第二話
それから1ヶ月ちょうどが経った。
私は王城の外れにある離宮の一室でベッドに寝転がり、憮然として天井を見上げていた。窓の外に見える美しい青空も、今の気持ちでは色褪せて見える。
「どうしてこんなことに……」
何度も呟いた言葉が口をつく。
お父様からエドワード殿下への嫁入りを告げられたてから数日後、私は王城に出発した。あまりにも急すぎる気もしたが、別にそれは構わなかった。
王城に着き、国王陛下や王妃陛下に挨拶した後、私はエドワード殿下が住んでいるという離宮に案内された。さすがに王子様が住むところだけあって、この部屋も含めて離宮は立派な造りだ。内装や家具もよく整えられている。
使用人たちは私の立場を理解して隅々まで気を配ってくれていて、何も不自由することのない生活を送っている。
良く整えられた綺麗な庭を散策して花を眺めたり、本を読んだり。料理の出来も素晴らしく、とてもおいしい。
だから何も不満はない……はずはなかった。私が思い描いていた理想の生活はこんなものじゃない! こういう穏やかな、凪のような生活もまあ悪くはないけれども、それ以上のものを求めて私はここにやってきた。
そのためにはやはりエドワード殿下に会わなくてはいけないのだ。しかし会ってもらえなかった。
離宮に着いた日に、エドワード殿下にお会いしようと思い、メイドに取り次ぎを頼んだところ、断られてしまったのだ。
なんでも、エドワード殿下は誰かに会うことで苦しみを振りまくことを恐れ、人に会わないようにしているらしい。使用人に対しても苦しめることがないよう、直接に顔を合わせないようにしているのだとか。
その気遣いはありがたいことではあるが、だからといってはいわかりましたと言って納得する私ではない。結婚のご挨拶も兼ねて、お会いできないかどうか、着いたその日のうちにお手紙を書いた。そうすると、すぐに返事が帰ってきた。
私はベッドの脇の台においてある紙を手に取った。その手紙には、とても美しい字で、エドワード殿下から私への返事が記されていた。
『マーガレット殿へ
手紙を読ませていただいた。丁寧な挨拶をありがとう。あなたのような人が私の妻になってくれることを嬉しく思う。
あなたとの面会の件だが、その希望に応えることはできない。あなたも聞き及んでいることと思うが、私は周囲の者に苦痛を与えてしまう体質を持っている。
王宮の屈強の騎士たちでさえも耐えられないような苦しみを、貴族のご令嬢に味合わせるわけにはいかない。
それでもあなたが私に会おうとしてくれる気持ちはとても嬉しい。有り難く受け取らせていただく。
先ほど、あなたが私の妻になってくれることを嬉しく思うと書いたけれども、実のところ、あなたにとっては喜ばしいことではないだろう。世間の女性が期待するような結婚生活を送ることは難しいと思う。
周囲から好奇の目で見られることもあるかもしれない。私と王家の都合であなたをこのような苦境に合わせることは本当に申し訳ないと思っている。
それでも可能な限りあなたが快適な生活を送れるように、私の両親と使用人たちには頼んである。何か要望があれば周りの者に伝えて欲しい。できる限りのことをしてくれるだろうと思う。
ここまでの旅で疲れもあるだろうから、今日はゆっくり休んでほしい。ここでの生活が少しでもあなたにとって良いと感じられるものであることを願う。
エドワードより』
真面目!!!!!!
読むたびに、あまりにも真面目で誠実な文面に私は申し訳なくなってきてしまう。いや私、そんな立派な人間ではございません……。
ここまで丁寧にキッパリと断られてしまってはもう一度面会を願おうという気はなかなか起きない。
だからと言って、せっかくエドワード殿下に嫁ぐ機会に恵まれながら、一回も殿下に苦しめられることなく人生を終えるなんて、そんなひどい話ありますか?
だが、だからといって、このまま無為に時間が過ぎ去っていくのも耐え難い。1ヶ月の間、何不自由ない生活を送らせてもらってはいるが、それで心が満たされることはなかった。
食事に激辛スパイスをドバドバ振りかけて食べることだけが私の楽しみになりつつある。そんな人生をこれからもずっと続けるのかと思うと憂鬱で仕方がない。
そんなことをぐるぐると考えているうちに、とうとう心が危険な方向に向いてきた。
――やってしまうか。
この1ヶ月、何度か検討はしたが、踏ん切りがつかずに見送ってきた。でも、もう1ヶ月も経ったのだ。このままこの生活を続ける気がないのなら、やるしかないのでは?
実家を離れ王都に向かう時、両親は見送りに来ない中、メアリがやってきて言ったことを思い出す。メアリは私を幽霊に化けて脅かした時みたいに、また「せいぜいお幸せに」なんて言ったのだった。
そう、私は幸せになるんだ。そのためにはやっぱりやるしかないんじゃない?
いやでもそれは流石にどうか、いやでもやっぱりやるしかないのでは、と考えるうちに、少しずつ心は固まってきた。
やるしかない。
私は立ち上がった。部屋にある大きな姿見の前に行き、身だしなみを確認する。軽く服と髪を自分で整えると、部屋の外に出た。
人気のない廊下を歩く。世話されるべき人が殿下と私しかいない離宮は使用人もあまりおらず、静かだ。
どうやったら目的地に着くかはもう以前に下見をしていたので迷うこともない。誰とも会わないまま、私はその目的地――エドワード殿下の部屋の前にたどり着いてしまった。
「……どうしたんだい!? この部屋に――」
中から慌てた声が聞こえる。足音で誰かが部屋の前に来たことに気づいたのだろう。慌てている中でも何か気品を感じる声だった。私は部屋のドアをノックする。
「突然の訪問で申し訳ありません、王子殿下。あなたさまの妻、マーガレットです。恐れながら、殿下に見ていただきたいものがあり、参上いたしました」
「えっ? それはどういう……」
中から慌てたような声が聞こえる。その慌てている中でも気品を感じさせる声だった。
その先を聞くことなく、私は勝手にドアを開ける。
「失礼いたしますね!」
エドワード王子殿下の部屋の中は思いのほか、質素な様子だった。内装や家具は私の部屋よりもむしろおとなしいくらいだった。目を引くのは大きい本棚で、たくさんの難しそうな本などが所狭しと並んでいた。
殿下はその本棚の脇にある椅子に座り、テーブルの上の読書台に分厚い本を置いて読んでいたようだった。
私が王都に着いてから一か月。殿下とは初めての対面ということになる。
見た瞬間に、すごくきれいな人だな、と思った。銀色の髪に中性的な顔立ち。美しい紫色の目が私を困惑したさま子で見つめている。殿下の『事情』のせいでずっと部屋にこもっているからなのか、肌の色は真っ白だった。
「お目にかかるのは初めてですね。マーガレット・ムーンヒルと申します。これからも末長くよろしくお願いいたします」
私はできるだけ丁重に、服の裾をつまんで頭を下げた。
「ああ、よろしく……いやそうじゃなくて! 君、今すぐこの部屋から出て行くんだ。そうでないと――」
エドワード殿下が言い終わる前に、「突然の訪問で申し訳ありません、王子殿下。あなたさまの妻、マーガレットです」
ドアをノックしてから、私はそう言った。
「恐れながら、殿下に見ていただきたいものがあり、参上いたしました」
「えっ? それはどういう……」
中から慌てたような声が聞こえる。その慌てている中でも気品を感じさせる声だった。
その先を聞くことなく、私は勝手にドアを開ける。
「失礼いたしますね!」
エドワード王子殿下の部屋の中は思いのほか、質素な様子だった。内装や家具は私の部屋よりもむしろおとなしいくらいだった。目を引くのは大きい本棚で、たくさんの難しそうな本などが所狭しと並んでいた。
殿下はその本棚の脇にある椅子に座り、テーブルの上の読書台に分厚い本を置いて読んでいたようだった。
私が王都に着いてから一か月。殿下とは初めての対面ということになる。
見た瞬間に、すごくきれいな人だな、と思った。銀色の髪に中性的な顔立ち。美しい紫色の目が私を困惑したさま子で見つめている。殿下の『事情』のせいでずっと部屋にこもっているからなのか、肌の色は真っ白だった。
「お目にかかるのは初めてですね。マーガレット・ムーンヒルと申します。これからも末長くよろしくお願いいたします」
私はできるだけ丁重に、服の裾をつまんで頭を下げた。
「ああ、よろしく……いやそうじゃなくて! 君、今すぐこの部屋から出て行くんだ。そうでないと――」
エドワード殿下が言い終わる前に、“それ”は唐突に始まって、そして――。