序章
久々の連載となります。
一日に一話~二話程度の投稿ペースを予定しています。
今日の投稿は三話予定です。
お付き合いくだされば幸いです。
――夏。とある地方都市の繁華街。
昨今の区画整理により新しく作られた都市の中心地は、過去の娯楽の少なさも相俟って人で賑わっていた。地元の住民からは新地街と呼ばれ、昼や夕方にはヒマを持て余した学生が、夜になれば酒や刺激を求めて大人たちが。
そんなある日の夜。
繁華街にあるアーケードを、一人の少年が走っていた。
「はっ……はぁ……ッ!」
ボロボロのシャツに、履き古したデニムパンツ。目深に被った帽子を押さえ、人の隙間を縫うよう走る……が、なにぶん土曜なだけあって人が多い。季節は夏の盛りということもあり、涼を求めて出歩く人も増えている。時折、フラついた酔っ払いにぶつかりそうになっては怒鳴られる。しかし、少年はごめんなさいと律儀に謝りながらも、足を止めない。
少年に向かうべき目的地はない。だが、目的はある。
「早く……早く……!」
この人混みから離れなければ。
その一心で走っていた。
人混みを抜け細い路地へ。並んでいるのは表の華やかさから取り残された古びた飲み屋。まだ人はいる。まだダメだ、と人の気配のない、もっと寂れた奥へ。人目が減ってゆくたびに、少年の走る速度は増してゆく。体力は限界に近いが、気力を振り絞り走る。走る。走る。誰もいない場所を目指して。
「……なんで急に……」
今いる場所がどこなのか。そんなこともわからないまま走った。そして廃屋の目立つ、人気のない場所までくると、走りながら小さな袋をポケットから取り出す。
焼け焦げ、穴の開いた小さな布袋。穴からは焦げた木札が覗いている。夕食を買っている最中に、デニムパンツのポケットのなかで急に熱を発し、あっという間に燃え出した。おかげで空腹で喘ぐ腹を抑えつけ、逃げ出す破目になっている。
「ッ……」
下を向いたせいか、額に浮いた汗が目に入る。視界が滲み、反射的に腕で目を拭う。そして取り戻した視界に映ったのは――たった今開かれようとしている金属製の扉。
間が悪かった、としか言えないだろう。あと数瞬でもタイミングがズレていれば、避けるか、開く前に通り過ぎることができた。
「――!?」
少年は急いでスピードを緩め、止まろうとするが、間に合わない。古ぼけ薄汚いビルの扉が、ゴンッ! という大きな音を周囲に響かせる。
少年は衝撃で足をもつれさせ、ぶつかった勢いのまま道路を転がる。帽子は宙を舞い、押し込めていた少し長い髪が外へと出る。
「ってえぇぇぇっ! クソがっ! んだよ!!」
「ダイジョブか? 折れてはねぇみたいだけど。最近ツイてないな」
「なんだべ。自転車とかスクーターか?」
扉の先からは男の声が三つ。一人は扉を開いていた人物なのか、顔を顰め手首を押さえている。もう一人は頻りに大丈夫かどうか聞き返し、残った一人は何が起きたのかと外を見回す。
「お、ハッケーン……って、ガキかよ。すげー勢いでぶつかってきたな」
外を見ていた男と少年の目が合う。その知らせを聞き、真っ先に少年の側へ寄ってきたのは、痛みで手首を押さえる男。
「ご、ごめんなさい! 急にドアが」
「あ? なんだコラ。オレのせいだってか? あ゛あ゛ッ!!」
男の爪先が跳ね、倒れたままの少年の腹を蹴り上げる。
「あーあー、カワイソ」
「いんじゃねーの? 悪いのソイツだし」
怒りに任せ何度も子供を蹴り上げる男の後ろで、残りの男二人は呆れながらも眺めているだけで、止めようともしない。息をするのも忘れるほど興奮していたのか、五回目の蹴りを終えたところで、男は荒い息をしながらようやく止まった。
「んだよオマエ。腹になにか仕込んでんのかよ。足もイテェ。どうしてくれんだ?」
「ゴホッ……僕が悪かったです。ごめんなさい」
蹴っていた足を気にする男とは対称に、少年は一度咳き込んだだけで立ち上がり、もう一度謝る。後ろでは二人が『効いてない』『ショボい』と煽る。だが、何事もなさそうに立ち上がった少年に、男は怒りよりも不気味さを感じていた。
「持ってるお金も全部あげます。だから、許してください。僕、早くいかないと」
「へー……金、ねぇ」
金という単語を聞き、男はニタリと笑う。
「じゃあ、今すぐ寄越せ。治療費で百万。ああ、ドアも直さなきゃなんねぇから、もう百万で二百万だ」
「なっ……!? そ、そんな大金」
「持ってねぇってのか? なら、しょうがねぇよな」
男は後ろの二人に目配せをすると、三人で少年を取り囲む。
「あんなに蹴ったのに、結局マワすのかよ」
「え? コイツって男じゃねーの?」
「どっちでもいいだろ。女なら売るし、男ならバラして金にするんだからよ。おいガキ、叫んでもムダだからな。この辺り、最近通り魔が出るってんで、夜になると誰もいねぇんだ」
相手は子供。幾ら不気味でも、仲間内に弱気なところは見せられない。ならば、何がしか理由をつけて三人で、と。一人でダメでも三人には敵うまいと。それは、通り魔にたいしても同じ理由。
「男だってんなら……あとで先輩に、もう一人増えたって連絡しとけ」
「マジでやんのか? 予定にねーぞ」
「やるっつってんだよ!」
「チッ、わかったよ。…………コイツ、顔は女みたいにカワイイなんだけどなぁ。モッタイなー」
嘗め回す視線に少年は悩む。
子供一人と大人三人。どう切り抜ける。暴力で訴えていいのならば、この程度“どうとでもなる”。扉にぶつかったくらいで殺されては堪らない。だが原因が自分なのもわかっている。
「あ、ああ……っ!?」
逃げたい。しかし自分が悪い。罪悪感から動き出せないまま、少年は手を強く握る。そこで、ようやく気付いた。転んでも離さなかった焦げた木札が、とっくに真っ二つに割れていることに。
「ぼ、僕もういかないと!」
「逃げる気か? フザケんなよガキッ!!」
「違うんです! 理由があるんです!」
男が伸ばす腕を振り払う。痛めた手で掴みかかってきたあたり、怪我はたいしたことはないのだろう。だが、そんなことはもはや関係ない。
「はーい、これ見えますかー? 男でもそんだけカワイイ顔してんなら……とりあえずお口でガンバって。そしたら殺さない飼い主さがしたげるからサ」
別の男が、少年に見せ付けるようにナイフをチラつかせる。が、その程度で少年は怯みはしない。手の平で隠れる程度の刃物など、恐怖を抱く対象ではない。しかし男は少年の態度を、言葉も出ないのだと勘違いする。
「オモチャだと思ってんでしょ。これね、レッキとした刃物なんだよー。これで何人――」
男の声が止まる。
もう構ってはいられない。……いや、違う。最初から、少年は男たちに構ってはいけなかった。酔っ払いと同じように、謝ってすぐに逃げなければいけなかった。
間が悪かった。タイミングが悪かった。折が悪かった。“全てが悪い方向へ”と進んでしまった。
「――アレ……なんで腹から、手が生えて……?」
だから、こうなる。
震える手からはナイフが落ち、腹からは赤紫色の臓腑が絡まる影のように黒い腕。背後には闇。電灯で照らされているというのに、なお暗い影の塊が蠢いている。
「ぐッ……ぶぐ……ゥ……」
影が動く。臓腑ごと腕が引き抜かれると、男は濁った声を上げ、どちゃりと地面に倒れる。
影は、人の形を真似ていた。
影は、窪んだ眼孔に恨みの光だけを宿していた。
そして――影の身体の中身は、空っぽだった。
『タリ……ナイ……』
引き抜いた臓腑を、空っぽの自分の腹へと詰め込む。だが足りない。まだ足りない。失った中身は全て。奪われた中身が全て。
『カエセ……カエセ……カエセカエセカエセカエセッッッ!!!』
失った中身を、奪った中身を、返せと影が叫ぶ。
「ぐギィッ!?」
仲間の身に起きた、唐突な異常事態。思考を停止し倒れた仲間を見ていた男は、影に顔を抉られ悲鳴を上げる。それで、男の命は終わった。
次に影が返してもらったのは目玉。脳ミソごと抉った目玉をコロコロと手の平で転がし、光っていただけの眼孔に嵌める。
「まて、待て待て待て! なんだよオマ――エ゛ア゛ッ!!」
もう一人は片肺。左胸を抉られ、ビタビタと隙間から覗いた心臓が噴水のように血を噴き出す。
ただ人の姿を模っていた影が、収束してゆく。奪われ、奪われ尽くされ――奪ったことで、影は悪鬼と成り果てる。
時間にすれば二十秒程度。あっという間に三人の命が喰われた。
「あ……あああっ……!」
少年の漏らした声に、悪鬼が反応する。
『ニヒィ……!』
悪鬼がギョロつく目玉を動かし笑う。
少年は魅力的だった。とてつもなく“美味そう”だった。衝動のまま喰らった三人が霞むほど。だから。
『ゼンブ……オマエハ……ゼンブ、カエセッ!!』
求めたのは全て。
三人からは返してもらった。だが足りない。まだ足りない。悪鬼の身体が満ち足りることは決してない。だから喰らう。枷は外れ、あとは赴くままに。
「あ、あっ……ああああああアアアアアアアアアッ!!」
少年の悲鳴が、夜の空へと木霊する。