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親友(♀)だと思ってたお姉様が、裏では独占欲全開のオス(♂)だった話  作者: 茗子


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第13話:押し付けられたシロツメクサの処遇

初夏の陽光が、私立住菱すみびし初等部の芝生を鮮やかな深い緑に染め上げている。

中庭の片隅では、柔らかな風に揺れて、真っ白なシロツメクサの群生が小さな花畑を形作っていた。

「……ふふふ〜ん、ふっ、ふー♪」

いつもの白亜のガゼボ。

伊織が洋書を開くテーブルの向かいで、泥だらけの野生児――すずめは、先ほどから芝生にしゃがみ込み、何やら熱心に草をむしり取っていた。

伊織の定めた「声を出さない」という規律は、もはや彼女の絶望的な鼻歌によって形骸化している。しかし、その耳障りなメロディが、遠巻きにこちらを窺う令嬢たちの嬌声をかき消す遮音壁として機能しているため、伊織は黙認していた。

(……今日は絵を描かないのか。相変わらず、落ち着きのない野生動物だ)

伊織は、本から視線を上げることなく、微かに溜息を漏らした。

すると、芝生の上でガサガサと動いていた雀が、パァッとかおを輝かせて立ち上がった。

「伊織ちゃん、見て見て!!」

ドンッ!

雀はガゼボの階段を駆け上がると、伊織が読んでいる分厚い洋書のすぐ横――完璧に磨き上げられた大理石のテーブルの上に、泥のついた手を突き出した。

「……っ、急に大声を出すな。それに、僕の領域に不浄な泥を持ち込むなと言っているだろう」

「えへへ、ごめん! でもこれ、すっごく綺麗だったから!」

雀がそっと手を開くと、そこには一本のシロツメクサがあった。

群生していた中でもひときわ大きく、花弁がふんわりと丸い。だが、雀が力任せに引き抜いたせいか、茎の根元にはべったりと湿った黒い土が絡みついている。

「これね、お花が真っ白で、伊織ちゃんみたいだなーって思ったの! だからあげる!」

「……は?」

伊織は、端正な眉間に深い皺を刻み、氷点下の視線でその雑草を見下ろした。

「……貴様、僕の言葉が全く学習できていないようだな。そんな土塊つちくれのついた不潔な雑草を、僕のテーブルに置くな。視界が汚れる」

「えー? 雑草じゃないよ、シロツメクサ! ほら、すっごくいい匂いがするよ?」

「土の匂いしかしない!! 今すぐそれを拾い上げて捨ててこい!」

伊織が声を荒らげた瞬間、昼休みの終わりを告げる予鈴のベルが高らかに鳴り響いた。

「あ! もうお昼終わっちゃう! 私、手を洗ってこなきゃ!」

雀は伊織の怒号を春風のように聞き流し、ぽつんとシロツメクサをテーブルに残したまま、弾かれたように水道場へと駆け出していった。

「おい、待て……っ! これを片付けてから行け!」

伊織の制止も虚しく、泥だらけの嵐はあっという間に去り、中庭の奥へと消えてしまった。

残されたのは、白亜の大理石の上に無惨に転がる、泥付きのシロツメクサ一本。

伊織は忌々しげに舌打ちをした。

こんな不潔な雑草、そのままテーブルから叩き落としておけば、清掃の者が片付けるだろう。自分のように完璧な存在が、泥のついた異物に触れるなど論外だ。

伊織が立ち上がり、洋書を手に取って教室へ戻ろうとした、その時だった。

「……伊織様。あのような泥娘に絡まれて、災難でございましたね」

ふわりと、甘ったるいハンドクリームの匂いが漂ってきた。

雀が走り去ったことで一時的に「泥の結界」が解け、遠巻きに見ていた令嬢の一人が、千載一遇の好機とばかりにガゼボへ足を踏み入れてきたのだ。

「あんな汚らしい雑草、わたくしがすぐに捨ててさしあげますわ。伊織様のお手を煩わせるわけには……」

令嬢が、繊細なレースの手袋に包まれた手を、テーブルの上のシロツメクサへと伸ばした。

――その瞬間。

伊織の胸の奥で、カッと黒い炭火が弾けるような、猛烈な衝動が湧き上がった。

あんなに不潔で鬱陶しいと思っていたはずの「泥付きの雑草」に、他人が指一本でも触れようとした瞬間、説明のつかない獰猛な独占欲が理性を塗り潰したのだ。

「……触るな」

「え……?」

伊織は、令嬢の手が届くよりも早く、自らの白く透き通るような指先で、その泥付きのシロツメクサをひったくるように取り上げていた。

「い、伊織様……? そのような穢らわしいものを、素手で……っ」

「僕のテーブルに置かれたものだ。僕の許可なく、気安く触れるなと言っている」

絶対零度の声と、射抜くような鋭い眼差し。

令嬢は「ひぃっ」と顔を青ざめさせ、ガゼボから逃げるように後退していった。

再び、ガゼボの中に静寂が戻る。

伊織は、自分の手の中にあるシロツメクサを見下ろし、ハッと我に返った。

(……僕は、何をしているんだ)

泥のついた不衛生な雑草。

なぜ自分は、あんな有象無象の令嬢にこれを捨てられることを、これほどまでに不快だと感じたのか。

こんなもの、ただのゴミだ。今すぐ足元に捨ててしまえばいいはずなのに。

しかし、伊織の指先は、なぜかその小さな花を手放そうとはしなかった。

「……ちっ」

伊織は深く溜息をつき、ポケットからアイロンの完璧にかかった最高級のハンカチを取り出した。

そして、その泥付きのシロツメクサを、まるで壊れ物を扱うかのようにそっと布の中に包み込み、自分のブレザーのポケットの奥深くに滑り込ませた。

(……こんなものをここに放置しておけば、あのサルが明日も『昨日のお花がない!』と騒ぎ立てて、僕の読書時間を妨害するに違いない。これはあくまで、明日の平穏を守るための極めて合理的な処置だ)

天才的な頭脳で完璧な言い訳を組み立てながら、伊織は教室へと歩き出す。

胸のポケットからは、人工的な花の香りなどよりもずっと心地よい、微かなお日様の熱と土の匂いが漂っていた。

五歳の頃のパーティーの夜、押し付けられた「いちご飴」を捨てられなかったあの時から。

氷の王子は、彼女から与えられる泥だらけの熱を、無自覚なまま、着実に自分の内側へと溜め込み始めていたのである。

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