第一話『宝石令嬢アリシア』
私――アリシア・ライゼンバッハは、生まれつき宝石の声が聞こえた。
それに気づいたのは、自分が五歳になった頃だった。
宝石商から貴族まで身を起こした家庭ということで、身近に宝石が溢れていたということも、きっかけのひとつだろう。
嬉しくなった私は、その事実を両親に打ち明けるも……二人は喜ぶどころか、私を気味悪がった。
そしてその日から、私は家族の中で『いないもの』として扱われるようになった。
両親の愛情は、全て双子の妹であるガーベラに注がれ、私は使用人以下の生活を余儀なくされた。
もとより、私の国には双子を忌み嫌う風習があり、もし口答えしようものなら『貴族の娘でなければ、とうに殺していた』と言われる始末。
私はその存在をひた隠しにされ、外に出ることもできず、屋敷の隅で細々と生きながらえるしかなかった。
◇
やがて年月が過ぎ、私と妹が二十歳を迎えたある日。妹の婚約が決まった。
相手は中央貴族の伯爵様で、地方貴族で男爵の爵位しか持たぬ我が家にとって、願ってもない話だった。
「ガーベラ、おめでとう」
「伯爵家に嫁ぐなんて、あなたはライゼンバッハ家の誇りよ」
「お父様、お母様、ありがとう」
相手方からお祝いに贈られたという真っ白いドレスを身にまとった妹が、両親と穏やかな笑みを浮かべる中、私は使用人以上にみすぼらしい恰好で、黙々と窓を拭いていた。
冬はガラスが曇りやすいのが難点だ。汚れが残っているとまた食事を減らされるし、しっかり掃除しておかないと……。
「あー……アリシア、お前に話がある」
……その時、お父様が私に声をかけてきた。
それこそ、数年ぶり……いや、下手をしたら十数年ぶりに話しかけられ、私は困惑する。
「……は、はい」
嬉しさと驚きと、色々な感情が混ざる。必死に声を絞り出したあと、お父様に向き直る。
久しぶりに見た父の顔は無表情で、あからさまに私から視線をそらしていた。
「ガーベラが中央貴族と関係を持つことで、我が家はこれまで以上に人の出入りが多くなる。そこで……」
そこまで話して、お父様は目を伏せる。
それこそ使用人たちの仕事も増えるだろうし、私の待遇もそれなりに良くしてくれるのかしら。
本来身につけるべき貴族としての作法も教養も一切教わらずにここまで来てしまったし、今更姉として振る舞えなんて言わないだろう。
「アリシア、お前には今日限りでこの家から出ていってもらう」
「……え?」
続いた父の言葉に、私は声を失う。
「婚約者に双子の姉がいたと知られれば、この縁談そのものが破談になりかねんのだ。わかったら、すぐに支度にとりかかれ」
「あの、お父様?」
「……命を奪われぬだけ、ありがたいと思え。今後、ライゼンバッハの名を口にすることは許さん。私のことも、二度と父と呼ぶでない」
すがるような視線を向ける私を一瞥し、父はそう吐き捨てて自室へと戻っていく。
茫然自失となった私を見て、妹のガーベラがクスクスと笑っていた。
『いいザマだね。アリシア』
その時、妹が身に着けていたルビーの首飾りから、そんな声が聞こえた。
あの宝石はガーベラが幼い頃からずっと身につけているものだし、宝石も持ち主に似るのね。
心の中でそんな虚勢を張って、私は荷造りに取りかかったのだった。
◇
……長い間、お世話になりました。
心の中で感謝の言葉を口にして、私は生まれ育った家をあとにする。
誰からの見送りもなく、出立は寂しいものだった。
聞こえるものといえば、雨と風の音くらい。
……十数年ぶりに出た屋敷の外は、本当に寒かった。
思わず上着を押さえるも、使い古した外套に防寒機能などない。
「はぁ」
ため息とともに見上げた空は、厚い雲に覆われていた。
屋敷は丘の上にあるので、晴れた日なら街の向こうに広がる海と、その先に見える島々まで見渡せるのだけど……今は海も空も、黒い絵の具を混ぜたように薄暗かった。
「……まずはどこか、雨宿りできる場所を探さないと」
誰にともなく呟いて、穴だらけの傘を差しながら丘を下る。
その傘も、街の入口で風にさらわれてしまった。
「あらら……まぁ、今更よね」
この風だし、傘なんて役に立たない。
私は開き直り、胸を張って街の中を歩いていく。
職人の街アモイウェルは、丘の上に貴族の屋敷が立ち並ぶ一方、下町に多くの工房や工場が集まっている。
晴れていれば、活気に溢れているのだろうけど……今はこの天気だ。外を歩いている人の姿は皆無だった。
皆、暖かい室内で紅茶でも飲みながら、思い思いの午後を過ごしているのだろう。
「……きゃ!?」
そんなことを考えていると、建物の陰から一人の男性が飛び出してくる。
とっさに身の危険を感じるも、彼は私の持っていた荷物をひったくると、雨の中を走り去っていった。
私は石畳の上に倒れ込んだまま、それを呆然と見送るしかなかった。
……なけなしの荷物まで取られてしまうなんて、どこまでついていないのだろう。
でも、不思議と絶望感はやってこなかった。むしろ、清々しささえある。
『今の見た? かわいそう』
『最近、この街の治安も悪くなったよね』
『ホントホント。ボクたちもいつさらわれるか、わかったもんじゃないよ』
……その時、どこからともなくそんな声が聞こえた。
周りに人の気配はないし、おそらく宝石たちの声だろう。
周囲を見渡してみると、近くにそれらしいお店があった。今日はお休みなのか、明かりはついていない。
「……ハーヴェス宝石工房」
頭上に掲げられた看板には、そう書かれていた。
なるほど。ここなら宝石があっても不思議はない。
あの子どもっぽい口調はエメラルドかしら。それともラピスラズリ?
私はお店に近づくと、ガラス越しに商品棚を覗き込む。
すると、店内が暗かったこともあり、ショーウィンドウに自分の姿が映り込んだ。
母親譲りの桃色の髪は、雨に打たれて悲惨なことになっていた。
同じく桃色の瞳の目の下にはクマができていて、ひどい有様だ。
先ほど盛大に転んだし、衣服も泥にまみれ、あちこち破れている。これはどう見ても不審者だわ。
それこそ、泥棒と勘違いされる前にこの場を離れましょう。
そう考えた矢先、ガラスの向こうに一人の男性が現れた。
彼は私の存在に気づくと、一瞬驚いた顔をしたあと、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
長めの銀髪を後ろで結っていて、その瞳は金色。非常に整った容姿をしていた。
まるで黒曜石のような凛々しさに、私は見惚れてしまう。
「……お嬢さん、どうしました? よかったら、中にお入りなさい」
その場から動けずにいると、彼は扉を開け、優しげに声をかけてくれた。