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親友(♀)だと思ってたお姉様が、裏では独占欲全開のオス(♂)だった話  作者: 茗子


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第12話:外れた鼻歌をBGMにする日々

私立住菱すみびし初等部の中庭。

初夏の陽光が白亜のガゼボに降り注ぎ、風が吹き抜けるたびに、翡翠ひすい色の青葉が擦れ合う涼やかな音色が響いていた。

特等席のテーブルで、住菱伊織は静かに洋書のページをめくっている。

向かいの席には、今日も今日とて泥だらけの野生児――雀が陣取り、スケッチブックに向かってクレヨンを走らせていた。

ガゼボの外周には、今日も一定の距離を保って伊織を取り巻く、紺碧こんぺきの制服の群れがある。彼女たちが放つ甘ったるいハンドクリームの淀みは、雀という名の「泥の防波堤」によって完全に遮断されていた。

完璧な空間。完璧な読書時間。

……のはずなのだが。

「……ふふふ〜ん、ふっ、ふ〜♪」

伊織の美しい眉間に、ピクリと険しい皺が寄った。

向かいの席から、絶望的に音程の崩れた、奇妙な旋律せんりつが漏れ聞こえてくるのだ。

雀は「声を出さずにあるじを守る」という伊織の言いつけを、最初の数日は忠実に守っていた。しかし、根が底抜けに陽気な野生児にとって、完全な沈黙という檻に閉じこもり続けるのは至難の業だったらしい。

絵を描くことに没頭するあまり、無意識のうちに唇の端から、ご機嫌な鼻歌が零れ出し始めていたのである。

(……相変わらず、酷い悪声だ。およそ音楽の授業では到底お目にかかれない、法則性の一切ない出鱈目な音階……)

伊織は、洋書の活字を追いながらも、その無秩序な音の破片が気になって仕方がなかった。

これは明白な契約違反だ。「一言でも喋れば追放する」と宣言した手前、今すぐこの泥ザルを冷酷に突き放し、ガゼボから叩き出すのが正しい論理である。

伊織は冷ややかな瞳を伏せたまま、短く、鋭い声を放った。

「……おい」

ビクッ!

その声に、雀の肩が大きく跳ねた。

彼女はハッとして自分の口を両手でバンッ!と強く塞ぎ、目を白黒させている。「あ、やばい、声出しちゃった!」と全身で語るその姿は、まるで悪戯が見つかった泥だらけの仔犬のようだった。

ガゼボの中に、唐突な静寂が落ちる。

雀が息を潜め、伊織から下される「処刑」の言葉を待ち構えている。

だが、伊織はページから視線を上げなかった。

ただ、鼻歌が止んだことで生まれた「無音」の中に、十メートル先から漂ってくる令嬢たちの薄汚れた声が、微かに混じり始めたことに気づいたのだ。

『……伊織様、今日はご機嫌が斜めなのかしら……』

『ああ、あの凍てつくような横顔……触れてしまいたい……っ』

(……チッ)

伊織は、胸の奥で忌々しげに舌打ちをした。

あんな外れた鼻歌であっても、止んでしまえば、代わりにあの鬱陶しい連中の下卑た囁きが、鋭利なとげとなって耳に障る。

静かすぎるのも考えものだ。あの泥臭い鼻歌は、令嬢たちの嬌声をかき消す「防音の壁」として、意外にも有能に機能していたのである。

「……息が詰まる」

伊織は、誰にともなくポツリと、吐き捨てるように呟いた。

そして、口を塞いだまま石像のように固まっている雀を、ぞっとするほど整った横顔のまま、絶対零度の視線を滑らせた。

「……もう少し、音程をどうにかできないのか」

「えっ?」

雀が塞いでいた手をそっと離し、目を丸くする。

「喋れとは言っていない。ただ……その奇妙な音が途切れると、外の鬱陶しい声が耳に障る。続けるなら、せめてもう少しマシな旋律にしろと言っているんだ」

それは、伊織なりの「鼻歌の許可」であった。

絶対のルールを自ら捻じ曲げ、あろうことか、その音痴な鼻歌を「背景音として流し続けろ」と要求したのだ。天才・住菱伊織の口から出たとは思えぬ、あまりにも理不尽で、妥協に満ちた言葉だった。

雀は、ぽかんと口を開けた後――。

パァァァッ!と、今日一番の輝くような笑顔を咲かせた。

「うんっ! まかせて! 私、お父さんに教わった『カエルの合唱』ならすっごく上手に歌えるんだよ!」

「だから喋るな。鼻歌だけでいい」

「んーっ! ふふふ〜ん、ふっふー、けろけろ〜♪」

再び、ガゼボの中に絶望的な音痴のメロディが響き渡る。

先ほどよりも堂々と、そして僅かに音量が増したその鼻歌を聞きながら、伊織は深く、深く溜息をついた。

(……どうして、こうなった)

頭を抱えたくなるような理不尽さ。

しかし、伊織の指先は、先ほどよりもずっと滑らかに洋書のページをめくっていた。

初夏の風。太陽と土の匂い。そして、呆れるほど外れた鼻歌。

それらが混ざり合ったこの空間が、伊織にとって、世界中のどんな静寂よりも「思索しさくに没頭できる聖域」になってしまったことに。

氷の王子は、まだ気づかぬふりをし続けていた。

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