本番直前とオレ
月が出てても空は黒い。
その空をえぐり取るような塔は、もっと黒かった。
真っ直ぐに続くぶっとい道路の正面にそびえたつそれの前には高い塀。
それから巨大な門。
朝はデュランと一緒に通って、他にも観光客が前で記念撮影していたけれど今は誰も居ない。
がらんとした正門まで走って一分くらいの距離を置いてアドルフがバイクを止めた。
それにオレは、つる剥けになった電池をいじくってた手を止めて顔を上げる。
「着いた?」
「着いたぞ」
「……何でここで止まるの?」
「結界があるからな。これ以上は近寄れない……で、ここからお前はどうするんだ? マサキ」
「行くよ」
オレはアドルフの足の間から「よっこいせ」と抜け出して地面に降りて、解けかかってたマフラーを巻き直す。
若干足元がふらついてるのを、頬をぺちぺちして気合いを入れ直す。
「行くよ、っておい……危ないぞ。お前には見えて無いかもしれないがすぐそこに結界がある」
アドルフがオレの前方を指さす。
……何も無いよ?
「見えて無いのか」
「さっぱり。でも人が居ない理由は分かった」
単純に近寄れないのか。成程。じゃあ行こう。
「待てって。話聞いてたか? あそこは」
「平気。オレ結界とかスルーだから」
「は?」
「マナレスってそうらしいよ」
言いながらオレは前に抱えてたリュックを背負いなおして、それから真っ直ぐ門に向って歩く。
歩く片手で携帯を操作して、ロアとの通信を開く。
「ロア、聞こえる? 来たよ」
『音声を認証しました。ようこそ』
「待てって、そいつは触れると本気でヤバイんだよ。おい」
後ろでアドルフの何か焦るような声がするけれど、オレは構わず前へ進む。
とぷん、と水の膜をとおりぬけるような感触がして、けれどそれ以外は何事も無くオレの体はそのまま前へと通り抜けた。
「……おいおい、マジかよ」
「今、中に入ったから案内よろしく」
『了解しました。データリンク。客の登録を完了しました。座標を確認します。完了。経路を最適化します……完了。ただ今より【レギオン】3名からの代行権限を発動し、『エントランス』までのゲートを限定解除します。どうぞお通り下さい』
携帯の画面に黒バックに緑の線で内苑から天壇の見取り図が浮かんで、同時に目の前でゆっくりと内苑に続く扉が開き始める。
じゃ……あ、忘れてた。
「あのさ!」
オレは振り返って、何やらボケッとしているアドルフに声をかける。
って、いやそんな慌ててこっち来なくても。
アドルフは一定距離までやってきて、何か苦い顔をして途中で立ち止まった。あ、そこが境目なのか。
「大丈夫か」
「大丈夫じゃない。でもやる」
「……気持ちは変わらないんだな」
答える代りに頷いたオレに、アドルフは何か言いかけて、途中でやめたっぽかった。
何だよ。
「しっかり帰ってこいよ」
ああ、料金の話ですね。忘れてませんよ。
「ん。あとさ、ゴメン」
「あ?」
「お前ってやっぱプロだったんだな。すっごく、かっこよかった」
「……へ?」
「ありがとな。じゃっ!」
またな、と手を振ってオレは表情を切り替える。
和やかにできるのはここまでだ。
チカチカと携帯の画面が光って、ロアからのメッセージが表示される。
『行き先を設定して下さい』
表示されたそれに、オレは歩きながら文字を打ち込む。
さっきまでみたいに声に出してもロアには通じるんだけど、ここから先は他人には聞かれたくない。
特にアドルフには聞かせたくない。
ここまで無理言って(勿論仕事ではあるんだけど)運んできたアイツをこれ以上困らせるのはちょっと、ね。DDDが聞いてしまったら非常に微妙な立場になるだろうし。
オレは黙ってある人の所在を確認して欲しいとメッセージを送る。
少し考えて、他の人の配置も教えて貰った。
何でこんな事をしているかと言うと、ロアではデュランの居場所が分からないんだそうな。オレと同じで検索に引っかからないらしい。そう言えば確かに「今はお前と大して変わらない」とか何とか言ってたもんな。
なのに、なんでオレが捕まったかと言うと、うん、まぁ、あの時に携帯落してたらしいんだよね。で、ロアがその時についでにつないじゃった、と。まぁ今はそれはどうでも良い話だ。
暫くしてロアから連絡が来る。
ふむ……今日会った十騎士の人達とクロ様以外は居ないっぽいな。
クロ様は例によってあの部屋で寝込んでるらしい。
お付のアールアーレフさんは「音響室」か。
ファリドのじいちゃんは「整備室」と銘打たれた部屋にいるらしい。
悩める青少年のナーさんは内苑に出ている。
そのうちの一人の所在地を指して、オレはそこまでのナビをロアに頼む。
……正直、外れてて欲しいけど。
それに。
それに、オレは。
ちょっと足止めになれば良いぐらいのつもりでオレを消そうとした相手を前にどんな顔をすれば良いんだろう。
「後でいっか」
優先順位は間違えない。まずは、デュランだ。
デュランを捕まえれば、他のことはそれから考えれば良い。目的を忘れちゃなんない。
後悔って言葉がある。
後ででするから後悔。
後で思い出せば、この時のオレなんて覚悟を決めてるようでなんにも分かってなかったってことだ。
それでもオレは自分ではご立派に決断して、実行できるつもりでいたんだ。
最悪を見とおして、行動できてるつもりだった。
でもそんな予測すらまだ生温かったことを、オレはすぐに理解した。
ナビゲーションに従って上がった階段の先の部屋。
デュランが真っ赤な血に濡れて、そこに居た。