表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
親友(♀)だと思ってたお姉様が、裏では独占欲全開のオス(♂)だった話  作者: 茗子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/27

第17話:静かすぎる右隣と、まったく進まない洋書

私立住菱すみびし初等部の教室は、最高級の調度品で統一された、まるで高級ホテルのラウンジのような空間である。

午後の自習時間。静まり返った室内には、上質な万年筆が紙を滑る微かな音だけが響いていた。

住菱伊織は、窓際の自分の席で深く背もたれに寄りかかり、手元の洋書を開いていた。

(……素晴らしい環境だ。これこそが、本来あるべき学び舎の姿だ)

伊織は、氷のように冷ややかな無表情のまま、心の中でそう呟いた。

彼の右隣の席。

そこは今、ぽっかりと空席になっている。

いつもなら、授業中であろうと自習中であろうとお構いなしに、泥だらけの野生児――すずめが、消しゴムのカスを練って巨大な塊を錬成したり、教科書の隅に謎の生き物のパラパラ漫画を描いたりして、絶えず視界の端でちょろちょろと動いている場所だ。

今日、彼女は知恵熱で欠席している。

だからこそ、伊織の右隣には、特注の木製デスクと空の椅子だけが、あるべき姿で静かに佇んでいる。

(土埃の匂いもない。耳障りな鼻歌もない。僕の完璧な領域を脅かす不浄な要素は、今日に限っては完全に排除されている)

伊織は優雅に足を組み直し、洋書の活字へと視線を落とした。

……落とした、はずだった。

「…………」

三分後。

伊織の白く長い睫毛が伏せられ、その視線は、無意識のうちにスッと「右隣の空席」へと引き寄せられていた。

誰も座っていない、ただの木の椅子。

それを見つめている自分に気づき、伊織はハッとして眉間を寄せ、再び本に目を戻した。

(……何をしているんだ、僕は)

しかし、さらに五分後。

今度はページをめくろうとした指が止まり、伊織はまたしても右隣の空間を凝視してしまっていた。

(……おかしい。本当に、まったく活字が頭に入ってこない)

伊織は、苛立ちとともに小さく息を吐いた。

完璧な静寂であるはずなのに、少しも落ち着かない。

いつものように、視界の端でアホ毛を揺らしながらノートに落書きをしているあの泥ザルがいないだけで、空間全体の調律が決定的に狂ってしまったような、奇妙な違和感があるのだ。

「あの、伊織様……」

不意に、左隣の席から、甘ったるい声がかけられた。

クラスメイトの令嬢が、頬を染めてこちらを窺っていた。彼女の紺碧の制服からは、むせ返るような百合のハンドクリームの淀みが漂ってくる。

「今日は、お隣が静かでいらっしゃいますね。あのような平民がいなくて、伊織様もさぞかし清々されていることと……」

「……黙れ」

令嬢の媚びを含んだ言葉を、伊織は絶対零度の声で一刀両断した。

「ひぃっ……!」

「僕に話しかけるなと言っているだろう。それに、お前のその品性の欠片もない油脂の匂いは、僕の思考を著しく阻害する。今すぐ僕の風上に立つな」

血も凍るような冷酷な視線で射抜かれ、令嬢は涙目になって顔を伏せた。

教室の空気が、ピリッと張り詰める。

伊織はギリッと奥歯を噛み締め、乱暴に洋書を閉じた。

(……最悪だ。やはり、あの優秀な『防波堤』が機能していないと、こういう身の程知らずの有象無象がすぐに湧いてくる)

伊織は、自分の胸の奥で渦巻いているこの原因不明の苛立ちを、すべて「防波堤が壊れているせいで、他の連中が鬱陶しいからだ」という理屈にすり替えた。

だが、現実は違う。

令嬢に話しかけられるずっと前から、伊織はまともに本を読めていなかったのだから。

(あの泥臭い匂いがしない。ただそれだけで、この教室の空気がこんなにも無機質で、息苦しく感じられるなんて)

伊織は、机の上で組まれた、泥汚れなど一度も知らぬ冷たい己の指先を見つめた。

七歳の天才児の完璧な論理は、すでに根底から瓦解し始めている。

自分がどれほど、あのやかましくて泥だらけの存在の「熱」に安心を覚えていたのか。その事実を認めることができず、伊織はただ、空っぽの右隣の席を忌々しげに睨みつけることしかできなかった。

(……早く治せ、馬鹿者。明日も休むようなら、僕の精神衛生に深刻な支障が出る)

氷の王子が、自らの無自覚な「執着」と「飢餓感」に、少しずつ追いつめられていく。

静かすぎる教室で、伊織の苛立ちは募るばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ