距離感覚とオレ
大丈夫、ほら、怖くない(by○ウシカ)
とりあえず飯食いに行こうぜ、飯ーとか思ってデュランの腕の中から立ち上がろうとして、
「……ん?」
ぷしゅーと空気の抜けた浮き輪みたいに動けません。
んー?
首を捻ってるとまだちょっとお疲れモードのデュランが、問答無用でオレを持ったまま立ち上がった。
おお! 視点たけー! ……って喜んでる場合じゃなくて。
「さてと」
「をい。何当たり前みたいに持ち運びしようとしてやがるんですか」
「動けるのか?」
口は回ってますけどね。
「手足はまだ上手く動かないはずだ。魂と器が長く離れ過ぎた上に、魔力が足りないからな」
「……治る?」
「もう少ししたら落ちつくだろう……それまでは暫くは俺にこうして触れていろ」
「危ないんじゃないの?」
「そこまで魔力が減ってしまっているほうが問題だ……まぁ、充電と思っておけ」
「ほむー」
ま、危ないレベルになったらデュランが離してくれるだろうし。
オレはさっきのせいでびしょびしょのしわしわになってるデュランの襟を弄りながら思う。デイジーさんにオレがやったとバレたら殺されそうだな……デュランが。
とか考えてたら、また胸にぐっと頭を抱き込まれた。
近い近い。
「ナカバ」
「へい」
いや、一応「はい」とか「うぃ」とか言うつもりだったんですよ。口が回らんかっただけで。
「何か、見たか?」
「へ?」
いや、色々見えてますよ。
あ、そうか。どうやらオレの体はさっきまでパーンになってたらしいから、視力が戻ってるかどうかの確認ですか?
大丈夫、ばっちりお前のシャツにオレの涙のシミがびっちりついてるのが見えてます。問題ありません。
……ある意味問題大アリの光景ですが。
「そうではない」
じゃあなんですか。逆切れ気味に聞いてみたらデュランが苦笑した。
あ、心臓の音までするよこの体。人形の分際に芸が細かいなぁ。
「お前の器を再構成し、魂を回収する為に俺自身を媒介として利用している」
「意味分かりません」
「俺の存在と一部交わらざるを得なかったからな……何か、見ないで済んだか?」
俺の記憶を。
言われて、オレはようやくデュランの言葉の意味に追いついて、首を捻る。
正直記憶は曖昧なんですけどね……貝殻の中昇って、何か部屋に入ったあたりから良く覚えてないというか。
正直にそう申告すると、デュランは「そうか」と呟いた。
「ならば良い」
「ははーん、なんか見られたら恥ずかしい思い出とかあるんだろ。残念」
「まぁ、無くは無いが……それより」
「それより?」
「お前に怖い思いをさせたのではないかと懸念していたのだが……見て居ないのならば良い」
……はい? 怖いって、お前過去になにやってんの?
首を傾げて、ついでにうっかり目測を間違えて胸に頭突きしてしまったオレの頭をさらに引き寄せた。
え? 頭突き防止策ですか?
成程、密着してれば出来ませんね。
デュランは小さく溜息を吐く。
「まぁ、これでも魔王だからな」
「……おお、そう言えば」
「何だ、忘れていたのか?」
「いや、つーかなんか他のことでいっぱいいっぱいで」
「……まぁ、それもそうだな」
ぽむぽむ、と引き寄せられた頭を軽く撫でられました。
何故か縮まないような気がしたので放置しておくことにする。いや、うん、ほら後頭部だから平気だと思うんだ。
「ナカバ」
デュランの声が上の方からする。
身長差が原因ですが何か?
「もう、帰るか」
……さっきも同じこと聞いてた気がする。
あの時は「観光切り上げて宿に帰るべー」てな意味だと思ってたけど、
「帰りたくなったのではないか、人間の側の世界に。魔王の側の世界から」
「……」
「もう、帰るか」
普段通りの日常に戻らないか。
デュランの言ってるのはつまり、そう言うことだった。
「でも」
「ナカバ」
「でもさ」
「お前は二度も消されかけた」
デュランの言葉にオレは何も言えなくなる。
どっちも自覚は無い。
でも、まるで空き缶をぺいっとゴミ箱めがけて放り込むくらいのお手軽さでオレは「消されかけた」らしい。
「二日だ」
オレを持ったまんま階段を降りながらデュランが言う。
揺れないように気遣ってくれてるのか、随分ゆっくりな移動だ。
「これだけの短期間に、二度、お前の存在は消滅の危機に立たされた……本来、あるはずがないことだ」
「いや、でも、ほら。なんか運が悪いとかで死にかけたりすることもあり得無くないと思うよ? マナレスだし」
「死にかける、或いは死ぬことはあっても消えることは本来お前達には無い」
それは私達の領域の話だ。
デュランが柔らかいアルトの声で言う。
死ぬ、と、消える、の差。
オレには良く分からないそれが、デュランにとっては何か意味をもつものらしい。
「それぞれの存在には立ち位置がある。大抵の存在はその正しい立ち位置に在るが、偶に本来与えられるべき場が与えられなかった者も居てな。その場合は大抵歪みが生じ、当人にも自覚は無くともストレスが溜まる」
「んー?」
「大学生が幼稚園に紛れ込んでいるようなものだ。周囲の園児や保育士にも歪みが生じるし、当人にとってもストレスを感じる環境になる」
「おお!」
凄い分かり易かった! てか大学生不憫だな!
「まぁ、今回の俺の仕事の一つがそういったずれた存在の修正でもあるのだが……お前の場合は俺に関わったことで、逆に本来正しい位置に居たのが俺によってずらされた。その結果が……」
言葉を切ったデュランにオレは何て言って良いか分からないので一緒に黙る。
「ナカバ」
元の部屋があった階に降りたって、デュランがオレの頭を引き寄せてた手を緩める。
ぷはーっ。
いや、別に息苦しくないし、デュランはオートでフローラルな香り(ちっ、美形め)なんで匂いも平気だったんだけど、何せ近すぎて圧迫感半端なかったから離して貰えてホッとしたですよ。
ついでに上からじーっという視線を感じたので顔を上げてみる。
ブドウよりも濃い紫の目がオレを見てた。
「恐ろしくなったのではないか?」
「はい?」
「俺が、恐ろしくは無いのか」
いや、唐突過ぎて何が何やら。首を捻った俺にデュランはちょっと悲しそうに笑った。
「俺のせいで消えかけたのだぞ、二度も、この短期間に」
「え? あ、うん、そうだね」
「……それだけか?」
少し眉を寄せたデュランをオレはきょとんと見上げる。
それだけって……いや、事実は事実だから肯定したんだけど。何? もうちょっと捻りとか笑いのセンスのある回答をよこせって?
「恐ろしく思わないのか、それとも……あえて目を向けて居ないのか」
「いや、ちょっと」
「私が誰か、お前は知っているだろう?」
オレを見下ろす純粋紫の目がゆっくりと、三日月形になる。
「魔王……」
「人の皮をかぶったバケモノだ」
お前など一秒足らずで壊せる。
微笑んでそんなことを言うデュランが、魔王が、オレの首筋に指先で触れる。
「少し力を緩めるだけで」
「……」
「お前も、お前の友人達も……そうだな、この中央の人間ぐらいならば私が顕現するだけでこの世界から消し飛ぶだろう」
跡形も無く、何も初めから無かったかのように。
そう言うデュランの目はまるで揺らぐ様子が無くて、だから、冗談じゃないというのは嫌と言うほど良く分かって。
「ナカバ」
逃げないのか、と耳元でささやかれてオレは、
「……あーのさー、デュラン」
魔王なんて意地でも呼ばねぇと思いつつ、オレは「一人で盛り上がってんじゃねぇよ」と溜息を吐く。
「あのさぁ、毎度毎度、他の奴にも思うんだけどオレを脅すならもうちょっと上手くやれっつーの」
「あ、いや……」
「大体怖いって何さ。何でオレがお前を怖がらなきゃあならんのですか」
「……しかし、俺は危険だぞ」
「はいはい、そうですね。で?」
「?」
「で? だから? ほら、続き言えよ。はい、五、四、三」
「待てナカバ。何をそんなに怒っている」
「本気で分からないんですか? ねぇ? 分からないんですか?」
オレが睨み上げながら(この体勢じゃあ威力が八割カットですけど)訊くと、デュランは暫くパチパチと瞬いて、それからコテンと首を小さく傾げた。ヲィ。
はー……。
いや、分かってる。こいつ、顔はこれだけど中身はボケ交じりの五歳児なんだ。しょうがない。
「つまり、お前はオレにとってお前が危険だから怖いと思うって考えてるんだよな」
「あぁ」
「で、出来れば自主意志で離れて欲しいけど、離れない離れるの判断はオレに任せたい、と」
溜息交じりに確認した俺に、デュランはこっくりとうなずいた。
結局この茶番の正体はそういう話だった。
分かり易過ぎる。
「そもそも、お前がこんなこと言っても説得力ゼロだっつーの」
「何故?」
「何故? って……あのですね、二回消えかけたらしいオレを復元したらしいのはどこの誰ですか」
お前じゃん。
「オレがヘソ曲げて迷子になった時も何のかんので探して迎えに来てたし」
「あぁ、あれはやはり拗ねていたのか」
「そこっ突っ込む場所じゃねぇ! いや、まぁ……すみませんでした」
「構わない……俺もお前をここに連れて来たというのに配慮が足りなかった。説明無く一人にして悪かった」
「ほら!」
「……ほら?」
「お前ってさ、そうやってオレにもちゃんと謝るじゃん」
普段オレの近所に住んでいる人達でもしないことを、デュランはちゃんとオレに向けてやってくれた。
オレのやりたいことを聞いてくれた。
興味がありそうなものを調べて、用意してくれた。
いつだって、ちゃめっけでわざと歩幅で引き離しやがったこともあったけど、基本的にはオレのペースに合わせてくれたし、コースだってオレが歩きやすい所を選んでたことぐらい気付いてる。
脅し文句だって、そうだ。
デュランの性格からして、オレの身が危険で守りきれないと思ったら、黙ってオレを置き去りにするだろう。
残念ながらそういう発想は良く分かる。オレも同じだから。
『オレさえいなければ良かったのに。だから、関わりなんか断ち切っちゃった方が良いんだ』って。
オレの意志は無視してでも、オレの安全が確保できればそれで良い。目標を達成する為ならどう思われても良い。そんな優しくて、一方的な、傲慢な決意がデュランの中にはある。
それでも、確認の形を取ってオレに決定権を委ねててくれた。
これはもう優しいとかじゃない。
ただ、甘いだけだ。
「そういうお前を怖いなんて、思う理由なんか無いじゃん」
「だが……」
「大体さー、何? 危険だから傍に居ない方が良いって言ってるってことは、つまり、お前はオレとかが危険なのが嫌なんだろ?」
「……」
「中央の人皆殺し可能です。そうですか、可能ですか。でもやって無いじゃん」
不便な思いして。面倒な手続きとって。
人間を殺さないように気遣う魔王なんて滑稽だけど。
「オレ、全然怖くないよ、お前のこと」
「……俺の存在のせいでお前が不幸になるとしてもか」
「あ、その辺はお前のこと蹴りとばして憂さ晴らしさせていただきますので無問題」
「……分かった、大人しく蹴られよう」
良い覚悟です。
「だが」
「あーもー、さっきから「だが」とか「しかし」とか多すぎ。これでラストね。はい、何?」
「ラストなのか……お前は俺がお前達を傷つけないよう意識しているから恐ろしくないと言ったな」
「うん」
「だが、俺とて力の加減を誤ることもある。制御に失敗することもある。それに……」
「それに?」
「場合によってはお前達よりも、為すべきことを優先するだろう」
うん、お前はそう言う奴だよな。
「それでも、か」
「しょうがないんじゃね?」
「……軽いな」
「だってさー、誰だってうっかりミスはあるし。うぉっとぉ! 手が滑ったー! わーい、オレ死んだー! ってことでしょ?」
「わーい、とは言わない気がするが」
「じゃあ、人生オワタ!」
両手バンザイしたら抱え直されました。
「落ちるぞ」
「すみませんでした」
冷静に諭されると結構堪えます。
「ま、失敗は誰にでもありますよ、ってことですよ」
「失敗で済むレベルでは……」
「それはしょうがないじゃん。お前は気をつけてた、でもダメだった、そんならしょうがないってだけじゃん。それでお前を恨むだとか、憎むだとか、怖がるだとか、何処のアホウですか」
「……」
「……それとも何ですか? キサマはオレがそういう懐のせまーい、アホだと言いたいと」
「分かった。疑って悪かった」
じろっと睨んだオレにデュランが苦笑して、オレを持ちあげたまま器用に肩を竦める。
うむ、分かればよろしい。許してしんぜよー。
「で、お前の答えを聞こうか。戻るか、行くか」
まだ性懲りもなく確認して来るデュランを見上げ、オレは迷わず答える。
「旨いもん食えるところに行く」
「了解」
ごっはんー!