第三十話『ウィル、妹に呼び出される』
アリシアさんとそんなことがあった翌日、僕はエレナに呼び出された。
指定された喫茶店に向かうと、彼女は一番奥の席で待っていた。
「兄さん、わたしが呼び出した理由、わかっていますよね?」
席につくやいなや、妹は開口一番にそう言った。
昨日の今日だし、その理由はわかっているつもりでいる。
「……アリシアさんのことかい?」
「そうです。兄さん、アリシアさんとお付き合いされているのですか?」
「いや……またそんな関係ではないよ」
「はー、女性にあそこまでさせておいて、まだお付き合いしていないと」
先に頼んでおいたのだろうか。手元の紅茶を一口飲んだあと、妹は呆れ顔で言う。
「噂によれば、食事やお風呂の世話までしてもらったそうじゃないですか」
「いや、それは……」
思わず口ごもる。
色々とお世話してもらったのは事実だけど、その噂はどこから漏れたのだろうか。
「兄さんが鈍感なことは百も承知ですが、そろそろアリシアさんの気持ちに答えてあげてはどうですか。このままだと、あまりに意気地がないです」
「僕だって、それはわかってる。ただ……悩んでいるんだ」
「何を悩む必要がありますか!」
ばんっ、とテーブルを叩きながら、エレナは立ち上がる。
思わず周囲を見渡すも、店内には僕たち以外に客の姿はない。
エレナに一旦座るように促したあと、僕は言葉を紡ぐ。
「落ち着いて聞いてくれ。彼女は……アリシアさんは、僕の初恋の相手かもしれない」
「初……はい?」
次の瞬間、エレナの目が点になった。
「エレナは小さかったから覚えていないかもしれないが……僕は昔、父さんと一緒に宝石の行商をしていたんだ」
「あー……少しだけ記憶にあります。いつもお父さんと一緒に出かけていましたよね」
「そう。そんなある日、僕と父さんは丘の上にある大きな屋敷に招かれた」
「丘の上……ライゼンバッハのお屋敷ですか?」
「おそらくそうだと思う。父が商談に挑む中、時間を持て余した僕は好き勝手に屋敷の中を歩き回っていてね。そこで、彼女に出会ったんだ」
「……はー、アリシアさん、すごい家の出身だったんですね」
周囲を気にしながら、エレナが小声で言う。僕は続けた。
「彼女の衣服は薄汚れていて、最初は使用人の娘かと思った。見知らぬ僕を見て、怯えていたしね」
「ひどい目に合っていたとは聞きましたが、そんな小さな頃から……」
「でも、時折見せてくれる笑顔が……すごく、印象に残ってね」
「……つまり、一目惚れだったんですね」
「恥ずかしながら、そういうことになる。だからあの日――雨の降りしきる中、彼女が店の前に現れた時は、目を疑ったよ。それから話をするうちに、あの時の少女だと確信した」
「まさに運命の再会ってやつじゃないですか」
「一見するとね。だけど、彼女は僕のことは覚えていないみたいでさ。思いを伝えるかどうか、ずっと迷っている」
「キスまでした間柄なのに、まだ迷ってるんですか!?」
「声が大きいよ……あれはその、彼女も感情的になっていたんだ」
「そ、そうかもしれませんが……むむむ」
エレナは納得いかない様子で、頬をふくらませる。
「それに彼女は、工房での暮らしを楽しんでくれている。僕が思いを伝えることで、その日常が壊れてしまうと思うと……」
「はぁぁ、我が兄ながら、ここまで消極的だとは」
僕の言葉を遮るようにエレナは言い、大げさに頭を抱えた。
「いいですか。雨の日にアリシアさんを助けたのも、工房に置くと決めたのも、全部兄さんの意思でしょう。その手の傷もそうです。とっさにあの人をかばった結果です。つまり兄さんは、幼い時からずっと、アリシアさんのことが大好きなんです!」
それからまくし立てるように言い、もう一度テーブルを叩いて立ち上がる。
「……兄さんは、もっと自分の気持ちに素直になってください」
最後にそう言い残して、エレナは喫茶店から去っていった。
僕はその背中を、ただただ見つめることしかできなかった。




