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悪役令嬢ですが、冷酷公爵に抱っこされるだけで全部うまくいきます!

掲載日:2026/03/23

「キィイイイイイイーーーッ! 何よこのドレス! 刺繍が三ミリずれているわ! 焼き捨てなさい、今すぐこの屋敷ごと焼き捨てなさいよ!!」


 鏡の前で、エリカ・フォン・アステリアは絶叫した。その形相は、およそ公爵夫人のものとは思えないほどに荒ぶっている。

 侍女たちが顔を青くして震える中、背後から岩のように硬く逞しい腕が伸びてきた。


「エリカ、落ち着きなさい。屋敷を焼くと今夜寝る場所がなくなる」


 この国の「人喰い公爵」として恐れられるアルベルトは、慣れた手つきでエリカをひょいと抱き上げた。まるで暴れる子猫を扱うかのようだ。


「代わりにその刺繍をした工房を買い取って、君専用の仕立て屋にしよう。な?」

「……ふ、ふん。……それなら、許してあげなくもないわ。あと、揺らしなさいよ! 縦に! 早く!」

「分かった分かった」


 冷酷無比と謳われたアルベルトは、アゲサゲコンボのリズムで、エリカを「高い高い」に似た姿勢でゆらゆらと上下に揺らし始めた。

 エリカは公爵の鋼のような大胸筋に頬を寄せ、満足げに鼻を鳴らす。

 その様子を、壁際で震えていた侍女たちは、虚無の目で見守っていた。


(……お館様。あの女、今「屋敷を焼け」と言いましたよね? なぜ工房を買い取って解決させているのですか? なぜそんなに幸せそうに上下に揺らしているのですか?)


 アルベルトにとって、エリカの絶叫は「自分を怪物として見ない唯一の音」だった。

 彼を恐れて震えるだけの人間より、三ミリの刺繍のズレにマジギレする彼女の方が、よほど人間らしく、愛おしい。


「ふんっ。当然よ。……見てなさいセシリア。わたくしをここに捨てたこと、後悔させてあげるわ」


 公爵の腕の中でゆらゆらと揺られながら、エリカは次の「わがまま」という名の爆撃を計画する。

 これが、巷で「呪われた婚姻」と噂された二人の、あまりに噛み合いすぎた日常の光景であった。




 そもそも、この婚姻は実家の異母妹、セシリアが完璧なシナリオで書き上げた「エリカ処刑計画」の終着駅だった。

 自称・転生者のセシリアは、この世界を「乙女ゲーム」と呼び、姉であるエリカを「断罪されるべき悪役」として徹底的に排除にかかったのだ。

 エリカは分かりやすかった。

 気に入らなければセシリアのドレスに泥水をぶっかけ、欲しい宝石があれば髪を引っ掴んででも奪い取る。

 そんなエリカの「野蛮な振る舞い」を、セシリアは常に「お可哀想な、お姉様……お母様を亡くされてから、お心が荒んでしまわれたのね……」と、聖女のような微笑みで耐えてみせた。

その「耐える美少女」の姿に、第一王子はコロリと騙された。


「セシリア! 君のような清らかな乙女が、これ以上この毒婦に虐げられるのは見ていられない!」


 王子は激昂し、独断で「王命」を下した。

 それは「人喰い公爵」アルベルトとの政略結婚という名の放逐だ。

 本来、王命は国王の裁可が必要な重いもの。だが、セシリアに心酔する王子は、将来の王権を盾に強引に婚約を成立させたのである。


「お姉様、公爵様はとっても冷酷な方なんですって。どうか、殺されないように気をつけてくださいね」


 そう言ってほくそ笑むセシリアに送り出された、あの日。

 セシリアの計算では、公爵邸に着いた初日にエリカが「部屋が狭い! わたくし専用のクローゼットルームを作りなさい!」と喚いた瞬間、公爵の逆鱗に触れて斬り捨てられるはずだった。


 しかし、現実は違った。


 アルベルト公爵は、生まれ持った圧倒的な魔力と威圧感のせいで、有能な騎士や執事ですら目を合わせられない「孤独な怪物」だった。

 彼が口を開けば、誰もが震えて膝を突き、命乞いをする。

 そんな氷の世界に、エリカは土足で、しかも全力のキックをかましながら乱入してきたのだ。


「何よその死んだ魚みたいな目は! わたくしを映す鏡なら、もっとキラキラ輝かせなさいよ! 磨きなさい! その眼球を今すぐ取り出して磨き上げなさいッ!! キィイイイイッ!!」


 アルベルトは、雷に打たれたような衝撃を受けた。

 初めて自分を恐れず、あまつさえ「眼球を磨け」という斬新すぎる要求をしてくる人間。

 他人の顔色を窺うドブネズミのような貴族たちに比べれば、三ミリの刺繍に命を懸けて怒鳴り散らすエリカの姿は、あまりにも純粋で、光り輝く太陽のように映ったのである。


(……素晴らしい。この女、私の威圧に一ミリも怯んでいない。これほど強靭な魂、一生離すわけにはいかないな)


 公爵の愛は、出会った瞬間に「狂信」へと変わっていた。




 エリカが公爵邸に送り込まれてから一ヶ月。

 王都の実家では、セシリアが爪を噛みながら苛立っていた。


「……おかしいわ。あの『人喰い公爵』の屋敷よ? 到着した瞬間に、お姉様の首が庭の飾りにされているはずなのに……。なぜ『エリカ様は健やかにお過ごしです』なんて報告が来るのよ!」


 セシリアは「転生者」としてのプライドをかけ、次の一手を打つことにした。

 それは、ゲーム知識で知っていた「隣国のスパイが王家暗殺用に開発した、無味無臭の遅効性猛毒」を仕込んだ茶葉だ。


「お姉様ぁ、お見舞いですわ。公爵様と一緒に召し上がってね!」


 公爵は正直セシリアの好みではないものの、傷心につけこめば何かあるだろうという打算が働いたしょうもない暗殺であった。




 数日後、アルベルト公爵邸のテラス。

 セシリアから届いた「最高級の茶葉」が、金縁のティーカップに注がれた。

 アルベルトが口をつけようとした、その瞬間。


「おえぇっ!! ぺっ、ぺっ!!」


 向かいに座っていたエリカが、いきなりテーブルをひっくり返した。ガシャーンと高価な陶器が砕け散り、公爵の服に茶が跳ねる。


「何よこの泥水!! わたくしの高貴な舌を殺す気!? こんなカビ臭い落ち葉みたいな飲み物、家畜でも飲まないわよ! キィイイイイイーーーッ!!」


エリカは立ち上がり、テラスから見える広大な茶畑を指差した。


「アルベルト! 今すぐあの茶畑を全部焼き払いなさい! 根っこから、一粒の土まで残さず黒焦げにするのよ! 代わりに、わたくしの好きな『金色の向日葵』を一面に植えなさい! 早く!! 今すぐよ!!」


 あまりの剣幕に、周囲の騎士たちは腰の剣に手をかけた。

 主人の服を汚し、先祖代々の茶畑を焼かせようとする女。これこそ「処刑」の正当な理由になるはずだった。

 しかし、アルベルトは濡れた服を拭いもせず、うっとりとエリカを見つめた。


「……素晴らしい。エリカ、君の嗅覚は犬より鋭いのか。それとも予知能力か?」


 アルベルトが冷静に茶を分析させた結果、そこからは騎士の検分すら抜ける巧妙な猛毒が検出された。

 さらに、エリカが「見た目が派手だから」という理由だけで指定した『金色の向日葵』。それは、特定の土壌でしか育たず、数千の金貨で取引される伝説の万能薬の原料だったのだ。


「聞いたか。妻の命だ。……今すぐ隣国との国境にある茶畑を焼き払え。そこがスパイの拠点になっていたことも、毒を盛った連中も、すべて灰にしろ」


 アルベルトの冷徹な命令が飛ぶ。

 数日後、公爵領は「奇跡の薬草園」として大陸一の富を生む場所へと変貌を遂げた。


(……えっ、ただ不味かったから八つ当たりしただけなのに、なんでみんな感謝してるのよ……?)


 エリカが困惑の表情を浮かべていると、背後から例の逞しい腕が伸びてきた。


「エリカ、君は私の命を救い、我が領地に永遠の繁栄をもたらした。君の怒りは、この世の邪悪を焼き尽くす聖なる劫火なのだな。……さあ、ご褒美だ。揺らそう」

「……ふ、ふんっ! 当然よ! さあ、高く! もっと高く揺らしなさいアルベルト!!」


 空高く掲げられ、一定のリズムでアゲサゲされるエリカ。

 その光景を見ていた使用人たちは、「もしかして奥様は、ワガママの皮を被った救世主なのでは……?」と、深刻な勘違いを深めていくのであった。




 王都のパレス。まばゆいシャンデリアの下で、セシリアは勝利を確信していた。

 隣に立つ第一王子は、彼女の胸元で怪しく光る『傾国の魔石』の魔力に当てられ、完全に正気を失っている。


「……皆様、お聞きください! 我が最愛のセシリアの姉、エリカは、あの『人喰い公爵』に日々虐げられ、今や虫の息だという報告が入っている! 私は王命を下した者として、この非道を許さない!」


 王子の叫びに、会場の貴族たちがざわめく。そこへ、重厚な扉が開いた。

 現れたのは、黒い礼服に身を包んだアルベルト公爵。……そして、その腕の中に「高い高い」の状態でホールドされたエリカであった。


「キィイイイイイイーーーッッ!! 何よこの会場! ワックスが効きすぎて滑るじゃない! わたくしを転ばせて恥をかかせる気!? 今すぐこの床、全部ひっぺがして絨毯を敷き詰めなさいよ!!」


 元気すぎる絶叫がホールに響き渡る。……「虫の息」どころか、鼓膜を破らんばかりの音量である。


「お、お姉様……!? なぜそんなにピンピンして……。公爵様、騙されてはなりません! その女は呪いでお貴方を操っているのですわ!」


 セシリアが慌てて魔石の出力を最大にした。どす黒い魅了の光が会場を包み込み、人々がセシリアを「聖女」と崇めようとした、その時。


「…………キィイイイイイイイイーーーッッ!!! 何よその石ッ!!」


 エリカの「純粋な不快感」が、魔力を物理的にかき消した。


「何そのドブネズミの目玉みたいな色の宝石! ダサい! ダサすぎるわッ!! わたくしの視界にそんなファッション事故を入れないで! 今すぐ砕け散りなさいよッ!!」


 エリカは公爵の腕から弾丸のように身を乗り出すと、セシリアの胸元へ渾身の裏拳を見舞った。


 ――パリンッ!!!


 無能なはずのエリカの一撃(ただの八つ当たり)が、伝説の魔石を木っ端微塵に粉砕した。

 魅了が解け、正気に戻った貴族たちが呆然とする中、アルベルト公爵が冷徹な一歩を踏み出した。その視線の先には、上座で顔を青くしている国王がいる。


「……陛下。ようやく、正気に戻られたようですね」

「ア、アルベルト公爵……。これは一体……」


 アルベルトは懐から一通の書面を取り出し、国王の前に突きつけた。


「我が妻エリカとの婚姻。これは第一王子が陛下の裁可を得ず、独断で偽造した『偽の王命』によるものです。……我が公爵家を侮辱し、さらには禁忌である『魅了の魔石』を用いて国を揺るがした罪。……重いですよ?」


 国王の顔から血の気が引いた。背後に控えていた騎士団が、即座に王子とセシリアを包囲する。


「な、何かの間違いよ! 私はヒロインなのよ! 計算違いよぉおお!」

「セシリア! 私を騙していたのか!?」


 見苦しく罵り合う二人に対し、国王が冷酷な宣告を下す。


「……王子を廃嫡とし、北方の極寒の地へ幽閉せよ。そしてその女、セシリアは……我が国で最も過酷な『黒鉄鉱山』での終身労働に処す。……二度と日の光を拝ませるな」


 引きずられていくセシリアの絶叫が消える中、会場には再び静寂が訪れた。

 しかし、その沈黙を破ったのは、やはりエリカの「いつもの」だった。


「ふんっ、当然よ! ダサい石も、ダサい妹も、わたくしの世界には不要なの! ……それよりアルベルト! 今の衝撃で爪が0.1ミリ欠けたわ! 今すぐ最高級のヤスリを用意なさい! あと……揺らしなさい! 早く!」


「ああ、了解した。……やはり君は、この世の何よりも純粋で、美しい」


 公爵は、全貴族と国王が見守る前で、再びエリカを「高い高い」のリズムでゆらゆらと揺らし始めた。

 そのシュールな光景に、会場の誰もが「……あ、これ、お似合いの夫婦だわ」と、言葉にできない納得感を抱くのであった。




 廃嫡された王子と、鉱山へと連行されるセシリアの絶叫が遠ざかる中、エリカは公爵の腕の中で忌々しげに吐き捨てた。


「キィイイイイイッ! 許せないわ! あんなファッション事故のせいで、誰もわたくしのドレスに見向きもしなかったじゃない! この日のために三ミリの狂いもなく仕上げさせた、わたくしの完璧な装いを無視するなんて、万死に値するわッ!!」


 国家転覆の危機を救った英雄として称賛されるべき場面で、彼女が最も怒っていたのは「自分の美しさが正当に評価されなかったこと」だった。

 アルベルトは、そのあまりにも自分勝手で、一点の曇りもないエリカの横顔を見つめ、慈しむように目を細めた。


「……そうだな。これほど美しい君を無視するなど、この国の貴族は節穴ばかりだ。よかったな、エリカ」

「何がよ! 何もよくないわよ! アルベルト、貴方まで頭が沸いたの!?」

「いや。……誰も君の美しさに気づかなかったのなら、今日、君を独占できたのは私だけだということだ。これ以上の幸福があるだろうか」

「…………ふ、ふんっ!! 相変わらずバカなことばかり言うのね! だったら責任を取りなさいよ! 今すぐ、わたくしのドレスを褒めるためだけの夜会を開くのよ!」

「ああ、当然だ。国中の宝石商と仕立て屋を呼び集めよう。君のドレスを褒める会を、三日三晩続けよう」

「当然よ! わたくしが満足するまで、一分一秒たりとも休まず褒め称えなさい! あと……揺らしなさい! 今すぐ! 縦に! 最高速で!!」

「分かった分かった。……よし、アゲサゲだ」


 公爵は満足げに頷くと、全貴族と国王が呆然と見守る中、エリカを「高い高い」の姿勢で高速かつ一定のリズムで上下させ始めた。

 エリカは公爵の逞しい胸板を蹴飛ばさんばかりの勢いで、勝利の雄叫びを上げ続ける。




 ――この後、実家のアステリア領は公爵家によって速やかに併呑された。

 エリカは「あそこの湖、わたくしの専用お風呂にするから、今すぐ温度を42度に保つ魔導具を沈めなさい!」と無理難題を命じたが、アルベルトは「素晴らしい、温泉事業の開拓だな」と全肯定し、結果的にそこは大陸最高の観光資源として莫大な利益を上げたという。


 後世の歴史書には、こう記されている。


 『氷の公爵』と呼ばれたアルベルトは、その生涯において一度も他者に背を見せず、ただ一人の女性――『猛獣使い』エリカのワガママにのみ跪き続けた、稀代の愛妻家であった。

 そしてエリカは、死ぬまでその「純粋な怒り」で、夫を、領地を、そして国そのものを振り回し、救い続けたのだと。


「ふんっ、当然よ! 世界はわたくしの思い通りなんですもの!」


 今日も公爵邸には、小鳥のさえずりのように心地よい(とアルベルトだけが主張する)絶叫が、高らかに響き渡っている。


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