魔道書を読んでみた
「……時の経つのは早いものですね」
あの日、ミアちゃんの家に行った私が食客として彼女の家に住み着き、そのままそこを終の住処とする事など誰が予想できたでしょうか。あれから早六十年、今では私もミアちゃんもすっかりお婆さんです。
結局、日本に帰ることはできませんでしたが、三食昼寝付きで毎日多額のお小遣いがもらえる生活はとても快適でした。あのまま日本で暮らすよりもむしろ良かったのかもしれませんね。ああ、素晴らしき哉、食っちゃ寝生活。
「こうして私は友人の家に寄生して財産を食いつぶし、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」
「それ、わたしは幸せじゃないよねっ!?」
「はっはっは、相変わらずキレの良いツッコミですねぇ」
偽のエピローグを語っていると、それまでおとなしく聞いていたミアちゃんからの鋭いツッコミが入りました。当然、いつの間にか何十年も経っていることなどあるはずもなく、まだ彼女と出会った日の夜です。
今夜の宿を求めるべくミアちゃんの家へと向かい、夕食をご馳走になった上で今晩の宿泊の約束を取り付け、今は彼女の部屋で食後のお茶を頂きながら世間話に興じていたというわけです。
「そういえば、ご自宅にお邪魔するというのに手土産の一つもないのは問題ですね」
「え? いいよ、べつにそんな……」
「どうぞ、つまらない物ですが。その辺の道端で拾った石です」
「ホントにつまらない!?」
ミアちゃんをからかうと良い反応を返してくれるので実に面白いです。一見するとおとなしい深窓の令嬢といった雰囲気ですが、この調子でツッコミ芸の才能を磨けばお笑いでこの世界の頂点に立つことも夢ではありません。
「それにしても、私もそろそろ一人で間を持たせるのに限界を感じていたので、タイミング良く相方が見つかって助かりました」
「わたしにはリコちゃんが何を言ってるのかわからないよ……」
「わからない? ……そうですね、言語などという不完全なツールに頼っている以上、人が本当の意味で分かり合える事など決してない。人間関係など所詮は誤解とすれ違いの積み重ねに過ぎないのですから」
「そんな壮大な話はしてないよ!?」
実を言うと、私も話が明後日の方向に逸れすぎて、何を話していたのかすっかり忘れてしまいました。まあ、ミアちゃんの反応が面白いので途中から半ば意図的に逸らしていたのですが。
「ええと、それで元々はどんな話題でしたっけ?」
「もう……リコちゃんが魔道書を見てみたいって言ったのに……」
ああ、そういえばそんな話でした。
元々、この街に来たのも魔法使いに会うため。そこで、地元民であるミアちゃんに心当たりがないかどうか聞いてみたのです。
友達が私だけしかいない社交性に難のある彼女に大きな期待はしていなかったので駄目元でしたが、都合よく知っていました。ご都合主義バンザイ。
「というか、その魔法使いってミアちゃんの家族だったんですが」
先程、広場で軽く話したマッチョさん、そして彼女のご両親もそろって魔法使い。ミアちゃん自身はまだ魔法を使えないそうですが、毎日魔道書を読んで練習しているのだそうです。
「魔法使いって言葉が似合わない方々でした」
「そうかなぁ?」
夕食の席で軽くご挨拶しましたが、彼女のお母さんはまだしも、お父さんとお兄さんは着ている服が筋肉のせいではち切れそうなマッチョ体型。魔法使いというよりもステゴロ上等の格闘家にしか見えません。
昨日、村長さんに聞いた情報だと魔法使いというのは大抵が軍属だそうですし、魔法使いとはいえ、訓練の過程で自然と筋肉質な体型になってしまうのかもしれませんね。
「それはともかく、魔道書ってこれですか?」
「そうだよ?」
『書』とはいっても、A4用紙を二つ折りにしたくらいの、簡単なパンフレット程度のボリューム。表紙と裏表紙にはタイトルや著者名しか書いてないので、実質二ページしかありません。仮に初心者用だとしても流石にボリューム不足ではないでしょうか。
「まあ、そこには目をつぶりましょう。贅沢を言っても始まりません」
今更ですが、私はこの世界の人々が使う言語を自然と操ることが出来ています。
いざとなればボディーランゲージで宇宙人とでも意思疎通が出来る自信はありますが、言葉を理解できるか否かは会話の理解度に大きく関わります。情報の多寡が生存率に直結する状況においては、言語の問題を無条件にクリア出来ていたことは素直に喜ぶべきでしょう。
しかし、口頭の会話は理解出来ても、残念ながら文字の読み書きは出来ないようです。世の中そこまで甘くないということでしょうか。ですが、その程度ならば他の人に読んでもらうなり、時間があれば自分で覚えるなりすれば大した問題にはなりません。
「これは何と読むんですか?」
「これ? これはね『筋力強化』の呪文だよ」
魔道書の適当な部分を指差してミアちゃんに読んでもらいました。
「ふむふむ、ますーる、と……おや?」
ミアちゃんが言った通りに『ますーる』と言った瞬間、私の身体に変化が訪れました。
「おやおや……これは?」
「リコちゃん! すごい、魔法が発動してる!」
全身の骨格がメキメキと音を立てて巨大化(どういう理屈によるものか痛みはありませんでした)、そして筋肉が肥大し、私が着用していたワンピースは一瞬にして無残にも引き裂かれました。さようなら、村長の娘さんの古着、短い付き合いでした。
身体の変化は、終わってみればものの十秒もかからなかったでしょう。その僅かな時間で、私の肉体は華奢な少女のものから、ゴリラさながらの巨大なマッチョへと変貌を遂げていたのです。
あ、そういえば下着まで全部破れてしまったので、私いま全裸ですね。
こういうのもサービスシーンと呼ぶのでしょうか?