貴方を愛した私? 貴方が殺したんでしょう?
私、クローイ・アクランドには愛する婚約者がいた。
オスニエル・ウォートン侯爵令息。
今となっては彼の何に惹かれていたのかもわからないが……強いて思い当たるものがあるとすれば、私が持ち合わせていない自信を彼が持っていた事だろうか。
とはいえ、殆どは恋に恋をしていた私の心の問題であっただろう。
オスニエルは傲慢で、女好きで、その反面勉学はあまりできない人間であった。
彼は幼い頃から私へ命令をよくしてきたが、それが決して伯爵令嬢がすべき事でなかったとしても、私は従順に応えて来た。
そうしなければ愛想を尽かされてしまうと恐れていたから。
……元々尽きるような愛などなかったというのに。
さて、成長して学園へ入学した私は一層勉学に励み、お陰で成績は常に上位を維持していた。
一方のオスニエルは女遊びが激しくなった。
彼は学園で女子生徒と二人きりになる事を望んだり、夜会で私ではない女性をエスコートするようになったし、彼の隣には常に別の女性がいた。
「やめて欲しい?」
ある日、一度だけ勇気を出した事がある。
オスニエルに他の女性と並ばないで欲しいと話した。
勿論私の愛を伝えるのではなく、オスニエルや彼の家の評判に悪いからという、表向きな理由を添えて。
だがそれはあまり意味を為さなかった。
彼は鼻で笑ってこう言った。
「お前が嫉妬しているだけだろ? 俺の事が好きだから」
「そ、それだけじゃ」
私は実に素直でわかりやすい女だった。
だから彼は私の恋心にも気付いていた。
彼は狼狽える私を見て笑みを深めると、床を指した。
「お前が素直に愛を示せば、気持ちが揺らぐかもしれないな」
「……っ! ど、どのようにすれば」
「床に両膝と額を付けろ。そのまま俺への想いを言葉にでもしてみるんだな」
彼は自尊心の塊のような男だったが、如何せんそれを満たせるだけのものを持ち合わせていなかった。剣術は中の下、勉学は更に下。
学園で称賛されるような事はなかった。
その点、彼に言い寄る相手や……私などはとても都合の良い道具だったと言える。
彼が持っていないもののことを、まるで存在しているかのように褒め称えてくれるのだから。
彼は自身で指示した奇妙な格好の事を、他国で用いられている最敬礼であると話した。
そのような格好をする事には抵抗があったのだが、私が躊躇っていれば彼が「やはり言葉だけか」と言い、諦めたような表情を見せた。
この時の愚かだった私はそれを見て、慌てて彼の言った通りにし、彼への愛情を語った。
その後の彼は気分が良さそうに笑みを浮かべていた為、私は彼が自分の言葉に応えてくれるものだとばかり思っていた。
だが結局、その後の彼の行いが変わる事はなく。
更に一ヶ月後、私は婚約破棄を突き付けられる事となった。
「お前との婚約を破棄する!」
学園の大広間でそのような言葉を突き付けられた私は酷く狼狽えた。
この日の彼の傍らに立っていたのは私の妹、デボラ。
二人は仲睦まじそうに腕を組み合い、私と対峙していた。
取り乱しながらも私が理由を問えば、心当たりのないことばかりが返される。
何でも、デボラはオスニエルへの嫉妬に狂った私から執拗ないじめを受けていたとの話だった。
勿論そんな事はしていない。
必死に弁明をしたが、聞く耳は持ってもらえず。何より彼らに結託した生徒によって目撃者まででっち上げられていたので、この弁論による勝ち目は私にはなかった。
私はこの現実を受け入れることが出来ず、ふらつきながら大広間を後にした。
その後、授業を初めて休んでしまい、裏庭で膝を抱えていた私だったが、何故かそこへデボラが訪れた。
彼女は私を案じて来たのだと話し、今回の件について誤解があるかもしれないからきちんと話し合いたいと述べた。
デボラに虚言癖があった事は知っていた。流石に彼女の言葉を信じる事はしなかったが、ここで断った事がオスニエルに知られれば更に大きな批判を受けることになるかもしれないと思い、私は渋々付き合うことにした。
連れられて辿り着いたのは旧校舎の物置だ。何故このような所に、という問いを投げようとすれば、それより先にデボラが扉を開け、その中へ私を突き飛ばした。
弾力がありつつも、節々に固さを感じる何かの上に私は転ぶ。
咄嗟についた手には何か液体が付着した。
視線を落とせば私の手は赤く染まり、鉄臭さが鼻をつく。
そして私の下には――息絶えた令嬢が倒れていた。
驚きの余り、私は悲鳴を上げる。
この時には既にデボラの姿はなく。
代わりにやって来たのは、悲鳴を聞いて駆けつけたオスニエルだった。
恐らくはデボラが呼び出していたのだと思う。
そもそもこの時間は授業中であったし、旧校舎近辺を歩き回る生徒が都合よくいるとも思えなかったから。
オスニエルは私の犯行を疑った。
初めは否定したが、彼の顔が見る見るうちに疑念と嫌悪で染まり始め、その顔はきっとこの先大勢の人から向けられる事になるのだろうと悟った私は怖くなってしまい、その場から逃げ出した。
何も知らない御者に馬車を走らせ、あてもない癖に街を出て。
馬車で震えながら長距離を移動した私はやがて、馬の体力などの都合からこれ以上は走れないという御者の話を聞いて馬車を降りた。
逃げ切れるとは思っていなかったので、この頃には命を絶ってしまった方が良いだろうと考えていた。
それから夜の、人気のない森を雨に打たれて歩いていた時。
***
「私に出会ったと」
コーヒーを啜りながら黒髪の青年が呟く。
私は彼と同じものを飲みながら頷いた。
広々とした部屋には大きな机が配置され、その上には所狭しと書類の山やパーツ、製造途中の機械などが転がっていた。
「よくもまぁ、一年も見つからなかったものだな」
「辺境にお住いのどこかの公爵様が匿ってくださっておりましたから」
私は一年前、殺人の罪を被せられそうになって逃げた所を目の前の青年――エミル・ノースモア公爵に保護された。
当時、何を言っても大勢から信じてもらえなかった経験のせいで私は彼に事情を話せなかった。
そんな怪しい私を彼が自分の家へ匿い続けてくれていたのは……何でも『助手が欲しかった』からだという。
彼は先祖から受け継いだ莫大な領地と財を手にしながら、魔導具の発明に一躍貢献を果たした天才学者でもあった。
この世界に存在する魔法という力を用いて便利な道具を作る――その発明を一人でこなしてきたという彼だが、ここ一年はインスピレーションばかりが湧き、作業が追い付かなくてやきもきしていたという。
そんな彼の研究部屋を訪れた際に落ちていた書類を拝見し、内容の僅かな誤りを指摘した事で彼のお眼鏡に適ったという。
私は彼の研究を手伝う代わりに、何も言わずここへ置いて欲しいと頼んだ。
本来ならばそんな要望は突っぱねられて当然なのだが、なんとこの変人……いや、天才は二つ返事を出した。
それ以降、私達の奇妙な契約関係は継続されて今に至った。
その間、私達の信頼関係も構築され、互いに軽口を言い合ったりコーヒー片手にこうして共に談笑に耽る程度には親しくなったこともあり、一年前から取り組んで来たとある魔導具が完成した今を機に、私は彼へ真実を打ち明けた。
「クローイにも、随分と初心な時期があったと」
「やめてください。今となっては黒歴史です」
箱入り娘のクローイの愚かな恋物語。
それはノースモア公爵邸を訪れ、頭を冷やす時間を得た事で完全なる終わりを迎えた。
「では、数ある私の引き出しの中から、真っ先に『嘘発見器』の発明を提案したのは」
「……ええ。そういう事です。私は貴方の技術を自分の復讐に利用しようとしました」
「それを今素直に打ち明けたのは……私がそれを聞いても大して気に留めない質である事を確信したからだな?」
「そうですね」
「強かな奴だ」
エミル様は社交界ではミステリアス等と囁かれているらしいが、実はとても分かりやすい。
というか、優先順位がはっきりしているのだ。
自分に利益があるものは優先して手中に入れるが、そうでないものは切り捨てる。
そのような合理主義の塊のような人なので、どのような形であれ彼の発明に貢献した私は利益ある存在として見てもらえるし、私の過去などはそもそも興味の対象でもないだろうと踏んでいた。
「だが君は一つ、真実を見落としているな」
「真実?」
「私を合理主義で感情がない冷酷な人間だと思っている」
「違うのですか?」
「おい」
「冗談ですよ。そこまでは思っていませんが……しかし、研究以外に熱が入らない性格である点は間違っていないでしょう」
「それだけではないのだがなぁ」
軽口を交わしながらも私の考えを伝えれば、エミル様は呆れた様に目を細め、私を見つめた。
だがそれ以上この件を詳細に語るつもりはないらしく、彼は肩を竦めるとコーヒーを飲み干した。
小さな音を立てて置かれるカップに視線を落としながら、私は彼へ問う。
「というか、そもそも。私の事について小耳に挟んだ事はあったでしょう」
ノースモア公爵邸が辺境にあるとはいえ、国土は同じ。
彼とて社交界のパーティーに出席する事はあったし、私は姓を明かしていなかったとはいえ偽名を使っていなかった。
であるならば、この一年の間で彼が私の正体に勘付いていた可能性は非常に高い。
だが私の問いに対する彼の答えは
「さあ、どうだろうな」
という、なんとも煮え切らないものであった。
***
『嘘発見器』の効果が保証され、エミル様が特許を得るまでに半年が経った。
ある日、私は久しぶりにドレスに袖を通していた。
「なかなか似合うものだな」
「エミル様はそのような世辞など知らないものだとばかり」
「あまり上位貴族を舐めるんじゃあない」
隣に立つのは同じく余所行きの服に身を包んだエミル様。
私達は腕を組み合い、首都で行われるパーティー会場を訪れた。
大きな扉の先へ足を踏み入れれば、豪奢なシャンデリアに見下ろされ、ワインを片手に談笑する大勢の貴族の中に紛れる事となる。
「どうだ。見つかりそうか」
「どうでしょう。どちらも素行がよろしくないので、マナー違反の一つでもしてくれればすぐに――」
エミル様の問いに答えようとしたのも束の間。
ガシャンとグラスが割れる音と共に、何者かの怒鳴り声が聞こえた。
使用人に対して、ぶつかってきたことへの怒りをぶつける彼の姿はあまりにも見覚えのあるものだった。
「おいおい、まさかあれだとは言わないよな」
「そんな目で見るのはやめてください」
オスニエルを遠目に見たエミル様は、正気を疑うような眼差しを私に向ける。
まさかあんなのが好きだったのかと問う瞳から逃れるように私は目を逸らした。
「君は流されやすい女なのか」
「否定はしません。少なくとも以前はそうだったでしょう」
「二度とあんな人間に引っ掛からないよう、見張ってやらないとな。……なんせ今日は」
エミル様は私の腕を引き、歩き出す。
珍しい赤の瞳が、無邪気に細められた。
「――クローイ・アクランド復活の日だからな」
「……大袈裟な」
笑みを返しながら、私も歩いて行く。
私達は苛立ちを募らせていたオスニエルと、彼の傍に立つデボラの前に躍り出た。
「失礼。一体何の騒ぎだ」
オスニエルとデボラはエミル様を見た瞬間顔を強張らせた。
そして慌てて頭を下げる。
「ご、ご機嫌よう! エミル・ノースモア公爵……っ」
「ああ。ええっと……すまないな、どこかでお会いした事はあっただろうか」
困り果てていた使用人へ、下がるように促しながらエミル様は顎を撫でて惚けてみせた。
人の悪い方だ。先程、わざわざオスニエルが彼で間違いないかと確認までしていたのに。
「お、オスニエル・ウォートンと申します!」
「デボラ・アクランドです。ご機嫌麗しゅう」
「ああ、なんだ。君達が。なら、彼女とも顔見知りという事だな」
手を打つ彼の仕草はあまりにわざとらしい。
エミル様は私を見やり、遅れて二人も私を見た。
そして顔を蒼白とさせる。
「ご機嫌よう。オスニエル様、デボラ」
私は深くお辞儀をする。
「お、おま……っ、クローイ……!?」
「な、なんでここに……!」
驚き、震える二人。
しかし其のまま呆けている訳にもいかない。
オスニエルはエミルへ必死に声を掛けた。
「公爵様、こいつは殺人犯です! 以前、社交界で話題になった、学園での殺人によって指名手配になった女で――」
「そうなのか?」
「さあ。私はあの日から社会の情報には疎くなりましたから。ただ、殺人などという不名誉な罪は犯しておりませんわ」
「う、嘘よ!」
これまた白々しく恍けてみせるエミル様。
その問いに私が淡々と事実を述べれば――今度はデボラが口を挟んだ。
「私、見たもの! 血に塗れたお姉様と、その傍に倒れていたご令嬢を!」
「それは貴女が突き飛ばしたせいね。寧ろあそこに死体があった事を知っていたのは貴女の方だと思うのだけれど」
「な……っ、実の妹に罪を着せようというのか! クローイ! ……公爵様、こいつはこういう奴なんです! 今すぐ離れて――」
「なるほど、面白い」
激昂したオスニエルの言葉をエミル様が遮る。
彼はくつくつと喉の奥で笑った。
「クローイ嬢とデボラ嬢。二人のうちどちらかが必ず嘘を吐いており――しかも殺人犯である可能性があると」
「いや、ですから公爵様――」
「であるならば、折角だ。こちらを使って真実を確かめようではないか」
そう言いながらエミル様が取り出したのは件の『嘘発見器』。
魔力を溜め込んだ球体と、細い鎖で繋がれたブレスレット。
ブレスレットを付けた者が嘘を吐けば電流が流れるという仕組みだ。
エミル様が発明したこの道具の話は既に世間に広まっている。
二人もこれが何であるか、一瞬で悟ったのだろう。
「私は別に構いませんわ。嘘など吐いてはおりませんから」
「え、エミル様! そのようなものを用いずとも、姉が罪を犯したことは明白です! 既に国が動いていて――」
「ならば余計に、貴女が狼狽える事は何もないだろう? デボラ嬢。何故クローイ嬢の方が落ち着き払っているのか、私には少々疑問に思えるのだが」
「……っ!」
「い、いいだろう、デボラ! 何も減るものじゃない!」
オスニエルはデボラを信じ切っているのだろう。
彼は彼女の罪を本当に知らないようであった。
デボラだけが、顔を青くさせ、肩を震わせて怯えていた。
さて。この頃にはもう、この会場にいる全ての人間の視線が私達へ集まっていた。
私はエミル様に促され、嘘発見器を身に付ける。
「さて、これで君は嘘を吐くことが出来なくなったが。早速聞かせてもらおうか。――君は殺人を犯した事があるかい?」
「いいえ」
シン、と辺りは静まり返る。
電流は流れない。当然だ。
エミルは顎を撫でて苦笑した。
「これ以上聞く事がなくなってしまったな」
辺りにどよめきが走る。
たった一言で、私の無罪は証明されてしまったのだから。
「さて、では次はデボラ嬢?」
「ひ……っ」
「どうした? やはりやめたいなどと言えば――皆がどう思うかは、わかるだろう?」
私から嘘発見器を外したエミル様が今度はデボラを見る。
彼女は引き攣った悲鳴を漏らして一歩後退ったが、エミル様の言葉を受ければ、嘘発見器をつけるしかない。
デボラの腕に嘘発見器が取り付けられたのを確認してから、エミルが口を開いた。
「貴女は、件の殺人の犯人か?」
「ち、ちが――アガッ!」
デボラが否定した次の瞬間、彼女に電流が走る。
周囲はざわつき、オスニエルの顔は驚愕の色に染まる。
「姉のクローイ嬢に罪を被せたか?」
「ヒッ、ちが、ちが――ガァァアッ」
「殺人は故意か?」
「ち、ちがいますぅ!」
「本当に違うようだ。ならば喧嘩の延長か?」
「ち――ヒュイッ」
「意図せず殺してしまった事に焦った時に姉に擦り付ける事を思い至ったと」
「き、きいてくだ――ッヒギィイ」
「喧嘩の原因は嫉妬か?」
「あ、あの、ほんとに――アガァアアッ」
「当てずっぽうでも当たるものだな」
口を開く度にぶつけられる電流に怯え、泣きじゃくるデボラをよそに、エミル様は容赦なく問いを投げ掛ける。
やがてデボラが泣く事しかできなり、エミル様が嘘発見器を回収した頃――その場で彼女の罪を、そして私の無罪を疑う者はいなくなっていた。
「恐ろしい女がいたものだな」
エミル様は小さく息を吐くと、私を見た。
「これで充分か?」
「充分過ぎます」
「それは悪かった。加減が分からなくてな」
彼は、私の無念を晴らす為にわざとデボラを質問攻めにしたのだ。
それに気付きながら、敢えて軽口を返すとエミル様がくつくつと笑う。
「さて、興が冷めてしまったな。申し訳ない。私達はこの辺りでお暇させていただこう。――ああ、アクランド伯爵夫妻」
エミル様は辺りを見回してから、ある男女――私の両親を見つけると外面用の笑みを貼り付けた。
「後日、正式に彼女との婚約を申し出に行くので、よろしく頼むよ」
「んな……っ」
「彼女はこの魔導具の発明に大きく貢献した天才だ。こんな人材を逃す事など出来やしないからね」
そんな話は聞いていませんが、とエミル様を見つめれば、彼は両親に向ける時とは違う、意地の悪い笑みを私に向けた。
どうやら撤回のつもりはないらしい。
伯爵令嬢としての地位を取り戻すと同時に、公爵の婚約者というとてつもないおまけまでついて来てしまった私は内心で頭を抱えた。
エミル様に促され、私はその場を後にする。
その時だ。
「っ、クローイ!」
オスニエルが私を呼び止めた。
彼は歪んだ笑みをぶら下げていた。
彼の心中はわかっている。
自分は新たに手に入れた婚約者を失いそうな上、デボラの悪評に巻き込まれそうな状況。
一方で見下し続けてきた私は公爵様に認められる程の価値ある人材(エミル様が大袈裟に言っているだけではあるが)。
そして私は――彼の事を愛していた。
「も、戻ってきてくれないか? 俺が悪かった。だからもう一度俺達、やり直して――」
「オスニエル様?」
私は思わず、鼻で笑ってしまう。
そうしてから彼を見据えて――
「貴方が殺したんでしょう? 貴方を愛した私を」
エミル様は今日がクローイ・アクランドの復活の日だと言った。
言い得て妙であると思う。
婚約破棄され、濡れ衣を着せられたあの日。
弱く愚かで――オスニエルを愛していたクローイ・アクランドは確かに死んだのだ。
そして、今ここにいるのは、新しく生まれ変わったクローイ・アクランド。
これからは彼に振り回される事の無い人生を自分の足で歩いて行くのだ。
周囲から軽蔑の眼差しを注がれたまま立ち尽くすオスニエルを置いて、私とエミル様は馬車へと乗り込んだ。
「ありがとうございました」
「気にする事はない。お陰でいいプロモーションになった」
「人を断罪しながら、それをプロモーションだなどと言うのもエミル様くらいでしょうね」
互いに笑い合い、それから暫し沈黙が訪れる。
私はおずおずと口を開いた。
「あの……先程の両親にした話」
「ああ、婚約の件か」
私が頷けば、エミル様は悪戯っぽく笑みを深める。
「いつだったか、言っただろう。『君は一つ、真実を見落としている』と」
「はい」
そんな事もあったなと、記憶を遡らせた私は頷く。
しかし突然何の話かという疑問が同時に浮かんだ。
エミル様はそんな私を見てやれやれと苦笑した。
「あの発言は何も、君の復讐の手伝いや、研究の効率化の為だけに言ったものではない」
そう言いながら彼は立ち上がり――私の頬に唇を押し当てた。
何が起きたのかわからず硬直する私。
その耳元で、低く心地良さを感じる声がした。
「今一度、私の事を分析し直してみるんだな」
***
その後、デボラは捕らえられ、処刑が決まったらしい。
オスニエルの周りに集まる異性も姿を消し、彼は婚約相手が見つけられないまま、悪評を抱えて途方に暮れているとか。
一方の私はエミル様の強い進言によって、家へ戻る事はせず婚約者でありながらも彼の家に住まわせてもらっている。
「クローイ」
夜鍋して研究に明け暮れている彼の元へ軽食を届けに行けば、彼は軽食ではなく私に手を伸ばした。
そして腕の中に私を閉じ込めて、顔色を窺って来る。
私の顔が赤く染まっている事を確認すると、満足そうに笑みを深め、目を閉じた。
……何を求めているのかはわかっている。
私は落ち着かない気持ちを抱えながら、彼の唇に自分の口を重ねた。
私はこの関係を存外、気に入ってしまっている。
つまりは、この婚約が終わる日も近いという事だろう。
今度は――婚約破棄ではなく、婚姻という形で。




