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親友(♀)だと思ってたお姉様が、裏では独占欲全開のオス(♂)だった話  作者: 茗子


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第3話:献上されたシロツメクサと、崩れゆく静寂

「……来ないな」

初夏の陽光が容赦なく照りつける、住菱すみびし本邸の日本庭園。

東屋あずまやのベンチに腰掛けた伊織は、手元の洋書から視線を上げ、ふと動きを止めて耳を澄ませた。聞こえてくるのは、熱を孕んだ風が松の葉を揺らす音と、遠くで規則正しく響く鹿威ししおどしの澄んだ音色だけだ。

数日前の夜、あの広間を満たしていた「吐き気を催すほど甘ったるいハンドクリームの匂い」も、ここには届かない。

(……当然だ。あそこまで明確に拒絶し、その存在を否定したのだから)

伊織は微かに目を伏せ、再びページに視線を落とした。昨日の午後、泥だらけで現れた庭師の娘に対し、伊織は「二度と僕の前に現れるな」と、子供とは思えぬ絶対零度の声で言い放ち、差し出された泥の塊を無慈悲に叩き落とした。

選民意識に凝り固まった温室育ちの子供であれば、その一言で震え上がり、二度とこの聖域に足を踏み入れようとはしないはずだ。伊織の放つ冷徹な拒絶は、大人でさえもたじろぐほど鋭利な、見えない壁なのだから。

(ようやく、僕の完璧な秩序が戻ってきた。耳障りな不協和音のない、清浄な空間が)

美しい活字の羅列を指先で追いながら、伊織が冷たい紅茶のグラスへ優雅に手を伸ばした、その時だった。

「おっひめさーま!! あーそーぼ!!」

「……っ!!?」

ガシャン!と、伊織の指先が滑り、薄肉のクリスタルグラスがソーサーの上で危うい音を立てた。

東屋の石段の下。丹念に掃き清められた白砂の向こうから、麦わら帽子を被った「太陽の化身」のような笑顔が、満面の笑みでこちらに手を振っていた。

「な……っ、なぜ貴様がここにいる!!」

伊織は弾かれたように立ち上がり、氷点下の声を叩きつけた。だが、泥だらけの野生児――雀は、伊織から放たれる苛烈な怒気など一ミリも感受していない様子で、泥のついた長靴のままズカズカと東屋へ踏み込んできた。

「へへーん! 昨日のお約束、ちゃんと守りに来たよ! 泥だんごよりお花が好きなお姫様のために、いーっぱい積んできたからね!」

雀がドサッ!と伊織の目の前のテーブルに置いたのは、本邸の裏山でむしり取ってきたであろう、大量のシロツメクサとタンポポの束だった。

「な……っ」

伊織は絶句した。確かに「花」ではある。しかし、雀はそれを根こそぎ乱暴に引き抜いてきたらしい。青臭い植物の断末魔のような匂いと、根にべったりと絡みついた湿った黒い土の匂いが、むわっと東屋の空気を支配した。あの忌々しいハンドクリームの匂いよりは幾分かマシだったが、伊織の潔癖な感性にとっては、耐え難い「汚れ」の塊であることに変わりはない。

「ほら! 可愛いっしょ! お父さんがね、女の子にはお花をあげるのが一番喜ぶって言ってたの! 昨日はいきなり泥だんごをあげてごめんね!」

雀は泥のついた手で額の汗を拭い、えっへん、と誇らしげに胸を張った。伊織の陶器のようになめらかな額に、ピキリと青筋が浮かぶ。

「……貴様、僕の言葉が理解できないのか? 僕は男だと言っているだろう! それに、そんな土塊つちくれのついた雑草を僕のテーブルに置くな!!」

「えー? 雑草じゃないよ、シロツメクサ! これでね、花の冠が作れるんだよ! ほら、貸して!」

雀は伊織の怒号を、まるで心地よい春風か何かのように軽やかに聞き流した。そして、土のついた指先で器用に茎を編み込み始め、瞬く間にいびつな花の輪を作り上げた。

「できた! ほら、ちょっとだけ屈んで!」

「誰が屈むか!! 僕に気安く触るな!」

伊織は反射的に後ずさるが、雀の機動性は野生動物のそれであった。「えーい!」という無邪気な掛け声とともに、雀は背伸びをして、伊織の漆黒の美しい髪の上に、その泥臭い花の冠を無理やり被せた。

「……っっ!!」

「わあぁ……! やっぱり似合う! すっごく綺麗なお姫様だ!」

伊織は顔面を蒼白にさせた。頭上に乗せられた雑草から、湿った土の粒が、完璧に整えられた自分の髪の隙間にこぼれ落ちてくるのがわかる。

(……不潔だ。僕の髪に、土が……っ。こんな泥ザルの触れた異物が、僕の領域を侵食して……!)

「いい加減にしろ!!!」

伊織はついに理性の限界を迎え、頭上の冠を乱暴にむしり取ると、地面に向かって叩きつけた。バサッ、と無惨な音を立てて、土塗れの花冠かかんが転がる。

伊織は肩で荒い息をしながら、殺気すら帯びた瞳で雀を射抜いた。

「……帰れ。今すぐここから消えろ。二度と僕の視界に入るなと言っているだろう!! 言葉の通じないサルめ!!」

五歳児とは思えぬ、剥き出しの憎悪と拒絶。今度こそ、どれだけ鈍感な子供であっても、自分が決定的に嫌われていることを理解し、泣き喚いて逃げ出すはずだ。伊織は、冷たい氷のような瞳で雀の失墜を見届けようとした。

だが――。

雀は、地面に落ちた花の残骸と、伊織の怒りに震えるかおを交互に見比べた後。「あちゃー」とでも言いたげに、おどけて舌を出した。

「そっかぁ。ちょっとサイズが大きすぎたかぁ。ごめんごめん!」

「……は?」

「すぐ落ちちゃって怒ってるんでしょ? 伊織ちゃん、お顔は綺麗なのに、すっごく短気だね! よーし、明日はもっと君の頭にピッタリのやつ、絶対作ってくるから待っててね!」

「サイズの問題ではないと言っているだろうが!!!!」

伊織の魂からの叫びも虚しく、雀は「お父さーん! 今行くー!」と手を振りながら、またしても嵐のように庭の奥へと駆け去っていった。

一人残された東屋には、散乱した土と雑草。そして、完璧な静寂を完全に打ち砕かれた伊織の、激しい動悸だけが残されていた。

(……狂っている。なんなんだ、あの異常なまでの図太さは。僕の論理が、拒絶が、一切通用しない……!)

氷の王子の言葉を「照れ隠し」や「サイズ間違い」に脳内変換する、恐るべきポジティブモンスター。伊織はこの日、確信した。この泥だらけの少女は、自分の完璧な人生に突如として現れた、制御不能の「バグ」であると。

そして、彼女を追い払うために費やすエネルギーが、自分の静寂を上回ろうとしている事実に、彼はかつてない絶望的な予感を覚えるのだった。

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