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「いや、泊めてならまだしも、住ませてって……頭平気? まだ熱ある?」

 風邪菌に頭をやられてるのか? と危惧しながらわたしは彼の額に手のひらを乗せた。彼は抵抗する素振りのひとつも見せない。

 今朝がた(・・・・)触れ損ねた肌目の整った肌は、思った通りすべすべしてて感動するほど気持ちいい。

 それに、わたしの冷えきった指にちょうど馴染むような体温。……つまり熱はないみたい。

 そういえば咳もしてない。鼻声ってわけでもなさそうだ。試しに首筋に触れてみても、リンパが腫れてる感じもない。

 あれ、この人ホントに風邪っぴきなのかな。なんて思うくらいには健康体っぽい。

 ということはさっきの発言もどうやら理性が言わせたものっぽい?

 わたしは腕を組んでちょっと唸ってから、頭を振った。

「いやいや、名前も何してるのかもわかんない人と暮らすって、ないっしょ」

 そう言ったわたしを、彼は真っ黒の目を少し開いて見ている。驚いてる、のかな、これは。表情が読みづらい男だな……。

「ソレ、名前と職業がわかったらいいってこと?」

「あー、素性って意味で、わかればまあ別に。ルームシェアへの抵抗はないし。ここ1Kだし、相手が男ってのはさすがにどうかなって思うけど」

 正直言えば「常識じゃ」とか「世間では」みたいなところはどうでもいい。

 迷惑かける家族に対する建前の色眼鏡を外してみれば、わたしの感情には世間も一般社会も遠すぎる。

「ていうか、それウチじゃなきゃだめなの?」

 勝手なイメージだけど、彼は行きずりの女なんか捕まえるよりましな相手に困らなそうだった。

 なにも早まってわたしみたいなのと同じ布団で寝ることもないだろうに。だってほら、うちには予備の布団なんてない。こいつのためにわざわざ買い足すつもりもない。てことはムダにでかいとはいえ、このベッドで一緒に寝ることになるわけだ。

 わたしが深夜勤のかぎり、生活リズムは違うはずだからベッドの領有権は交代制だろうけど。

 何より、面倒事は避けられるに越したことはない。人生ってそういうものだ。

「このベッド、寝心地いい。気に入った」

「……あ、そう」

 猫だ、猫。

 気持ちよく寝れるならどこでもいいんだ。窓辺のひなたでもファックスの上でも。

 今まではとりあえず、建前を楯に、自分の判断と彼の感情に牽制をかけていたけど、すべて「めんどう」って感情に上塗りされていく気分。

 どうせ寝に帰るだけの家だし、すれ違いの生活なら1Kのルームシェアでも成立するでしょ。

 勝手のいい自宅警備員を雇って、気楽な家賃収入を得られると考えればいいんじゃないの。

 わたしはそう考えを完結させた。

「したいようにすれば」

「マジで」

 うわ、なにその顔。その微笑って女の子の敵だ、きっと。何人の子が泣かされてきたんだか。

 わたしの頬はひきつってるはずだ。

「名前。名前と職業教えて」

「それ、マジだったんだ」

 彼がおもしろげに口許を弛める。

 なにさ、マジじゃダメなのかい。最低限それくらい知っててもいいんじゃない?

 まあほとんど正体不明の人間と、大して悩みもせずに同居を了承するような女がイマサラって感じは認めるけどね。

「じゃあいいよ。タマね。今日からあんたはタマだから」

 猫のタマ。うん、ぴったりじゃない。

「……ルカ」

 わたしがひとりで納得してると、彼はボソッとなにかを言った。

「源氏名、ルカっていうから。そう呼んで。タマはやだ」

 わたしの中では、もう彼は店の客でもタバコ王子でも、不審者めいたイケメンでもなく「タマ」なのに、彼自身に否定されたら改めるしかない。

 しかも秀麗な眉根を露骨に寄せて、見るからに嫌がってるようならなおさらだ。

 呼び方なんてどうでもいいんだけど。ちょっとだけ残念な気がするだけ。

 たしかにこの容姿なら「タマ」より「ルカ」だよね。

「……そ。じゃ、ルカね。ていうか『源氏名』って、ホストなの?」

 「ルカ」なこの顔じゃ、それこそホストにでもなろうもんならあっという間に得意客がつくんじゃないかな。トーク力には難ありだけど。

 だけどホストにしては服装に気合いがない。仮に休日だったと考えても、このコーディネートは適当すぎるでしょ。

 黒いパンツに白いシャツ。この真冬にコートの下はそれだけ。そのコートだって、どっかその辺の適当なセレクトショップで試着もしないで買ったような、無難なPコート。

 わたしの古ぼけたホスト観って、どこに売ってんだソレっていうようなゴテゴテのスーツにチャラい茶髪の盛り髪って感じ。

 それに、なんとなくルカはホストって雰囲気じゃない。ギラギラしいオーラはないし、これだけのイケメンなのに遊んでる想像がしにくい。

 遊んでもらえないお姉さんがたくさん群がってるイメージなら簡単につくんだけど。それらをうざがってる個人主義者っていうか、一匹狼って感じ。

 ちょっとした疑問で、つい首を傾げてしまったわたしに、ルカは仕方なさそうに息をついた。

「別に詮索したいわけじゃないから、言いたくないならいいよ」

 フォローをいれるものの、軽く手を振って、ルカはパンツのポケットから、銀色で薄い長方形のなにかを取り出した。

 メタリックなそれは角こそなめらかな曲線を描いてて、硬質な感じはないものの突き放されるような印象。なのにルカが持ってるだけで、なんだか親しみやすく思えて不思議だった。ルカ自身はどっちかっていえば、そのケースみたいに取っつきにくいのに。

 ぱこん、と小気味いい音をたててふたを開けて、取り出した中身がわたしに差し出される。

「なに?」

「身分証明」

 つい両手で受け取ってしまったそれは、ケースの大きさから想像した通り、名刺ってやつだった。

「添い寝屋ペコリーノ……ヒーリングスタッフ・ルカ。……添い寝?」

 って、なにソレ。なに屋?

 わたしの頭に、ハテナがたくさん飛んでいる。

 名刺を順番に眺めてると、下の方にメッセージが印字してあるのに気付いた。

「眠れない夜を癒します」

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