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親友(♀)だと思ってたお姉様が、裏では独占欲全開のオス(♂)だった話  作者: 茗子


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第20話:泥だらけの特等席が、ほんの少しだけ待ち遠しい【第一部】幼少期編完

私立住菱すみびし初等部に入学して、初めての夏が近づいていた。

木々の緑が色濃くなり、中庭に吹き抜ける風も微かな熱を帯び始めている。

白亜のガゼボは、今やすっかり「奇妙な二人の定位置」として全校生徒に認知されていた。

ガゼボの中心で、優雅に洋書のページを繰る住菱伊織。

その向かいの席で、麦わら帽子を被り、泥だらけの膝を揺らしながらスケッチブックにクレヨンを走らせる野生児――すずめ

そして、半径十メートルの「泥の結界」の外側で、ハンカチを噛み締めながら遠巻きに見つめる紺碧の制服の群れ。

「……ふふふ〜ん、ふっ、ふー♪」

今日も今日とて、絶望的に音程の崩れた雀の鼻歌が、伊織の鼓膜を心地よく……いや、耳障りに叩いていた。

(……相変わらず、進歩のない音階だ。僕の完璧な静寂が、毎日この無秩序な音によって汚染されている)

伊織は、氷のように冷ややかな無表情の裏で、いつものように悪態をついた。

だが、その悪態とは裏腹に、伊織の視線は滑らかに活字を追っている。令嬢たちのむせ返るようなハンドクリームの淀みも、甘ったるい嬌声も、すべてこの泥臭い「防波堤」が遮断してくれているおかげで、今の伊織は人生で最も安らかな読書時間を手に入れていた。

「できたっ!!」

不意に、雀がバッ!とスケッチブックを掲げた。

そこには、黒と緑のクレヨンで力強く描かれた、得体の知れない物体があった。

「伊織ちゃん、見て! 今日のお庭の絵! カマキリさんがカブトムシと戦ってるとこ!」

「……っ、急に大声を出すな。それに、僕の視界にそんな野蛮な虫の絵を近づけるな。不潔だ」

伊織が氷点下の声で冷たくあしらうと、雀は「えー? すっごく強そうに描けたのに!」と口を尖らせた。

しかし、彼女がそれ以上食い下がることなく、すぐにまた別のページを開いて「ふふふーん♪」と鼻歌を歌い始めるのを、伊織は知っている。

この、噛み合わないやり取り。

伊織の絶対零度の拒絶を、まるで春風のように受け流す雀の規格外の精神力。

入学当初はあれほど鬱陶しかったはずのこのいびつな空間が、伊織にとって、今や「呼吸するための酸素」として完全に定着してしまっていた。

昼休みの終わりを告げる、アンティーク・ベルの重厚な音が鳴り響いた。

「あ、もうお昼終わっちゃう! かかし任務、今日はここまで!」

雀が乱暴にクレヨンを鞄に押し込み、ガタッと立ち上がる。

パラパラと、彼女の服から乾いた土の塵が落ちる。以前なら「僕の領域を汚すな」と激怒していたはずの伊織だが、今はただ、微かに眉間を寄せるだけだ。

「じゃあね、伊織ちゃん! また明日も、絶対ここに見張りに来るからね! 安心していっぱいご本読んでていいよ!」

太陽のように屈託のない笑顔で、雀がドンッと自分の胸を叩く。

その言葉を聞いた瞬間。

伊織の胸の奥で、チリッと、熱を帯びた炭火が弾けるような感覚があった。

「明日も来る」――その確約。

それがどれほど、この完璧主義で傲慢な王子の心を安堵させたか。

伊織は、ゆっくりと洋書を閉じ、組んでいた足を解いた。

そして、雀を見下ろすように、冷酷で、ひどく高慢な視線を向けた。

「……当たり前だ」

「えっ?」

「貴様は僕の環境を守るための、ただの『道具』だ。僕が許可を取り消さない限り、明日も、明後日も、その先の六年後も……貴様の居場所は、僕の視界の端の、その泥だらけの席だけだ。……絶対に、遅れるなよ」

それは、伊織なりの「明日も必ず僕の側にいろ」という、極めて不器用で遠回しな懇願……いや、呪縛だった。

だが、案の定、雀のポジティブ脳はその呪縛を全く別の意味に変換する。

「うんっ! まかせて! 私、初等部卒業するまで、最強のかかしでいてあげる!」

「だからかかしではないと言っているだろうが……チッ、もういい。さっさと手でも洗ってこい」

「はーい!」

雀が嵐のようにガゼボを飛び出していく。

その後ろ姿を見送る伊織の氷のように冷たいかおには、自分でも気づかないほど微かに、しかし確実に、安堵の笑みが浮かんでいた。


***


「……まったく。あそこまで見事な『無自覚な執着』を見せつけられると、いっそ清々しいですね」

少し離れた回廊の陰から、その一部始終を鉄面皮のまま見届けていた秘書の千堂は、小さく溜息をついた。

伊織のブレザーの胸ポケットの中には、いまだにあの「微かに土の匂いが移った純白のハンカチ」が大事にしまわれていることを、千堂は知っている。

そして、もう一人。

「ふふっ……いいね。伊織のあの、自分の『所有物』だと思い込んでいる傲慢な顔」

特別サロンのバルコニーから、腹黒い貴公子・夏目瑞樹が、紅茶のカップを揺らしながら楽しげに目を細めていた。

「六年後も、ずっと僕の隣……か。あはは、面白い冗談だ。あの子のあの特等席が、いつまでも君だけのものだなんて、どうして言い切れるのかな」

初夏の風が、三人の思惑を乗せて青空へと吹き抜けていく。

かくして。

「不潔だ」「目障りだ」と毒づきながらも、泥だらけの防波堤がもたらす熱に、氷の王子がどっぷりと依存しきった幼少期の日常は、静かに幕を閉じる。

伊織はまだ知らない。

この「打算」の箱庭が、成長とともにいかに甘く、狂おしい執着へと変貌していくか。

そして、その泥だらけの特等席を巡って、いずれ自分が盛大に理性を吹き飛ばし、仮面をかなぐり捨てるほどの壮絶な喜劇を繰り広げることになるということを――。

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