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ふとレジの管理画面を覗き込むと、ちょうどゼロが三つ並んだばかりだった。
代わり映えしないレジスクリーン。静かな夜に不釣り合いな愉快なBGM。客足まばらで平和な店内。いつもどおりの退屈なシフトは、やっと折り返し地点へのカウントダウンを始めたところだ。
補充を終えたばかりのディスプレイレールを、レジカウンターの後ろにそびえるタバコ棚へ押し戻す。そこそこ年期が入ってるから立て付け悪くて言うことなかなか聞かないんだ。
ガチャガチャ音をたてながらはめこんで、隣のレールを引き出す。こっちは売れ筋じゃないし補充はまだいらないな。
タバコの補充の単位は一カートン、つまり十個詰め。レールに入るのは銘柄にもよるけど十五箱だ。陳列が五箱以下のカートンを下段の在庫置き場から探し出してレールに補充していく。これがわたしの仕事。
気づけば二年も同じ作業ばかり。今じゃうたた寝しながらだって完璧な仕事できる確信がある。
実際、単調な作業に緊張なんてゆるみきってた。
「あとマルメラ」
突然声をかけられて補充のタバコを取り落としかける。
指先でもつれたタバコをキャッチしながら「いらっしゃいませー」と取りつくろってレジを振り返る。そういえばタバコの注文だっけ、マルメラ。
回転の勢いのままタバコ棚に向き直るという無意味な一回転に内心自分のアホらしさを感じながら18番に手を伸ばす。
けどそこにマルメラ――マールボロ・ライトメンソールはない。
「……?」
あれ。
と思った直後に二度目のアホらしさ感。今まさに補充中で、更に言うなら手につかんだままのソレこそがお求めの品じゃないか。
手あかがついたのは心証悪いよな、と手中の箱を置いてレールの一番後ろの補充したてを引っこ抜く。
「こちらお間違いないですか」
タバコのパッケージが見えるように差し出せば無意識のうちにお決まりの文句が口に出る。バーコードをスキャンするとレジが年齢確認をわめきたてた。
深夜帯の年齢確認なんて普段ならおざなりにするとこだけど、年末が近い今の時期、未成年が酒タバコを売ってくれる店を物色し始めるから、わたしみたいな若いアルバイトは店長からの当たりが強い。面倒だけど、売った場合の罰金五十万って脅しはどうやらシャレじゃないらしい。
レジの音声プログラムに年齢確認を促されたわたしはやっと頭をあげて客の顔を確認した。
――あ、タバコ王子。
常連って程じゃないけど過去に何度かタバコを売ったことのあるおにいさんが、慣れたようにレジのタッチパネルに触れる。
販売許可のウィンドウに変わった管理画面をふたつみっつ操作しながら、わたしはぼんやり目の前の客について考えていた。
出来損ないのイケメンが横行するイマドキに、珍しいくらい純正の和製美人。
精悍って感じではない。中性的ともいいがたい男くさい雰囲気は服装やワックスで整えられた髪型の影響じゃなくて、たぶんこの人自身が持ってる何かだ。
そんな空気感とスラッとしたモデル体型、耳元で囁かれたらひとたまりもないだろう甘いテノールとくれば、それは世にいう王子そのものか。〝タバコ王子〟なんて人に聞かせられない恥ずかしいネーミングだって納得。
「お会計820円でございます」
ビタミンドリンクや栄養調整食品とか退廃的な商品をまとめた袋を差し出すと、目線がちょうど王子の胸元辺りに落ち着いた。コートの胸ポケットから覗いてるのはブラウンのセブンスター。誰が言い出したか知らないけど、タバコ王子の愛称はここからきてる。
店に来るたびに変わってる御用達の銘柄。ミーハーな誰かが言うにはヴァージニアを売ったこともあるとか。
わたしはタバコを吸わないからよくわかんないけど、銘柄なんてそんな頻繁に変えないよね。タバコ初心者が自分に合う味を試すっていうのは聞くけど、彼に限ってそんな感じでもない。じゃなきゃさらっと「マルメラ」なんて言わないでしょ。ふつう「マルメンライト」だ。
そういう謎とひくりとも動かない顔面の筋肉に絶世のイケメンっていう近寄りがたさも手伝って、彼は店のパートさんたちに「王子」なんて呼ばれている。
「ありがとうございましたーまたお越しくださいませ」
心なんてちっともこもってない挨拶を背中で受け流す王子を目だけで追いながら、わたしは彼へのネーミングにツッコミを入れたい気持ちでいっぱいだった。
丸まりがちの背筋は王子なんてジャンルからは程遠い。優雅でも颯爽って感じでもない、しなやかな身のこなしは野性的ですらある。見かけるたびに毎回、髪の毛一本から足の先まで黒尽くめっていうのも、華やかな称号に釣り合わない。
猫だ。
わたしは早いうちからそう思ってた。気まぐれで周りの干渉を寄せ付けない。人に馴れない毛並みのきれいな黒猫。
夜気を招き入れる自動ドアの開閉パターン音が鳴り終わるのと一緒に王子のことは思考からすり抜けて、わたしは補充の途中だったタバコを陳列するのに没頭するフリをする。
休憩まであと一時間。正直言えば集中力なんかとっくに充電切れだ。
学校の視聴覚室にあったような長机一台を無理やりと、パイプいすを二、三脚押し込めただけの休憩室でさえ心底恋しい真夜中の二十四時。
休憩に何食べよう、なんて他愛のないことを考えて夜は濃度を増していく。




