第八話『エレナという少女』
「交換用のシーツやタオルは、ここに全て入っていますので! あと、食料庫なんですが……」
エレナさんの部屋に引っ張り込まれた私は、彼女からこの家のことを色々と教わる。
中にはウィルさんから聞いていない情報もあったので、すごく助かった。
「それと、わたしの部屋はこのまま、アリシアさんの部屋にしちゃっていいですから!」
「え、いいんですか?」
「もちろんです! わたし、月に一回くらいしか家に帰りませんし。使ってくれたほうが部屋も喜びます!」
テキパキと部屋を掃除しながら、エレナさんは言う。まだ十六歳だというのに、素晴らしい手際だった。
「何から何まで、ありがとうございます。エレナさん」
「そんな、アリシアさんのほうが歳上なんですから、呼び捨てで構わないですよー」
エレナさんは苦笑いを浮かべるも、さすがにそれははばかられる。
しばらく、『エレナさん』で通すことにしよう。
「それに、元貴族様なんですよね。なんというか、気品があります」
「そ、そんなものは微塵もないと思いますが……」
ニコニコ顔で言われ、思わず否定してしまう。ウィルさん、どこまで話したんだろう。
「心配しなくても、街の皆には秘密にしておきますよ。宝石の言葉がわかるという、ステキな能力も」
私が不安になっていると、エレナさんは屈託のない笑顔を見せつつ、小声で言う。
その様子からして、どうやら能力のほうも信じてくれているみたい。私は胸を撫で下ろす。
「そんなことより! 兄さんをよろしくお願いします!」
その矢先、猛烈な勢いで頼み込まれる。
「お父さんが亡くなってから、ずっと一人で工房を切り盛りして、わたしを育ててくれたんです。悪い人じゃないので、どうか見捨てないで!」
……相変わらず、何か勘違いされているような。
だけど、この子も悪い子じゃない。それこそ、すごく仲良くなれそうな、そんな気がした。
◇
……それから数日間、私はハーヴェス宝石工房でウィルさんと生活をともにする。
そんな中で、わかったことがあった。
ウィルさんは、その……生活が乱れていると言うか、とことん仕事に一途だった。
もちろん私のことは気にかけてくれるけど、自分を顧みない。
加工作業に没頭して普通に食事を抜くし、朝から晩まで作業場に入り浸ることもしばしば。明らかに体を考えていない。
特に、工具で指を怪我しても、軽い応急処置だけで作業を続けていた時は目を疑った。
「……すみません。そのうち治ると思って」
「治るかもしれませんが、あとが残ったらどうするんですか。きれいな指なのに」
申し訳なさそうに頭を掻く彼にそんな言葉を投げて、私は近所の薬局へ向かう。
ハーヴェス宝石工房は下町の商店街の一角にあり、目的地の薬局も同じ並びにあった。
「いらっしゃい。おや、見ない顔だね」
その扉をくぐると、初老の男性が出迎えてくれる。
「ハーヴェス宝石工房の者です。打撲に効く薬をいただきたいのですが」
「ああ、最近やってきたっていうお手伝いさんかい。色々と大変だろうけど、頑張ってね」
言いながら、男性は奥の薬棚からいくつかの薬を選び取る。
「痛みのある場所にこれを塗って。傷があっても使えるからね。あと、こっちは痛み止めの飲み薬。コップ1杯分のお湯に溶かして飲むこと」
「わかりました。お世話になります」
私は一礼して、代金を支払う。そのまま薬を受け取ると、薬局を後にする。
「……あら?」
そのまま工房の前まで戻ってくると、少し離れた場所に立派な馬車が止まっているのが見えた。
ダイヤモンドリリーの紋章……あれはオルラルド家の馬車だわ。
お屋敷に何度か来られたことがあるから、覚えている。下町に用事なのかしら。
「アリシアさん、あまりジロジロ見ないほうがいいよ」
「ひゃあ!?」
その時、すぐ近くから声がした。
「ああ……キャシーちゃん。おはようございます」
「おっはよーございます! これ、今日の分のパンです!」
視線を向けると、そこには栗色の髪を三つ編みにした少女が立っていた。
髪色と同じ栗色の瞳を輝かせつつ、小さなバスケットに入ったパンを差し出してくる。
この子は近所のパン屋の娘さんで、キャシーちゃんという。大きな三つ編みと、茶色い帽子がトレードマークの十三歳の女の子だ。
毎朝こうして、できたてのパンを配達してくれる。
「いつもありがとうございます。今日はクルミパンですか?」
「そうですよー! 当社比でクルミ6割増! お値段据え置き!」
「え、それはすごいですね」
「……実は、あたしの発注ミスでクルミを1ケース余計に仕入れちゃったんです。ママに知られる前に、内密に処理してしまおうかと」
驚きの声を上げる私に対し、キャシーちゃんは声を潜める。
さすがにそれは……遅かれ早かれ、バレそうな気がするけど。
「ところでアリシアさん、それってお薬ですよね? どこか悪いんですか?」
「いえ、ウィルさんが指をケガしてしまって」
「あー、そーいうことですか……愛人さんは大変ですね」
「何度も言っていますが、愛人じゃないですから」
「あははっ、これでエレナさんも一安心ですねぇ。それでは!」
慌てて訂正するも、キャシーちゃんは石畳を全速力で駆けていった。
……本当に、人の話を聞かない子だ。
あれで、噂話が大好きだから本当に困る。私の妙な噂が、どんどん広まっていくし。
思わず頭を抱えるも、どうしようもなく。
私は薬とパンを手に、工房の扉を開けたのだった。




