために眠らせているのだから。


「さー、お検査しましょうねー」


 端末でタイマーをセットすると棚に置き、横に置いていた薬を一粒含み水で流し込む。超能力を抑える薬ではない。その逆。短時間だが、“超能力を抑えている成分を中和”する薬。


「ッ……ひひっ……!」


 痛みねつを放つ頭に引き攣った笑いが零れる。目の奥が点滅する。頭のなかに心臓ができたような鼓動が聞こえる。だが止まらない。朝からこのときのために茶番をしていた。今さら止まれるわけがない。


 夢遊の国アリスと名付けられた能力。根本にあるのは精神感応で、相手の記憶を夢という形で覗き観ることができる。この力を、有希となずなは知らない。知らせていない、秘密の力。


 相手が憶えていることに限られる、深く眠っていなければならない、という条件はあるが、後者は対処済み。あとは全力が出せるよう、能力を抑えなければいい。


「ごめんねー。アタシはまだ生きてたいからさ」


 全ては睡蓮じぶんが生きるため。


 能力が強すぎて、常に薬で抑えていなければ頭痛で日常生活もままならない。睡蓮の超脳は悪性腫瘍のように育ち続け、数年後には脳障害を引き起こすだろう。その後のことは言わずもがな。


 だから超能力研究の発展のため、情報が欲しい。


「少年は、なんで生きていられるの? ねぇ、教えてよ」


 病院にくる前、宗治から端末に送られた少年の脳内の画像。輪切りに映る超脳は、睡蓮の超脳より大きなモノだった。病院に運ばれた直後の血液検査の結果、薬は飲んでいない。発熱も許容範囲。だというのに、念動力で空を飛び、変身までしてみせる。それで、どうして生きていられる。


 だから思った。少年はどういう場所で育ち、どんな治療を受け、今に至るのか。霊能力のおかげで生きていられるのか、それとも関係ないのか。少しでも自分が死なずに済む未来をつかめるのではないか。


 知りたい、覗き見たい。


 このことを睡蓮は宗治に提案し、宗治も受け入れていた。だから“今日の検査”のため、ここにいる。


「んふひ。さぁ、お名前からなにから、教えておくれ。ダイジョブ、悪夢を見るくらいだから」


 夢を見るのは少年。夢を観るのが睡蓮。


 睡蓮は少年の手を持ち上げ、自分の額に付ける。頭痛に耐え、超脳エンジンを全力で回す。しだいに意識は薄れ、少年の夢の世界に広がっていった。



 ――――



「んは……ッ」


 ジリジリとけたたましく端末のベルが鳴り響く。睡蓮は夢から引き上げると、棚に置いていた端末に手を伸ばす。


「ンギイッ!?」


 が、脳内に火花が散るような激しい痛みに端末を落とす。神経という神経に痛みが走り、全身が強張る。それでもなんとか光で溢れる視界で端末を広い、タイマーを止める。セットしていた時間は三十分。それ以上力を使えば、頭が負担に耐え切れないギリギリの時間。


「ん……ぐ、が……!」


 脂汗を流しながら残していた薬を口に含み、吐き気で戻しそうになるのを我慢し水で流しこむ。そして目を閉じ椅子にぐったりと体重を預けたまま、睡蓮は治まるのを待った。


 三十分ほど経過し、やっと動く気力を取り戻す。


「んあ……ヤベ」


 ようやく気付いた、鼻の下のヌルりとした感触と、口に広がる鉄の味。慌てて鼻をこするが、汚れは広がるだけ。白いシャツには大きな赤黒い染み。お気に入りのシャツだったのだが、これはもう落ちないだろう、と少しだけ落ち込む。


「にしても、すごいモンを観た……」


 落ち着いてきた頭に思い浮かべるのは、ついさっきまで観ていた光景。

 幼い少年の姿。育った部屋。過ごした場所。そして――一人になった理由も。


「そだそだ。あとこれも」


 睡蓮はシャツで手を拭くと、空白のネームプレートを外す。そしてバッグを漁りペンを取り出し、プレートになにかを書き込み始めた。


「……よし、たぶん合ってる。アタシにしては上手く書けた」


 満足そうに頷くと、パチリとネームプレートを嵌めなおす。


「やあ、初めまして」


 割れ物を触るように、優しく/恐々と、汚れていない指の背で少年の頬を撫でる。


鳴谷なるやけい


 少し歪んだ文字で、空白だったネームプレートに名前が追加されている。


「アタシは睡蓮。キミのお姉ちゃんだよ」


 そう言って、睡蓮は少年の――螢の頬を、もう一度撫でた。

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