背反する異能の在処
有希が病室の扉を静かに閉める。廊下にはすでに出ていた睡蓮の姿。二人は話し声も聞こえない静かな廊下を歩き、エレベーターに乗り込む。
二人が少年の病室にいたのは十分ほど。目が覚めない相手の病室に、長く留まる意味もない。ゴウンと静かに動き出した室内で、有希は横にいる睡蓮を見る。
「スイ、その服なに?」
「私服やが。え、どっか変?」
睡蓮がその場でくるりと回ると、淡い水色のスカートがふわりと広がる。上半身にはフリルがあしらわれた薄手の白いシャツ。肩からは薄いピンク色のショルダーバッグが下がっている。
「お人形さんみたいでカワイイって言われたんだけど」
「うん、言われてたね」
ロビーにいた老婆や看護師に話しかけられていたのを、有希も隣で見ている。白銀の髪に白い肌も加わり、本当に人形のよう。可愛らしい、愛らしいといった表現がぴったりだろう。しかし、有希は中身を知っている。
「でも、精神的に似合ってないよね」
「物理を超えている……だと……!?」
有希の脳内では、もう睡蓮という概念に可愛いが接続されない。昨日、散々な目に合わされたせいもあるのだろう。
「せっかく気合入れたのに。カワイイ格好しろとか似合ってないとか、どういうことなん」
「あ、昨日の朝のこと気にしてたんだ。なら、もっと着飾ればいいんじゃないかな。猫パジャマとか」
「そういうのはイロモノってゆーんやで」
そうこうしているうちに、エレベーターは一階へ。睡蓮とはここで別れることになる。
「私、今日は帰るの遅くなるから。スイは?」
「さぁね。帰れるときに帰ったら帰る。んでねー」
地下へ向かう睡蓮を見送り、有希は病院前の無駄に広い公園へと足を伸ばす。日差しを避けるよう木陰のベンチに座ると、思い切り息を吸い込み、鼻の奥に残った病院独特の臭いごと息を吐く。
「ちょっとだけ元気になってた……かな?」
有希は空を見上げながら、ベッドで寝ていた少年を思い浮かべる。点滴のおかげか、睡眠をとったおかげか、顔色はよくなっていた。このままゆけば、体力、気力と一緒に、減った霊力も順調に回復してゆくだろう。しかし、だからこそおかしい。
「アレ、本当になんなのよ……」
今日も朝から気温は高いというのに、背中に流れるのは冷や汗。睡蓮とバカな話をしてみても、心のザワつきが収まらない。
目に霊力を巡らせ、病院を見る。人の生死に関わる場所なだけあり、霊の気配は所々ある。だが八階の隅――少年の病室だけ異様さが別格。
少年の霊力は、まだまだ回復しきっていない。現在の霊力の量で言えば、並みの霊能力者以下。だというのに、だ。『ここにいるぞ』と存在をアピールするように、“霊力のようなナニか”が窓の外まで溢れていた。病院内の霊に悪霊はいなかったので祓いはしなかったが、近いうちに対処しなければならない。
「まずは報告、だよね」
病院から視線を外し、携帯端末で通話アプリを起動する。画面に表示されている名前は『空杜 夏凛』。幼い頃からの知り合いにして、新地街での教育係。
「遅いなあ……今日は忙しいのかな」
通話ボタンをタッチしてから一分強。出るまで時間がかかるのはいつものこと。しかし、今日は特に遅い。一旦通話を切ろうかと有希が考え始めたころ、やっと夏凛が通話に出た。
「おはようございます。有希です。今、大丈夫ですか? 忙しいなら後で」
『い、いえ。大丈夫よ……ごめんなさいね、仮眠してて』
妙にテンションが低く、そして慌てたような夏凛の声。夏凛は有希から連絡があると、たっぷり深呼吸し心を落ち着け、その上で慌てる――有希はそれを忙しいと勘違いしている――のだが、今日は違う。本当に忙しかった。
昨晩、街の巡回を始めた夏凛と美兎は、さっそく霊と遭遇した。それも、霊鬼になる一歩手前の悪霊に、だ。そして祓ったと思えば、また次の悪霊が現れる。まるで野次馬のように殺人現場近くに集まってくる大小様々な霊たち。全てを祓い終わったのは、丑三つ時が終わった頃。後始末まで含めれば、寝たのは日が昇ってからになる。
『どこに潜んでいたのかしらね。ワラワラと鬱陶しいったらなかったわ』
「そんなことが……連絡してもらえれば、私も手伝いに向かったのに」
『気にしないで。数が多くて時間がかかっただけだから。それに、一番大変だったのはアナタですもの』
夏凛たちが相手したのは、数が多いだけの雑魚。甲等級とはいえ、影鬼の相手をした有希に助けを求めるのはプライドが許さなかった。
『それに、眠くて話の内容が頭に入りませんでした、なんてこと言われたくないから』
「だ、大丈夫です。ちゃんと覚えてます」
影鬼を祓ったという報告の際に、夏凛も聞いていた。霊鬼が二体かと思えば、片方は人。しかも霊能力と超能力を持ったと思しき少年。朝になったら詳しい話を聞きにいくというので、夏凛はそちらを優先させたという理由もある。
『超能力を持っているというのは、本当なのね?』
「はい。スイの主治医に確認しました」
『そう。そして、霊能力も持っている、と』
「はい」
本題はここから。
影鬼が少年を追っていたのも、殺人現場に悪霊が現れたのも。
『原因は、どちらにあるのかしらね』
少年が放つ、“霊力のようなナニか”に引き寄せられたのではないか。有希からの報告を聞いた夏凛も、夏凛の話を聞いた有希も、そう結び付けるのは難しくないこと。
「霊力はちゃんと抑えてるんですけど、霊力に似た変な力がその子を覆っています。その力が超能力が原因かは、まだわかりません」
『あの変な気配は、その力だったのね』
よく視れば違うとわかる。だが腹を空かせ思考の鈍った霊の気を引くには、十分なほどの香りを放っていた。
『なんてチグハグなの』
霊能力者が無差別に霊を引き寄せるなど、あってはならない。自殺行為であり、場所によっては無差別殺人にもなりえる。
「結界符は張ったんですけど、効果はあまりないみたいです」
『ということは、一応でも効果があるのね。余計に混乱するわ』
有希は少年の身体に、一枚の護符を貼った。それは、霊力の制御がまだできない子供に貼る、霊力を抑えるための護符。それにより、“霊力のようなナニか”は多少だが弱まった。しかし多少に過ぎず、先ほど有希が視たとおり、病院の外でもわかるほど力は漏れている。
「貼った結界符は、あの子の霊力の量からすれば、完全に抑えられるはずなんですけど」
『本当に厄介な力ね……』
夏凛の吐く長い息が、ことの重さを物語る。
霊力ではない。しかし霊力に似ている。
千里眼には引っかからない。しかし霊を引き寄せる。
超能力が原因かと思いきや、霊力を抑える護符に左右される。
超能力と霊能力、どちらが原因なのか。……どちらも原因なのか。
「夏凛さん、心当たりとかありませんか?」
『異能を二つもった能力者? 名前とかはわからないの?」
「なにも分からないんです。その子、はだ……」
裸だったと言い掛け、頭に浮かんだのは少年の裸体。そして睡蓮がぷるぷる振っていたモノ。
『どうかしたの?』
「い、いえ! なんでも! えと、身分が分かるようなモノをなにも持ってなくて」
『そう。でも悪いけど……いえ、調べてみるわ。少し心当たりがあるから』
「ホントですか!? やった! 凄いです!」
超能力を持つ霊能力者など、話題になること間違いなし。なのに耳にしたことは一度もない。有希もダメ元で聞いてみたのだが、夏凛の肯定的な返答に思わず声に力が入る。
『凄くないわよ。偶々なんだから』
「そんなことないですよ。その偶々を持ってるのが凄いです。さすが夏凛さん! 一生ついていきます!」
『なに言ってるの。有希は神代宗家の…………一生!?』
端末の向こうでゴフリという咳が聞こえてくる。そして一拍遅れて荒くなる鼻息。夏凛がなにに反応したかと言えば、一生という言葉。有希はお世辞ではなく、素直に夏凛を褒め称えたつもり。しかも意味合いとしては、『霊能力者の先達として目標にします』といったところ。
『ふ……ふふふふふふふふふふ…………春が! きたのね!』
夏凛は完全に目を覚ました。目覚めた先はお花畑だった。
『わかったわ、有希。法律なんてどうでもいい。私とけ、けけけけけ』
「……毛?」
それとも笑い声なのだろうか、と有希は自分の耳を疑う。
『けっコパァ!? ――はーい、そこまでッスー。春はまだまだ先ッスよ。やっほー、ユウちー』
「え!? み、美兎?」
『そうそう。美兎さんですよー』
夏凛がなにか叫んだと思ったら、美兎の声に変わっていた。
「夏凛さんは?」
『あー、なんか寝すぎで貧血起こしたみたいで――ちが!? 美兎がなぐっ――うっさいッス。大人しく寝てるッス』
「えー……大丈夫なの?」
『先輩は頑丈だから大丈夫』
美兎も小さな頃から知り合いだが、夏凛が霊能力者の先達なら、美兎はたまに会う親戚のお姉ちゃんといった感じで昔から接してくる。本人のだらけた雰囲気もあり、夏凛に比べると有希の口調もフランクになってしまう。
『話は聞いてたッスよー。援軍は呼んであるから、そっちは病院に向かってもらう』
「それがいいよね。えと、私はどうすれば夏凛さんに」
そう聞きかけたところで、手に持った携帯端末が震える。そして、携帯端末の向こうからも着信音が聞こえてくる。聞こえたのは、美兎の端末の着信音。
『チッ、千里眼からかー。こういうときだけは仕事が早いんだから』
美兎の苛立ちが、端末越しに伝わってくる。夏凛たちは少年の力を警戒し、千里眼に新地街周辺をあらかじめ張っておくよう依頼していた。その結果は言わずもがな。
『有希はすぐに家に戻りな。援軍がくるまで、ウチか先輩が病院に張り付いとくから。ついでに、なずなさんにありったけの結界符を用意してもらっといて』
「わかった」
『ガンバれー。スーにもよろしく言っといて。先輩、返すッス――有希?』
「はい」
『魂を燃やしなさい。忙しくなるわよ』
「はい……!」
挨拶も手短に夏凛との通話を切り、すぐに端末を確認する。なずなからの着信履歴と、千里眼からのメール。半人前の有希にまで千里眼から連絡があるのは、よほどのこと。有希はすぐさま立ち上がり、行動を開始する。
『新地街から來豊山にかけ、多数の霊の反応あり。霊鬼はいないが、どれも成りかけと思われる。現地の霊能力者は、至急対処されたし』
これはまだ始まりに過ぎない。そんな嫌な予感がするなか、有希は家路を急いだ。




