卒業
「青木君」
「井上さん」
「井川君」・・・
名前が呼ばれていく。
―もうすぐ、真人の番だ
「金子君」
「はい!」
―真人、いい声よ
今日は、中学の卒業式。
講堂の窓から差し込む光は、暖かさを乗せて卒業生達に降りそそいでいる。
―ありがとう、真人の笑顔だけがお母さんを幸せにしてくれる。
『きっと、お母さんを幸せにしてあげる』
子供の口癖が脳裡にこだまする。
―真人、もう十分幸せよ。
在校生の拍手の中を、真人たちが歩いていく。
開け放たれた扉の向こうには、彼らを迎いいれる季節が待っている。
あれから20年。
季節はあの頃と同じように春を呼んでくる。
今、先生が友達たちの名前を呼んでいる。
「崔さん」
「島崎さん」
「納屋さん」
先生の心地よい声が講堂に響いている。
―もうすぐ、私の番だ
「金子さん」
「はい!」
私は力いっぱいに返事をした。
―あぁ、幸せだ。
―先生、聞こえましたか私の声が
読み書きが出来ないばかりに、嫌な思いをしてきた。
友達にバカにされるのは日常茶飯事だった。
知らない人からも笑われた。
就職した工場でも笑われた。
結婚もしたが、夫は親戚に私を会わすことはなかった。
子どもができても、何も教えることができない自分に泣いていた。
やがて、夫は出ていき一人で真人を育てた。
働いた、働いた。
でも、無学な自分は笑われ続けた。いじめられ続けた。
いつしか、安いお酒に逃げ体を壊し、働くこともできなくなった。
「お母さん、税金泥棒って何?」
ある日、真人に聞かれた。
「友達に、そう言われた。」
悲しそうな顔があった。
惨めそうな顔があった。
自分自身に向けられた言葉なら、我慢しよう。今までのように、我慢しよう。
でも、何で真人が傷つかないといけないの。
真人はその日以来、学校での楽しい話しかしなかった。
真人は、中学を卒業すると働き始めた。高校へは行かせてあげたかったのに。
そして、高卒認定試験というものを見つけ、自力で大学までいった。
嬉しかった。本当に嬉しかった。
でも、申し訳なかった。
これ以上、無学な親のせいで真人の人生を駄目にしたくない。
そう思い、私は夜間中学に入学した。
―やっと人並みになれた
今、先生方や後輩の拍手の中を歩いている。
講堂の扉の向こうは春の日差しが輝いている。
扉の手前で迎えてくれているのは、私の先生。
―ありがとう、真人先生。いつも私に幸せを与えてくれて。